「アシェリー!聞いてるの?」

「は、はい!奥様、何かご用ですか?」

「何かじゃないでしょう。さっきからずっと呼んでるのよ」

「ごめんなさい」

 苛立つ主人にはっとしてメイドが頭を下げる。

「呼ばれたらすぐに返事をしなさい。それで、お客様用のティーカップ、どこにしまったの?
大切なものだから、他へ移したのならきちんと一緒にしておいてよ」

「は、はい」

 気に入りのティーカップが、どういうわけか一客見当たらない。食器の出し入れはメイド
に任せ切りで、どこに何がしまわれているのか彼女自身は関知していなかった。

「どうしたの?」

 アシェリーは気もそぞろで、何だか妙に落ち着かない。

「何でもないです」

「そう?」

 メイドの様子にどこか不自然なものを感じ、何かあると勘ぐる。だが、確固たる証拠が
あるわけでもない。先日の徽章の一件もあり、無闇やたらにメイドを疑うわけにもいか
なかった。

「これを出して来て頂戴」

 そこで、メイドを追い出し、ひとり証拠を固めようと考えた。

 とぼとぼと歩きながら、彼方に封印した記憶がよみがえってくる。昨夜は来客があり、
いつもより仕事を終える時間が押した。そのため早く洗い物を片付けようと、つい雑に
食器を扱った結果、カップを一客割ってしまった。

 よりにもよって何故主人の気に入りの食器を割ってしまったのだろう。ほんの少し注意
を怠らなければ、防げただろう。しかし、今更どれほど悔いたところで、覆水盆に返らず。
それならそれで早いところ真実を言えば良いものをそれすら出来ないでいた。

 先ほど、折角主人がそのことを打ち明けるきっかけを与えてくれたというのに。後悔と
罪悪感とでいっぱいになり、胸が苦しくなる。気付けば、涙が頬を伝う。一旦流れ落ちた
涙は止まるところを知らず、いつしか声をあげてむせび泣いた。

「アシェリー?」

 ふいに背後から声を掛けられ、恐る恐る後ろを振り返る。

「どうしたんだね。そんなに泣いて、ミゼットに叱られでもしたのかい?」

 しゃがみ込んで様子を伺うのは、彼女のもうひとりの主人である。夜勤明けらしく、
いささか疲れた面持ちをしている。

「まだ…です」

「まだ?」

 これから叱られる予定があるということか。この世の終わりのような顔をしたメイドを
見て、ゼインは思わず苦笑した。昨夜も似たような顔をいくつか見てきたばかりである。

「気持ちはわからないでもないが、嫌なことは早く済ませたほうが良い」

 ゼインの言葉にアシェリーは首を横に振るばかりである。メイドの躾は妻に一任して
おり、彼自身は殆ど口を挟むことはない。しかし、そうかと言ってこのまま放っておくわ
けにもいかなかった。

「さて、道を間違えたときには、どうするのが一番だと思う?」

 唐突に問われ、アシェリーは面食らう。

「ともかく歩き回って新しい道を開拓するという方法もあるが、それはあまりおすすめし
ない。成功する保証はないし、第一非効率的だ」

「あのあたし、道に迷ったわけじゃ…」

「それは失礼。てっきりそうだとばかり思ったが。ちなみに参考までに言うが、私なら間
違えたところまで戻るだろうね、一刻も早く」

「間違えたところに…戻る?」

「君はどこで道を間違え、ミゼットに叱られるハメになってしまったのだろうね」

 そもそも丁寧にカップを扱えさえすればこんなことにはならなかった。だが、そんなこと
は後の祭りである。ならば、次に道を誤ったのはどこだろうか。

「自分に嘘をつくのは感心しない」

「旦那様、あたし!」

「先に帰るかい?」

「はい!」

 カップを壊したことは失敗であってもたぶん間違えではない。間違えたとすれば、それ
を隠したことである。いくら地中深くに埋めたところでカップを割った事実がなくなるわけ
ではない。

 アシェリーはミルズ邸へ取って返し、庭へ直行した。長年荒れ放題だった庭は、彼女
が来てから少しずつ開拓をはじめた。言わばアシェリーの箱庭である。

 彼女はしゃがみ込んでおもむろに土を掘り起こし始めた。シャベルを取りに行くのもも
どかしい。爪の間に土が入り、衣服も汚れたが構わなかった。しばらくして、目当てのも
のを探り当て、泥だらけのままそれを掴んで走った。