夜の街を歩くのは何だかドキドキして、自然と歩む速度が上がる。

 相変わらず暗いところは苦手だったが、それでも今は少しも怖いと思わない。何故なら、
大きな手がしっかりと自分の右手を握ってくれているから。

 シェールは兄と共に、王都を上げての祭りに来ていた。彼にとっては、日が落ちた後も
外にいて良い滅多にない機会である。

「シェール。頼むから迷子になるなよ」

「うん」

 往来には所狭しと露店が並び、只でさえ狭い通路には人々がひしめきあう。シェールは
人当たりしそうになりながら、どうにかこうにか屈強な手に付いて行った。

「もしもはぐれたら、そのときは諦めて宿へ帰るんだな」

「そんなぁ。ちょっとは捜してよ」

「お前の場合、いなくなったが最後、トコトン深みにはまるからな」

 それを言われると立つ瀬がない。

 そんなやりとりをしていると、一際明るい夜店の灯が目に入った。その刹那、なつかしい
記憶が脳裏に蘇った。


 何年か前、彼は今日と同じように夜祭へと繰り出していた。今より一層小さかった手を母
が引いてくれた。

「ねえママ。あれ、なあに?」

 雑然と並ぶ露店のひとつにシェールの目が止まった。

「射的。へぇ、懐かしいわね。ほら、あそこにたくさんお菓子が並んでいるでしょう。ナイフを
投げて、上手に的に当たると同じ色のついたものがもらえるの。シェール、欲しい?」

