「アシェリー?!」

 変わり果てたメイドの姿を見て、ミゼットが目を見張った。

「ごめんなさい。奥様のティーカップ、あたしが割ってしまいました。それなのに、黙って
庭に埋めました」

「埋めましたって…」

 メイドの告白聞きながらミゼットはぽかんと口を開ける。泥にまみれたメイドの手には、
見覚えのある陶器の破片が乗っていた。

「ごめんっ…なさい」

 少女はその手を涙に濡れた目頭へ持っていく。

「ちょっとアシェリー。そんな手で触ってはだめ。ともかくそれはその辺に置いて。手を洗っ
て、泥を落としていらっしゃい」

 泣きじゃくるメイドを見送り、ミゼットはひとり深い溜め息を吐く。

 あの娘は今年いくつになるのだろう。結局分からず終いだが、少なくとも10歳は越えて
いる筈である。だが、今となってはそれすら疑わしい。仕事を教え込む前に、先にやらな
ければならないことがあると思った。それには、些か厳しい仕打ちも辞さない。

「私に怒られるのが怖くて、言えなかったの?」

 冷静な問いかけにメイドが小さく答える。

「カップを割ったくらいで、私はそこまで怒りはしない。少なくとも最初の一回はね。失敗
は誰にでもあるもの」

 今でこそ随分器用に生きられるようになったが、彼女自身もかつては泣きたくなるくらい
失敗の連続だった。頑張るほどに何故だか空回りするのだ。

「でもね、今回のことは簡単には許せない。アシェリー、あなたは私を騙したのよ」

「そんな!あたしそんなことしてません」

「したのよ。カップが見つからなくて困っている私を、黙って見ていたじゃない」

「それは…。奥様の期待を裏切りたくなくて」

「期待?馬鹿ね」

 吐き捨てるように言って、メイドに向き直る。

「ずっと騙し続けられるわけないじゃない。嘘からは何も生まれないの。取繕って嘘を
重ねて、気付いたら取り返しがつかなくなることだってあるの。いいこと、アシェリー。
私は嘘つきには何の期待もしない。そもそも嘘をつき続けている間、あなた自身も苦
しかったでしょう」

「すごく気持ち悪かった…です」

 それはもう充分経験済みである。嘘をつき、真実を隠していた故の苦しみだと今になっ
て理解した。

「自分のしたことの責任は自分でとってもらう。アシェリー、お仕置きよ」

「はい、奥様」

 こうなることは予想していた。彼女は素直に返事を返し、次の言葉を待った。

「自分でお尻を出して、テーブルに手をつきなさい」

「えっ!」

 予想外の命令にアシェリーは大いに取り乱した。お仕置きが嫌なのは何も痛いからだけ
ではない。いくら同性とはいえ、他人に肌を見られるのはたまらなく恥ずかしい。前回のよ
うに無理やりねじ伏せられるならまだしも、自分の意思でお尻を晒すことには激しい抵抗
をおぼえた。

「今日のあなたを膝に乗せたくはないの。さっさとして頂戴」

「ごめんなさい、奥様。許してください」

「そう。反省していないのね」

 懇願するメイドをばっさりと斬りつける。

「ちがいま…」

「アシェリー!!」

 突然、厳しく名を呼ばれ、彼女は身体が凍りついたかのように動かなくなった。

「どうして私の言うことが聞けないの!いけないことをしたってわからないの!」

 とうとう本気で主人を怒らせてしまった。怒りに震える主人を正視出来ず、彼女は逃れ
るようにしてテーブルへ向かった。スカートを上げ、唇を噛んで下着に手を掛ける。そう
することで、主人の怒りが和らぐならもう何でも良いと思った。

