「気に入った?」

「はい!ありがとうございます、奥様」

 鏡越しに嬉しそうなメイドと目が合う。

 彼女を包むのは真新しいエプロンワンピース。お仕着せにしてはいささか華美な気もするが、
思ったとおりよく似合う。

 仕立て屋に頼んだだけのことはあるとミゼットは思った。無論彼女かて初めは自分で縫おう
と考えたが、自身の労働単価を考えればそちらのほうが高く付く。例に寄って夫は難色を示し
たが、あまりみすぼらしい格好をさせているとこちらが恥をかく、そう言って丸め込んだ。

「エプロンはこまめに洗濯するのよ」

「はい。でも、奥様」

 鏡の中のメイドが不安げに自分を見詰めた。

「こんなことしてもらって、良いのでしょうか」

「良いのよ。あのなりじゃお遣いにも出せないし。ともかく期待しているんだから、頑張って
頂戴」

  ミゼットが微笑むと、アシェリーも笑った。


「それで、何で洗濯が終わってないのかしら」

 その日、帰宅した彼女が見たのは、朝と全く同じ状態の洗濯籠である。

「ごめんなさい、忘れてしまいました。お掃除とお使いとお皿は洗ったんですけど。あと、
食事の下拵えもしました」

 教えたことはおっかなびっくりなんとかこなし、仕事もゆっくりかつ丁寧ではあるが、い
かんせんひとつやるとひとつ忘れる。終始がその調子だった。

「覚えておけないのなら紙に書いておけば良いでしょう」

「何をですか」

「何って、決まってるじゃない。…って、もしかして、あなた読み書き出来ないの?」

「…はい」

 ごめんなさいと謝られ、なんだかいたたまれない気持ちになる。

「別にあなたが謝ることでもないけれど。でも、じゃあお使いのときは?どうしていたの」

 遣いに出すときは、決まって必要なものを紙に書いて持たせていた。確かに口でも説
明したが、それを全部覚えていられるのなら、そもそもこんなことにはならないだろう。

「奥様に書いてもらったメモをお店のひとに見せていました」

「あらそう」

 文盲でも決して頭は悪くないらしい。

「書くもの持ってきて」

 ミゼットは少しの間思慮した後、アシェリーに命じた。

 メイドはすぐさま言われたとおりに行動する。そして、主人の手元を興味深か気に覗き
込んだ。なにやら単語らしきものを綴っているのはわかるが、それが何を示しているの
かは理解できない。ミゼットは綴りの下にサラサラと自在にペンを走らせた。

「これ何かわかる?」

「箒…ですか」

「そう。これはお掃除という意味。それから、これは?」

「かご…あ、お買い物!」

「そうそう、正解。じゃあこれは?」

 言いながら、単語と一筆書きの絵を組み合わせていく。

「とりあえずはこんなところね。また増えたら書いてあげるから、特に指示がないときは
これをみんなやるのよ」

 メイドには日がな一日作業時間を与えている。これで今後出来ていないことがあれば、
怠けているとしか言い様がない。綴りと絵を嬉しそうに見比べる少女を横目に、ミゼット
はそんなことを考えていた。

 だが、やがて彼女はそれが取り越し苦労だと気付く。それ以来、アシェリーが仕事を忘
れることは皆無だった。


「どうしたの、今日の仕事はみんな終わったでしょう」

 アシェリーは炊事場の壁をしげしげと見詰めていた。そこにはミゼットの作った仕事表
が貼られている。食事の片付けが済んだ後は、メイドには休息を与えていた。

「文字が気になるの?」

「はい、ちょっとだけ」

 チラッと自分を見て、すぐさま恥ずかしそうに目を伏せる。その仕草があまりに愛らし
くて、思わず反則だと呟いた。

「あなたに字を教えてあげられるほど、私も暇じゃないのだけどね」

 言いながら、チラシの裏に何やら書き付けていく。

「それでも、自分の名前くらいは書けたほうが良いかもね。アシェリー、これがあなたの
名前」

「すごい!初めて見ました!」

 自身の名を眺め、その目をキラキラと輝かせる。この程度のことでこうも喜ばれるとな
んだかかえって心が痛む。

「あの、これ…もらって良いですか」

「どうぞ。どうせならいただいても良いですかと、言って欲しいところだけど」

 言葉遣いを正され、慌ててアシェリーが言い直す。

「それを見ながら練習しても良いけど、仕事はきちんとするのよ。わかった?」

「ありがとうございます!」


 それからしばらくは極めて平穏に時が流れた。メイドはきちんと仕事をこなし、ミゼット
の機嫌はすこぶる良く、そんな妻を見て夫もまた上機嫌だった。

 そんな最中、異変は起きた。