「欲しい!ねえ、とれる?」

「たぶんね。どれが良い?」

「んーと、あれ!」

「了解。緑ね」

 息子の指差した景品をエレインが確認する。菓子に張られたタグは緑色。続いて的のほ
うに目をやり、同じく緑色に塗られたエリアを確認する。

「いらっしゃい」

「お釣は結構よ」

 テキ屋のおやじが小銭を寄越すが、彼女はそれを制す。これで五回分はある計算だ。

「ほう。お母さん、やる気だ」

「まあね」

 ナイフは一回に付き三本。同じエリアに二本以上入れば、景品がもらえる。ただし、大物
が掛かったエリアは小さい上に、空くじのエリアと隣接している。

 エレインがナイフを構え、ほんの一瞬目を閉じる。ガッという小気味の良い音と共にナイフ
が的に突き刺さる。続けて二投三投とナイフを放つ。

「すごい!ママ、みんな当たった」

 寸分の狂いなく三投すべてが緑色の枠内におさまる。シェールが歓喜の声を上げた。だ
が、それにも増しておやじの動揺のほうが激しい。

「お母さん…あんた!堅気じゃねえな」

「あはは、そんなこともあったような…。昔のことはもう忘れたわ」

 反面、身体はしっかり覚えていたようである。伊達にスナイパーの異名は持っていない。

「勘弁してくれ。金は返すから」

 この調子でやられたら、目玉にしている景品をすべてとられる。返金で済むなら安いものだ。

 元来この手の賭事は、軍関係者ならば士官候補生も含めすべて御法度である。怪しい客に
は鼻が効くつもりだったが、今回は女だと思って油断した。

「良いわよ、私はもうやらないから」

 端から一回で止めるつもりだった。あちらも商売だ。多めに硬貨を渡したのは、こうなること
を予測していたが故だ。

「でもさ、この子にはやらせてみて良い?」

「ああ、それなら良いぜ。坊やはこの線まで出な」

 エレインの申し出にほっとしたのか、親父は平生を取り戻したようだった。

「ママぁ」

 シェールは親父から受け取ったナイフをおっかなびっくり摘みあげる。

「腕を後ろに引いて、手首を使って思い切って投げる。とりあえず一番大きな的を狙いなさい」

「うん。………えい!」

 言われたとおりにやった、つもりだった。しかし、ナイフは的には届かずカランと落ちた。

「良いわ。今度はもっと身体全体を使ってみて」

 言われるまま大きく身体を揺すってナイフを放つ。先ほどより気持ち遠くへ飛んだようにも
見えるがまだ的には届かない。

「良いわよ。構わないからどんどん投げちゃいなさい」

「うん」

 段々ナイフを投げること自体が楽しくなった。次第に的へは当たるようになったが、それで
も刺さるところへは至らない。

「何で刺さんないんだろ」

 残りのナイフが少なくなるにつれて、シェールは落ち着きをなくす。残るはあと一回。

「焦ったら余計に当たらないって。大体、一朝一夕で出来るものでもないし」

「でも!とりたい。ねえママ。どうしたら良い?」

「そうねぇ…あんたは投げる瞬間、何を考えてるの?」

「へ…。当たりますようにとか」

「あら、それじゃあダメね」

「じゃあどうしたら良いの」

「それはねぇ…」

 エレインは息子の横に屈むと、何やらそっと耳打ちする。

「そうすれば当たる?」

「たぶんね。その代わり他のことは一切考えちゃだめよ」

「うん、わかった」

 シェールはナイフを構え先ほど母がしたように一瞬目を閉じる。そして、勢いよくナイフ
を放る。自分の放ったナイフは真直ぐに的へと向かった。

「当たった!」

「そうそう、その調子。さあ頑張って」

 嬉しさが込み上げて来る。そのまま二投目を投げるが、失速し的の手前で虚しく落ちた。

「あれ!?」

「言った筈よ。余計なことは考えない」

「うん…」

 これが最後のチャンスである。シェールは大きく息をして目を閉じる。そして、的を睨み付
けナイフを放つ。手からナイフが離れた瞬間、シェールは再び目を閉じた。

「やるじゃないの!さっすが私の息子」

 テキ屋の振る鐘の音が響き、背後から母に抱きすくめられる。薄目を開けると、最後に放っ
たナイフは辛うじて色の付いたエリアに刺さっていた。

「あんたら来年はもう来んなよ」

「あははは。悪かったわね」

 親父は大小の菓子を親子に手渡すと、あからさまに迷惑そうな顔をした。


「やっていくか?」

 ぼんやりと射的屋を眺めていると、ふいに隣りから声を掛けられる。

「うん」

 タリウスが硬貨を渡し、引き換えにシェールがナイフを受け取る。彼は的を見詰め、適当な
ところでナイフを投げる。ナイフは的には刺さったものの、生憎色のないそのエリアは空クジ
である。しかし、今ので大体の距離がわかった。

 さて、何を狙おうか。シェールは景品と的とを見比べた。

「あまり高望みはしないことだな」

 兄の一言で彼は狙いをある一点に定める。

「よし!当たった」

 狙い通りの枠におさまったナイフを見て、小さく喜ぶ。そして、すぐさま三投目のナイフを
構える。彼は一瞬目を閉じた後、パッとその目を見開く。

「!」

 カラカラと鐘の音がして、身体が宙に浮く。

「シェール!出かした!!」

「あ…」

 タリウスに抱かれながら、シェールは見事ナイフの命中した的を見詰める。

「当たった…ほんとに当たったよ?」

「驚いたな。まさかこんなに上手だとは、思わなかった」

 シェールを地に降ろし、わしゃわしゃと頭をなでるタリウスは珍しく興奮気味である。

 自身の教え子よりかよほど上手い。シェールのナイフを投げる姿勢が中々様になってい
たことからも、これがまぐれ当たりでないことは明白だった。

「えへへ。前にママに教えてもらったんだ」

「道理で上手い筈だ。エレインに当たるおまじないでも教わったか」

 先ほど最後のナイフを投げる前に一瞬シェールが目を閉じたことを思い出す。

「うん。心の中で集中ってだけ考えるんだよ」

「それは…良いことを聞いた」

 本当は同じことを教え子たちにも言ってきたが、どうやらこのまじないはシェールにしか効
かないらしい。

「ねえお兄ちゃん。今でも僕、ママに似てるって思う?」

「ああ。見た目も中身もそっくりだよ」

 不運にも旧友は早世したが、その魂は脈々と受け継がれている。小さな包みを手に、屈託
のない笑みを見せる幼子が、タリウスにはどうしようもなく愛おしい。


 了