それから数週間後、早朝の中央士官学校の正門をやたらと図体の大きな男が通り抜けた。

 男は儀礼用の礼装をしているものの、その頬や額には無数の裂傷があり、もとよりそう良くはない目つきと相まって、まるで凶悪犯と見まごうばかりの様相である。

「おはようございます、レグラス様」

「ひよっこ?お前、そこで何をしている」

 レグラス=フォードは、正門脇に控えていた女性士官、ミゼットを信じられないといった様子で凝視した。

「ひよっこではございません」

「ああ?」

 レグラスはおもむろにミゼットの顔に手を伸ばすと、顎をつかんで自分のほうへ向けた。そうしてかつての部下の瞳を覗き込むと、部下もまた視線を逸らすことなく真っ向から自分を捉えた。確固たる意志を持ち、ともすれば好戦的にも見えるその瞳に、レグラスはなつかしさとともに感慨深いものを感じた。

「確かに、我が軍きってのアイスドールも些か董が立ったようだ」

「生憎、化け物ではございません故」

「ばっ?!」

 ミゼットの台詞にレグラスは目を剥いた。北の狂戦士、それが彼の二つ名であるが、その容貌、殊に傷だらけの顔面から、化け物と揶揄する者も少なくない。

「相変わらず口の減らない女だな。この綺麗な顔が今も綺麗なままなのは誰のお陰だ。幾度背中を貸してやった」

「感謝しております」

 レグラスが興奮気味に捲し立てるも、ミゼットはいたって冷静に言葉を返すだけだ。

「一体どの口が言うんだ。この口か?そうか、この口か。ああ?」

 いよいよ自制できなくなったレグラスは、再びミゼットの顔に手を掛けた。すると、そんな彼の耳に、わざとらしい咳払いが聞こえた。

「フォード卿」

 親指と人差し指で部下の口を挟んだまま、レグラスは背後を振り返った。

「ようこそお越しくださいました」

 振り返った先で、若き教官が最敬礼していた。

「これではまるでわたくしが襲われているようですね」

「だ、誰がお前なんか…」

 ミゼットが小声で囁くと、レグラスは乱暴にミゼットから手を離し、教官、タリウスを一瞥した。

「出迎えが遅いぞ」

「大変失礼いたしました。ただいま統括のところへご案内いたします」

「結構だ」

「しかし」

 先方は、開校以来一二を争う厄介な賓客と言って良い。端からすんなり案内させてもらえるとは思っていなかったが、まさかこんなに早く暗礁に乗り上げるともまた予想していなかった。タリウスは閉口した。

「なに、たまたま朝早く起きたついでに、散歩がてら早めに来ただけだ。統括との約束の時間までは、こちらの好きにさせてもらう」

「そういうわけには…」

「何か見られたら困るものでもあるのか」

「いいえ、ございません。ですが、兵舎の中は要塞ほどの広さです。道案内は必要かと存じます」

 教官は、表向きはあくまで柔和な態度を保ちつつ、それでいて少しも譲る気配がない。途端に空気が変化した。

「でしたら、わたくしをお連れください」

「お前を?」

「勿論、お邪魔でなければの話ですが」

 穏和な声に再び空気が緩む。

「…しろ」

「はい?」

「とっととしろと言ったんだ。どうせ端からそのつもりで来たんだろう。行くぞ、ひよっこ」

 言うが早い、レグラスは教官の横をすり抜け、ずんずんと進んだ。

「御意」

 すかさずミゼットが後を追う。そして、教官とすれ違いざま、それまで彼が腰に下げていた鍵の束をそっと受け取った。

 ふいに教官が目にした彼女の首筋には、片側だけ鳥肌が立っていた。


 レグラスを伴い、ミゼットはかつての学舎を風を切って歩いた。もっとも、腹の中は嵐のごとく激しい風が吹き荒れていた。

 ひとまず出迎えは成功したと言って良い。レグラスの十八番は奇襲である。約束の時間より前に必ず現れるとミゼットは踏んでいた。夫は、ならば客人の機嫌を損ねぬよう、教官や訓練生を集め総出で出迎えるべきだと主張したが、彼女はそれに対し真っ向から異を唱えた。訓練生を見せるのは、出来る限り後だ。

 早朝とい うこともあり、兵舎の中は静まり返っていた。ミゼットはかつての上官を伴い、室内演習場へ向かった。目的の場所へ辿り着くにはいくつかのルートがあるが、彼女は中でも人気のない森林を経由する道筋を選んだ。

