ぷっつりと夢が途切れ、タリウスは目を覚ました。

 朝までにはまだかなり時間がある。目を閉じようとして、何の気なしに隣のベッドを窺う。
 小さな弟が、丸くなって眠っている筈だった。

「シェール?」

 だが、ここからでは弟の姿が確認出来ない。胸騒ぎがして、彼ははっきりと覚醒する。

 起き上がってベッドを検めるが、やはりどこにもいない。ぬくもりを失ったシーツに触れ、
彼はじんわりと背中が濡れるのを感じた。

 階下に向かい、真っ先に玄関の扉を確認する。思ったとおり、かんぬきが外れていた。
次第に速くなる心臓を抑え、辺りを捜索する。月の綺麗な晩だった。

 捜し物は案外早くに見つかった。裏庭に佇む小さな影を見て、安堵した直後、今度は
言い様のない怒りが込み上げて来た。彼は息を殺し、獲物に近付く。

「んっ?!」

 片手で身体を持ち上げ、残ったほうの手で口を塞ぐ。まるで釣られた魚のように、シェ
ールは腕の中でジタバタと抵抗した。しかし、タリウスは一言も発することなく、そのまま
玄関の前まで行き、階段へ腰を下ろす。そして、くるりとシェールの向きを変えた。

「やぁ!おにい…」

 少しだけ自由になった上半身をくねらせ、自分をこんなめに遭わせているのが、兄だと
わかる。

「いったぁ!」

 バチン!と、いつの間にか剥かれてしまったお尻に、飛び切り痛い平手が降った。その
後も休む間無く、小さなお尻を平手が襲う。

「やーだ!やーっ!んんっ」

 強烈な痛みと恐怖に、シェールが声を上げると、またしても口を塞がれてしまった。その
状態で十ばかりお仕置きをした後、タリウスは放心する弟を自分の前へ立たせた。

「ふぇっ…」

 声を出せばきっとまた叱られる。そう悟ったシェールは、ぐずぐずと遠慮がちに泣いた。
指の間から兄のほうを盗み見ると、恐ろしい形相でこちらを睨み付けている。その視線に
耐え切れず、一度はおさまり掛けた涙が再び溢れた。

 しばらくの間、膠着状態が続く。兄が自分に怒っているのは明白だ。ならば、自分に非が
あるのだろう。シェールには、それが何なのかまではよくわからなかったが、ともかくこれ
以上はこの緊張に耐えられない。

「ごめんなさい、お兄ちゃん」

 怒った兄は本当に恐かったが、それでも頑張って目を見た。その目が僅かだが和らぐ。

「これが俺でなければ、どうなったと思う?」

 言われて、先程突然抱え上げられたときの恐怖が戻ってくる。人買いや人さらいと呼ば
れる輩がいることは、シェールも知っていた。恐らく兄はそういうことを言っているのだろう。

「帰って来れない」

 自分で言っていて青くなる。

「お前のことはいつだって守ってやるつもりでいたが、こうも勝手なことをするのなら、無理
かもしれない」

「ごめんなさい。もうこんなことしない。しないからぁ」

 何だか兄に見捨てられるようで、シェールは居ても立ってもいられなかった。

「おいで」

 幼い泣き顔を前に、するすると怒りが溶けていく。タリウスは膝の上へシェールを抱き上
げた。

「目が覚めて、隣にお前がいないとわかったとき、どんな気持ちがしたかわかるか」

 きっと自分なら半狂乱になって兄を捜すだろう。大の大人である兄に対してそうなのだか
ら、ましてや自分が相手ならどうなるか。

「いっぱい心配した?」

「した」

 短く返すと、弟は心底済まなそうな顔をした。

「子供を心配するのは親の努めだと思っている。だから良いけど、それでも少しは考えろ」

 はい、とシェール。これ以上は何を言っても同じである。

「大体こんな夜中に何をしていた」

 そこで、後は疑問を解消することにした。

「別に何も。ただ眠れなかったから」

「暗いところ、駄目なんじゃなかったか?」

「お月様が出てたから、外のほうが明るかった」

「あ、そう」

 他に言い様がない。

「ともかく夜中に勝手に外へ出るな。これではいくら門限を守ったところで意味がないだろう」

「あ。そっか」

 弟は目から鱗が落ちた様子だった。そんな弟を見ながら、タリウスは深い溜め息を吐く。

「そろそろ戻ろう」

 とても眠れる状況ではなかったが、ともかく身体だけでも休めようと思った。シェールを下
ろそうとすると、その目が不満そうにこちらを見た。

「お尻が痛くて眠れない」

「よしよし、わかった」

 甘えた声にこちらもやさしい声音を使う。

「だったら、一晩中反省していなさい」

「うそぉ」

 タリウスは生意気にも苦情を申し立てる弟を再び俯せにしてしまう。シェールはごめんな
さいを連発する。そんな兄弟を月明かりがやさしく照らしていた。