「シェール、また血を見ることになるぞ」

 タリウスに言われ、はっとしてシェールは口から指を出す。半ば無意識のことで、やって
いる本人にも自覚はないのだろう。これではいくら叱っても効果は期待出来ない。

 シェールが爪を噛むようになったのは一体いつからだろう。思えば、一度も爪を切って
やったことなどないのに、彼の爪が伸び放題ということはなかった。しかし、タリウスはその
ことについて特に疑問を感じることはなかった。

「何故こんなことをした」

 それ故、深爪し、血の滲んだ指を最初に見たときには、大いに驚いた。

「どうして自分で自分を痛めつけるようなことをするんだ」

「そんなの、そんなの知らない」

「知らないって…」

 そこから先はわからないの一点張りである。

「ともかく爪を噛むんじゃない。みっともないし、それに汚い」

 その場で手酷く叱り、次にこんなところを見たらお仕置きだとまで言った。しかし、それ
でも弟の爪噛みを止めさせるには至らなかった。

「シェール!お前また…」

 兄の声にシェールはビクリと身体を強張らせた。湿った指先にギザギザの爪、これでは
言い逃れしようにも出来ない。

「言った筈だ。今度やったらお仕置きだと」

「やだ」

「シェール」

「お兄ちゃんに迷惑掛けてないもん」

「そういう問題では…」

「やだ!!」

 一声吠えて、毛布に潜り込む。籠城である。

「シェール」

「もう、きらい!きらい!きらい!きらい!」

 怒涛の嫌い攻撃に涙が混じる。こうなったらしばらくは手がつけられない。毛布の塊を
横目に、タリウスは辟易した。


「シェール、眠ったのか」

 弟が大人しくなってからもう随分と時が経つ。毛布の端をそっと掴むと、反対側からす
ぐに引き戻された。

「わかった。お仕置きはしない。だから、出ておいで」

 塊は動かない。

「もう怒らないから」

 沈黙する毛布の塊を眺めながら、弟を不安定にしているのは自分なのかもしれないと
思った。知らず知らず、追い詰めていたか。

 それから少しして、小さな子供が毛布から脱皮してくる。熱いのと泣いたのとで顔が赤
かった。

「確かにお前の言うとおり、俺は少しも迷惑を被ってない。だけど、目の前でお前が傷つく
のをやはり見たくない」

 傷ついた手を大きな手が挟む。兄の手はあたたかく、ずっとそうされていたいと思った。

「ともあれ、一朝一夕で直るようなものではないだろうから、それは俺が悪かった。爪が伸
びたら切ってやるから、遠慮せずに言いなさい」

「足も?」

「足?」

 視線を落とすとベッドに投げ出された二本の足がある。なるほど、足の爪は伸びている。

「いいよ」

 引き出しから爪切りを出して、ベッドの前に屈む。パチパチと爪を切りながら、淋しいのだ
と理解する。少し前まで、この手のことはみんな母親がしていたのだろう。

 自分は母親にはなれず、またなる気もない。それでは何ならなり得るか。それはこれから、
時間を掛けて模索すれば良い。シェールの爪噛みと同じである。


 了 2011.1.8 「自傷行為」    リクエストくださったアイさまへ♪


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