当然のことながら、お茶は渋くなっていた。少女は一口カップに口をつけるなり、うえっと舌を
出した。誰のせいだと思っているのだ。そう言い掛けて止める。

「貸してごらんなさい」

 少女からカップを回収し、砂糖とミルクをたっぷり入れてやる。

「すごい!奥様、おいしいです」

「それは良かった」

 美味そうにお茶をすする少女を見ながら、ミゼットは本日何度目かの溜め息を吐いた。

「それを飲んだら帰ってね」

「もうお仕事終わりですか?」

「いいえ、あなたを雇うことは出来ない。メイドの話はなしよ」

「どうしてですか?何がいけないですか?」

「何がって、あなたお茶も満足にいれられないじゃない」

「もう覚えました。明日は出来ます」

 少女は立ち上がり、両手をぎゅっと握り締める。

「そういうことじゃなくて。掃除だって、洗濯だって、この調子で一から教えなければならな
いのでしょう?そんなの無理よ。私は忙しいからこそ手伝ってくれるひとが欲しいの」

「じゃああたし、どうしたら良いですか?」

 少女の目が潤む。ミゼットはたまらなくいたたまれない気分になる。

「施設へお帰りなさい。そこで、もう少しあなたに適した仕事をもらいなさい」

「帰れない!絶対奥様に気に入られなさいって言われて来た。今度失敗したら、出て行けっ
て言われたから!」

「そんなこと私に言われたって…」

「いや!帰れない、帰らない」

「ちょっと、どこに行くの」

 少女はわーっと泣きながら廊下へ飛び出す。慌ててミゼットがその後を追い掛ける。

「いやぁ!」

「ちょっと」

 少女は泣き叫びながら、床を踏み鳴らす。そして、手近にあった籠から鋏を取り出す。

「なんのつもりよ!」

 思わずミゼットが目を見張る。少女は両手で鋏を握りしめ、自分の胸めがけて今にも振り
下ろそうとする。

「帰れない!もう死ぬしかない!」

「やめなさい!第一、そんなんじゃ死ねない。痛いだけよ」

 ミゼットに怒鳴られ、少女の動きがぴたりと止まる。しゃくり上げる声だけが辺りに響く。

「それでもやりたいって言うなら止めないけど、相当痛いからね。全身血まみれになって、痛
くて、苦しくて、そのうち息も出来なくなる。刺してから後悔したって知らない。私は助けてあげ
ないからね」

 ミゼットの言葉を聞きながら、みるみる少女の決心が鈍ってくる。鋏を握る手が力を失った。

「鋏は子供のおもちゃじゃないのよ。いらっしゃい!」

 少女から鋏を奪い取ると、その手を強く引いた。

「離して!奥様ぁ」

 少女の腕を掴み、無理やりに引っ張る。そして、そのままずんずんと歩いていく。

「まったく、なんてことをするの!」

 ミゼットはソファに腰を下ろし、その上へ乱暴に少女を横たえた。そして、嫌がる少女を押さ
え付け、一気にスカートを捲りあげてしまう。

「え?!いや!」

「嫌じゃない。ああいうことは、たとえ冗談でもしてはいけないの!」

 下着の上から、思い切りお尻を叩く。ぎゃあっと少女が悲鳴を上げる。

「いくら仕事に失敗したからって、そんなことで自暴自棄になってどうするのよ。 あなたの人生
これからでしょう。死ぬなんて言わないの」

 未だ幼さの残るお尻が、ひとつ打たれる度に右へ左へ揺れる。下着の上からでも、ほんのり
とお尻が赤くなっているのがわかる。

「小さな子供じゃないんだから、癇癪を起してはだめ。わかった?」

「うん…うん…」

 懸命に返事を絞り出したが、それではミゼットは納得しない。

「返事ははい、でしょう」

 言いながら、更にお尻を打った。

「はぁい」

「それから、いけないことをしたときには、何か言うことがあるでしょう?」

「え!言うこと?!」

 少女は眼をきょろきょろさせて懸命に考える。だが、答えがわからない。

「ごめんなさいでしょう」

 正解とともに、大きく平手を振り下ろす。

「ご、ごめんなさい!」

「良い?もう絶対しちゃだめよ。わかった?」

「はい!奥様!」

 良い子のお返事に、ミゼットは満足して叩く手を止めた。

「起きなさい」

 少女を立たせ、落ち着くまでそのまま様子を見守る。

「ごめんなさい、奥様っ」

「こんなに泣いて、折角可愛い顔が台無し」

 泣きじゃくる少女の頬を撫で、そっと涙を拭う。

「あなたはとてもステキなんだから、どうせならもっと笑いなさいよ」

 ね?と、ミゼットが微笑む。

「おく、さま…」

 その笑顔がとても眩しかった。これまで誰かにこんなふうに笑いかけてもらったことなど
ない。誰かに自分だけを見てもらうということ自体がなかったのだ。

「奥様」

「なあに」

 遠慮がちに自分へ視線を送る少女にミゼットは視線を合わす。

「ここに置いてください」

「それは出来ないって言ったでしょう」

「でも、あたし奥様のところで働きたいです」

 少女は頑として譲らない。思い切って目を上げ、まっすぐにミゼットへ向ける。

「そう言われても困るのよ。大体、あなたは私が怖くないの?」

 つい先ほど、あれだけ痛い、怖い目に遭わせたのだ。普通なら怖がって近寄らないだろうと
思った。少女はしばらくの間、沈黙する。

「怖い…です」

「だったら」

「でも、奥様はやさしいです。おいしくないお茶をおいしくしてくれました。それから、笑ってくれ
ました」

「そんなことで…」

 言いながら、この娘の身の上を考えればあながちあり得ないとも言い切れないと思った。
詳しい素性は知らないが、決して幸福な生い立ちをしてはいないだろうと想像できた。

「あたし、必ず奥様の役に立ちます。奥様のためなら何でもします。頑張りますから」

 涙の乾き切らない瞳が、またしても潤み出す。お願いしますと膝へすがられ、ミゼットの心が
大きく揺さぶられる。

「わかった、雇ってあげる」

 そして、ついに根負けする。この少女の申し出を断るのは、まるで小動物を苛めるようで良心
がひどく痛んだ。

「ありがとうございます、奥様」

「但し、あなたはこの家のメイドになるのだから、恥ずかしくないようにしなさい。良い、えーと…」

 はにかむ少女を前に、ミゼットが固まる。

「私、大事なことを聞き忘れていた。あなた、お名前は?」

「アシェリー」

 それは、この娘にぴったりな名前だと思った。

「そう。じゃあ、アシェリー。お茶を入れて頂戴」

 ゼインが帰ってきたら、何と言って弁解しよう。考えると頭痛がしたが、ともかく今は問題を棚上
げにして、おいしいお茶を飲み直そうと思った。


 了 2010.6.30 「契約」