夜勤明けの午後のこと。あたたかな日差しを背に、タリウスはのんびりと新聞をめくっていた。
「どうぞ」
「ああ、すみません」
ユリアもまた在宅しており、テーブルを挟んだ向かい側で何やら書きものをしていた。しばらく姿が見えないと思っていたら、お茶のおかわりをいれてくれたようである。
「ふふふ」
「ご機嫌ですね」
「ええ」
そのとき、彼女の手からハラリとハンカチが落ちた。タリウスはそれを拾おうと立ち上がりかけるが、どういうわけか足が上がらない。
「うふふ」
ユリアの視線が一直線に自分の足元へ注がれる。不審に思い足元に目をやると、あろうことか左右の靴紐が繋がっていた。
「全然お気付きにならないんですもの。もう私、可笑しくて」
あくまで控えめな彼女の笑い声に、茫然自失状態から我へと帰される。考えるまでもなく彼女の仕業であろう。先程、ペンか何かを落としたらときに、机の下にもぐり込んで悪戯した違いない。
「子供ですか、あなたは」
「いえ、こどもの頃にはむしろ思い付きませんでしたし、やりませんでした」
「父上に叱られたことないでしょう」
悪びれることなく微笑む彼女を見て、タリウスは苦笑した。
「そんなこと…ないかもしれません」
「どっちですか」
「ない、ですねぇ」
「はぁ…。ユリア、もとに戻しなさい。今すぐに」
「え?は、はい」
場違いに鋭い声音に、ユリアの顔色が変わった。そして、慌てて膝を付こうとしたところで、唐突に腕を捕られた。
「いや!タリウス、ひとが来ます」
「女将は会合、シェールは学校で、どちらもしばらくは帰りません」
言いながら、タリウスは膝へと彼女を抱え込んでしまう。
「でも!」
「嫌なら早く戻しなさい」
「きゃあ!」
ぺちんとお尻を叩かれ、ユリアは耳まで真っ赤にした。
「ごめんなさい、悪気はありませんでした」
「それにしたって、下手したら転びましたよ」
「それはそれで面白っ………やっ!痛い!」
「ともかく自分のしたことの後始末をしなさい。ほら早く」
「で、でしたら下ろしてください」
バタバタと必死にもがくも、屈強な腕から抜け出すことは叶わず、身体中が上気した。
「いいえ、元どおりにするまではやめません」
「そんなっ」
そんな器用な真似が出来るわけがない。そうこうしている間に、お尻の痛みが徐々に本格的になってくる。
「直に打たなければ出来ませんか」
「そんなこと、絶対絶対だめです!わかりました。やります」
ユリアは身体をひねり、そろりとタリウスの足元へ手を伸ばす。しかし、無理な体制のせいで頭に血が上り、うまくいかない。こんなことなら蝶結びにでもしておくんだった。よりによってこんな固い結び目を作ってしまった自分が恨めしい。
「きゃあ」
ピシャリという音と結構な衝撃で目前の結び目が遠退いた。
「動かないでください」
「私は動いていませんが?」
「もう、意地悪!」
「あなたに言われたくはない」
そうして、四苦八苦しながら長靴を分離させたときには、ユリアはすっかり汗だくになっていた。
「はい、良く出来ました」
「ひどいです」
ユリアは憤然としてこちらを見た。頭に血が上ったようで顔が赤かった。
「こどもみたいな悪戯をするからだ」
「だって、いつも難しいお顔ばかりしているから、たまには驚いたり、笑ったりしたって良いと思ったんですもの」
「それにしたって他に方法があるでしょう」
元より自分には愛想というものがない。それに加え、余裕がなくなるといつもに増して無表情になる。しかし、そうかと言ってそれを他人に責められる謂れもよくわからない。
「面白くなかったですか」
吐息するタリウスを悲壮に満ちた瞳が見返してくる。さしずめ、渾身の作を褒めてもらえなかった子供のようだ。
「面白いかそうでないかで言ったら、まあ前者ですが」
実際問題、赤の他人がこの罠にはまったとしたら、正直平生を保つ自信がない。
「でしたら」
「かまって欲しいのなら、次からはそう言ってください」
思わず失笑し掛け、それを誤魔化すためにあえて彼女の台詞を遮った。
「悪いようにはしません」
想像するに、幼少期から今に至るまで、彼女は数々の積み残しをしてきたのだろう。今後、それらをこうして回収して回るのも、悪くないかもしれない。
了 2014.7.14 「悪戯」
元ネタ提供者=某スパンキーのMちゃん。本当にPさんにやったらしい(笑)。