「こちらの演習林では、本格的な戦闘訓練が行えます。中でも、本科生の終わり頃に行われる泊りがけの模擬戦では、より実戦に近い形での訓練を実施します」

「所詮、訓練は訓練。真似事だ」

「おっしゃるとおりです。では、室内演習場へご案内いたします」

 それきり彼らは口をつぐんだ。木々の緑が朝の光を浴び、輝いて見えた。

 目的地に到着すると、ミゼットは先程教官から受け取った鍵で恭しく開錠し、賓客を迎え入れた。

「こちらは主に、剣術の鍛錬で使用します。午後には本科生の訓練をご覧いただく予定です」

 演習場に入るなり、レグラスは不思議な感覚に陥った。室内はがらんとしており、誰もいないというのに、そこには確かに何者かが息づいていた。

 鏡と見まごうばかりに床は磨かれ、整然と武具が並ぶ。建物自体は古いが、何代にも渡り丹念に手入れされてきたことが窺い知れる。

 そうしてしばらく一通り見て回った後で、彼らは再び屋外へと出た。

「こちらが屋外演習場です。室内演習場とは異なり、本科生だけでなく、予科生をも同時に収容出来ます。それから…」

「おい、ひよっこ」

 それまで黙々と半歩前を歩んでいた元上官が、ぴたりと歩みを止めた。ミゼットもそれに倣う。

「お前、除隊しろ」

「はい?」

 かつて、週に何度この台詞を聞いただろう。その乱暴な物言いに、ミゼットは驚くどころか、むしろ懐かしさを覚えた。

「除隊して観光ガイドになれ。そうすれば、王都に来る度ひいきにしてやる」

「ありがたいお言葉ではありますが、あいにく除隊する気は…」

「だったら、さっきから何なんだこれは!演習場に訓練生が何人入れようと俺には関係ない。その訓練生とやらはどこにいる。とっとと見せろ」

「申し訳ございません。訓練生をご所望でしたか。本科生は教室で授業を受けておりますので、ご案内いたします」

 いきり立つレグラスを横目に、ミゼットは颯爽と踵を返した。

 それから宣言どおり、彼らは本科生の教室へ向かった。教室では、ゼイン=ミルズが軍学の授業を行っていた。

 レグラスは教室に一歩足を踏み入れた途端、ぴたりと歩みを止め、目だけを忙しく動かした。

 訓練生たちは皆一様に起立し、各々軍法の一節を暗唱している。そんな彼らの横を教官が長靴を踏み鳴らしながら行き来する。いずれも突然の訪問者には一切の注意を向けていない。

 やがて、少年たちのうちの何人かがぱらぱらと座り始めた。どうやら課題を終えた者から着席するシステムになっているらしい。そうこうするうちに、暗唱する声が徐々に小さくなり、反対に長靴の音がカツンカツンと響き渡った。

 すると、突然その音がぴたりと止まった。

「貴様は何故座っている」

 静まり返った教室に、ピシリと軽い音が鳴った。教鞭で手を打たれ、少年は飛び上がらんばかりに立ち上がった。

「申し訳ありませ…いっ!う!」

 今度は続け様に尻に鞭を当てられ、少年は苦悶に満ちた表情を見せた。察するに、課題が済んでいないにも関わらず、お茶を濁して着席したのだろう。十数名が同時に暗唱を行っていたというのに、よく判別出来たものだ。

「踵(かかと)を上げろ」

 教官の命に、少年は脂汗をかきながら慌ててつま先立ちになった。

「未だに課題が終わっていない貴様も同罪だ」

「すみません」

 教室の隅には、もうひとり別の少年が起立したままになっている。彼もまた直ちに命じられたとおりの姿勢になった。

「教科書のひとつも覚えられなくて、何が士官だ。笑わせるな」

 教官は侮蔑に満ちた視線を少年たちに向けた。

「一度現場に出れば、何十、何百とある戦術を状況を見ながら瞬時に使い分けることが求められる。当然、陣形から武器の扱い方まで、すべて頭に入っている前提だ。愚か者や馬鹿者に用はない」

「申し訳ありません」
「申し訳ありません」

 少年たちが声を震わせる。二人とも未だつま先立ちのままである。だが、教官は彼らには見向きもせず、涼しい顔で教卓に戻った。

「では、授業を始めよう。前回の続き、攻城戦における有益な手法について」

 教官はコトリと鞭を置き、先程までとはまるで別人のように、それはにこやかに攻城戦に関する講義を始めた。

「ああ、よろしければお二人もどうぞご参加ください。お誂え向きに、二席ばかり空席もございます」

「いや、結構。もう充分だ」

 言うや否や、レグラスは戸口へと向かった。すぐさまミゼットも従う。そして、退出する直前、教官に向かって何やら目配せした。

「座学はもうたくさんだ。訓練を見せろ」