帰宅したミゼットは、すぐさま炊事場に置いてあるアシェリーの荷物を検めた。彼女だって
本当はこんなことをしたくない。何も出てこなければそれで良いと思った。だが、そうではな
かった。

「アシェリー、いらっしゃい」

「はい、奥様」

 呼ばれて、すぐさま隣室で作業をしていたアシェリーが駆けてくる。ミゼットの声音がいつ
もと違うことに気付いたのだ。

「悪いとは思ったけれど、あなたの鞄を見させてもらった。これ、私のものよね?」

 視線の先には、ピアスが片方とレースのハンカチが一枚あった。どちらも最近ミゼットが
失くしたものだった。

「はい、そうです」

「そうですって、何故あなたの鞄から出てくるの?」

 悪びれもせず言うアシェリーにミゼットは苛立ちを隠せなかった。

「それは…借りました」

「借りたですって?私の許しも得ずに勝手に鞄に入れることをあなたは借りたというの?」

「はい、おくさ…」

「いい加減にして頂戴。それを世間では借りたとは言わない。泥棒というのよ、アシェリー!」

 もう我慢の限界だった。子供相手に怒鳴りたくはないが、これではどこまで行っても平行
線だと思った。

「私のためなら何でもすると言ったじゃない。あれは嘘だったの?」

「嘘じゃありません!あたし、奥様のためなら何だって」

「じゃあ何で私に迷惑掛けるようなことするのよ。どうでも良いから徽章を出しなさい」

 ともあれ、まずは徽章を取り戻そうと思った。込み入った話はそれからだ。

「きしょう?」

 アシェリーは首を傾げる。

「バッジのことよ。私の制服についていたでしょう」

「バッジ…知らないです」

 一瞬、アシェリーの動きが止まる。だが、すぐに首を横に振った。その様子にミゼットは確
信を深める。

「とぼけないでよ!あなた以外に考えられない。お願いだから、徽章だけは返して頂戴。あな
たが持っていたって何の得にもならないけど、私はあれがないと困るのよ」

 アシェリーに詰め寄り半ば懇願するようにして言った。だが、当のアシェリーは首を横に振
るだけだ。

「何で嘘つくのよ!」

「嘘じゃないです」

 信じてください、そう言って瞳を潤ます。この人形のような澄んだ瞳にこの前も結局負けたの
だと思い出した。言わないなら言わせてやろう、そう思った。アシェリーを睨み付け、利き手に
力を入れた。

「もう結構だ」

 そのとき、背後からどこまでも不機嫌な声が割って入る。ミゼットは行き場をなくした手をゆっ
くりと下ろした。

「もうたくさんだ。ミゼット、残念だが徽章は諦めろ」

「どういうこと?」

「この家に泥棒は要らない。今この時を持って、アシェリーはクビだ」

「ゼイン、そんな…」

 夫が自分の意見を無視して、強引に何かを決めてしまうことは滅多になかった。それだけに、
こんなときどうして良いかわからなかった。

「何か間違ったことを言っただろうか。この娘はただのメイドではない。ミルズのメイドだ。
彼女が何か問題を起こせば、君も私も泥を被ることになる。そうなってからでは遅い」

「それはそうだけど」

「心配しなくとも、今日までの給金はちゃんと支払う。今後二度とこの家に近付かないというの
なら、多少色を付けてあげても良い。ともかく直ちに出ていってくれ」

 アシェリーへ目をやると、ゼインに迫られガタガタと震えていた。いつもよりいくらかマシだが、
それでも子供に向ける表情ではない。彼女はすがるような目をミゼットに向ける。だが、こうなっ
た以上もはやどうしようもない。

「摘まみ出されたいのか」

 その一言で、取るものも取らずアシェリーは戸口へ走った。

「かわいそうだが仕方がない」

 ミゼットが何か言うより早く、ゼインが口を開く。

「あの娘はね、これまでまともに躾も教育も受けてきていないのだよ」

「そうかもしれない」

 実際のところ、そのことにはミゼットも気付いていた。だからこそ、何事においても一から
根気良く教えてきた。アシェリーのほうも、不器用ながら努力を重ねていると思っていた。

「泥棒をしたと、あの娘は認めたかい?」

「いいえ、借りただけと言ったの」

 先ほどのアシェリーの態度からは、罪の意識が欠片も見えなかったことを思い出した。

「善悪の判断すらつかないのだろう。それを教え込むのは並みのことではない」

 夫の言う通りだと思った。少なくとも、仕事をしながら片手間にできることではない。釈然
としないが仕方がない。そんなことを考えながら何の気なしに棚の上を見た。アイロンを掛
け終った衣服が畳んで置いてある。昼間、アシェリーがしたのだろう。

「え?まさか」

 衣服の間に、何かがキラリと光る。

「嘘でしょう」

 それは、彼女が探しに探していた徽章そのものだった。何故こんなところにあるのだろう。

「どうしたんだね。顔が真っ青だが」

「徽章があったの」

「良かったじゃないか」

 明るい声を上げる夫を横目に、ミゼットは固まる。

「思い出した。制服の手入れをしようと思って外したんだった。それで、棚へ置いて…そこへ
アシェリーが洋服を置いたのかも。だから、あの娘徽章を見ていたんだ。だけどどこでかは
思い出せなかった」

 ミゼットの顔から見る見る血の気が引いて行った。取り返しのつかないことをしてしまったと
思った。

「まったく人騒がせだな、君は」

「どうしよう。私、あの娘にとんでもなく申し訳ないことを」

 軽蔑しきった視線を向ける夫に、ミゼットは構わずすがり付いた。

「いずれにしても、それ以外に盗られたものがあるのだろう。だったら、結果的には同じことだ」

「でも!私あの娘のこと、嘘つき呼ばわりしてしまった。あのままじゃ、あの娘は何で怒られた
のかわからないままよ」

 信じてと言ったアシェリーの瞳が脳裏から離れない。せめてもの救いは、手を上げる寸前に
ゼインが割って入って来たことか。

「どこへ行くつもりだ」

「散歩よ」

 戸口へ向かうミゼットをゼインが追う。このまま感情に任せたら、また何をするかわからな
いと思った。

「ついて来ないでよ」

「私も散歩だ」

 言い合いながら玄関の戸を開けると、目の前にアシェリーが膝を抱えて座っていた。

「アシェリー!」

 ふたりして同時に叫ぶ。

「奥様?!旦那様!!」

 ゼインが怖いのか、アシェリーが顔を歪める。

「後のことは君に任せるよ」

 ぽん、とミゼットの肩を叩き、ゼインはそのまま歩きだす。

「どこへ行くの?」

「散歩だと言ったろう」