昼食の後、兄弟は木陰で休息を取っていた。ふと見ると、いつの間にやら小さな弟は眠っ
てしまったようだった。あれだけ激しく動いた後だ。無理もない。弟のあどけない寝顔を見な
がら、彼もまたまどろみ始めた。
シェールが目を覚ますと、あたりはうっすらと暗くなり始めていた。彼の視界に兄の姿はな
く、代わり兄の持ち物がきちんと揃えて置かれているのが見えた。
仰向けで大きく伸びをすると、夕日に染まっていく空が目に飛び込んで来た。彼はそれを
綺麗だと感じる一方で、根拠のない恐怖をも感じていた。このままみんな真っ赤に飲み込
まれてしまったら、どうしよう。目を背ければ良いのに、何故だかそれが出来ない。
そのとき、背後から足音が近付いて来る。
「お兄ちゃん!」
空に向かって叫び、立ち上がる。
「起きたか」
「お兄ちゃん!」
一目散に兄へ駆け寄り、その身体にへばり付く。
「どうした?置いて行かれたとでも思ったか」
「ううん」
膝を折って弟の顔を覗き込むと、その首が横に振られた。
「そんなことは絶対ないって思った。お兄ちゃんはそんなことしない」
いつの間にか絶大な信頼を得たようである。
「ああ、そのとおりだ。で、何でお前は泣いているんだ」
「それは…!」
夕焼けが怖かった、というのではあまりに格好悪い。
「ナイショ!」
「はぁ?」
弟は自分から離れ、ぐりぐりと涙を拭った。心配して損をするというのはこういうことだと
思った。
「そろそろ帰るよ」
「うんー」
またあの険しい山道を通るのかと思ったら、途端に憂鬱になった。
「あれ!そっち?」
兄は来た道とは逆方向へと歩き始める。
「帰りはな」
しばらく黙って歩いていたシェールが、ついに耐え切れなくなって声を上げる。
「これ、どういうこと?」
「どうって?」
「だって、この道すっごい歩きやすい」
彼らが現在歩いている道は人工的に舗装されており、行きに通った獣道とは比べ物になら
ないほど歩き易かった。
「知ってたんなら最初から教えてくれれば良いのに」
「頂上に辿り着くことが目的ならな」
口を尖らせる弟をタリウスが諭す。
「必ずしも楽な道が正しい道とは限らないし、それが楽しいとも言い切れないだろう」
兄の台詞に今日一日のことが思い出される。頂上に着いたときの達成感は、努力して歩い
たからこそ得られたものだ。舗装された道を行けば、兄とはぐれることもなければ、突き放さ
れることもなかった代わりに、意外と頑張れる自分に気付くこともなかっただろう。
「うん、そうだね」
弟は実に素直にうなづいた。
「行きに歩いた道は、昔エレインも俺も、歩いたんだよ」
「本当?一緒に?」
「いや、エレインのが何年か前だ。ああ、だが、モリスンさんはエレインと一緒だったと思うよ」
今も昔も、予科生から本科生に上がるための通過儀礼として、この山越えが採用されてい
る。もっとも、実際の演習は夜半過ぎから始まり、また装備もかなりの重装を強いられる。そし
て、もちろん彼らが行くのは往路復路共に獣道である。舗装された道は俗に言う教官ルートで
ある。
「誰が一番早く行って帰って来られるか競走するんだが、厄介なことに行きは三人一組なん
だよ」
「何で厄介なの?」
「自分のペースで行けないから。それに、二人ならともかく三人だと仲間割れが起きる」
「ふうん。ママとミゼット、一緒だったかな」
「どうだろうな」
組分けは教官の仕事である。自分ならばどうするか。
「多分違ったと思うよ」
「そっか。ねえまた連れて来てくれる?」
「そのうちな」
とりあえず自分だけは、そう間を開けずにここへ来ることが決まっている。彼はその前に
どうしても来ておきたかったのだ。教官ルートではなく、予科生ルートを通って。
「さあ、あと少しだ」
差し出した左手を、小さな右手が嬉しそうに取った。
了