 ミゼットは確かに厳しいが、それでいて何かと親切で、あれこれと丁寧にものを教えて
くれる。そんなやさしい主人のことが彼女は好きだった。

「良い?私が良いというまで、手を離してはだめよ」

 メイドがうなずくのを見て、大きく手を振り上げる。

「っ!!」

 質の違う激しい痛みに、声すら失った。それと同時にアシェリーの上半身が浮きかける。
しかし、ミゼットはそれを許さず、更に続けてお尻を打った。

「いやぁ!ごめんなさい!!」

「暴れないの」

 もはや一切の自制がきかず、アシェリーは主人を振り切ってぴょんぴょん飛び跳ねた。

「戻りなさい。まだ罰は終わりじゃないのよ」

 きつい声で我に返る。所々赤く腫れ上がったお尻をさすりながら、なんとか元の位置まで
戻った。

「きちんと出来るまで、何度でもやり直すから」

 ミゼットは冷たく言い放ち、再び手を振り上げる。燃えるようなお尻を更に打たれ、アシェ
リーは悲鳴を上げた。だが、今度はテーブルに噛り付いて離れなかった。休み休み六打打っ
て、手を下ろす。

「自分が何をしたか、言ってごらんなさい」

「早く字の練習をしたかったんです。だから、慌てて食器を洗って、それでカップを割って
しまいました」

「呆れた。自分のことしか考えていないのね。仕事はきちんとするという約束だったでしょう」

 メイドを叱りながら、何もここまで話すことはないと密かに思う。自ら叱られる材料を
増やしていることに気付いているのかいないのか。やはり根は良い娘なのだ。

「でも、すぐに奥様に言わないで隠しました」

「そうね、それから?」

「え?」

 自分で自覚しているのはここまでである。他に何をしでかしただろう、必死に考えてい
ると後ろで主人が動く気配がした。

「わからないの?」

「はい、奥様。わかりません」

 背後で手の振りあがるのを感じる。

「いったい!!」

 確かに痛いには痛いが、先ほどまでの破壊的な痛さとは少し違う。

「まったくもう。折角買ってあげたんだから、もっと大事にしなさいよね」

「あ、洋服…!奥様、ごめんなさい」

 彼女は思わず後ろの主人を振り返った。主人がどんな気持ちでそれを買い与えてくれた
のか、アシェリーには想像出来ない。たが、それにしたって大切に扱って欲しいと思った筈
である。

「ごめんなさい。たくさん汚してしまいました」

 しかし、ミゼットにあまり怒りは見えず、どちらかというと呆れ顔だった。なおも謝罪の言葉
を述べるメイドを制し、着衣を直すよう言った。

「それで、名前は書けるようになったの?」

 衣服を整えつつ、ひりひりと痛むお尻をさすっていると、これまた唐突に問われた。

「え、あ、だいたいは」

「そう。じゃあここに書いてみて」

「これにですか?」

 ミゼットから料理用のヘラを手渡され、反射的に受け取ったものの、さっぱり意味がわか
らない。

「そうよ。それ、あなたのお仕置き用にするから」

「これで…お尻を?」

 あの激しい痛みの正体はこれだったのか。見慣れた調理道具を手に、何だか妙に恥ず
かしくなる。

「嬉しい?」

「えっと、はい。ちょっとだけ」

「本当に!?」

 からかってやろうと思い言ったわけだが、どうやら真に受けられたようである。

「これからも、あたしここに置いてもらえるってことですよね」

「ま、まあそういうことにもなるわね」

 意外にも前向きな発言に、ミゼットは少しだけ戸惑う。

「まあ、ちょっと遅かったけど、一応自分から打ち明けたことだし、今回は見逃してあげ
る。でも、これっきりよ」

 わざとらしく怒った顔を作ると、メイドが神妙にうなずいた。

「じゃあ、名前は私が書いておいてあげるから、あなたは仕事にかかりなさい」

 そして、今度は対照的に悪戯っぽい笑みを浮かべる。彼女は再びメイドから戻ったヘ
ラで、ピシャリと自分の掌を打つ。その音があまりに大きくて、アシェリーは何だか恥ずか
しくなって顔を伏せた。


 了 2010.9.18 「虚言」