来る。

 そう思った瞬間、身体中一切の動きを封じられる。

 足掻いても足掻いても戒めが解かれることはなく、天地が回り視界が歪んだ。

 叫べど叫べど声は闇へと吸いこまれる。

 泣き声、恨みごとに、呪いの言葉。それらが交り合い、執拗に思考を襲う。



「…イン。ゼイン、ねえゼイン大丈夫?」

 混沌の中、自分を呼ぶ声に徐々に意識が明瞭になった。

「ああ、君か」

「大丈夫?」

 目を開けると、隣で眠っているはずのミゼットが心配そうに自分を見ていた。

「またうなされていたか。毎度申し訳ないな」

「それは構わないけれど、ともかく苦しそうだったから。起こして良かったのよね」

「ああ、助かった。ありがとう」

 ひとりのときにはあまり意識していなかったが、どうやら自分は時折悪夢にうなされているらしい。 どんな夢をみているのか、覚醒した時には記憶に残らず、自身が何に恐怖しているのかわからないままだった。

「怖い夢をみていたの?」

「正体不明のね。鬼のミルズが悪夢に怯えているだなんて、とんだお笑い草だ」

「あなたは鬼じゃない」

 耳元で囁く声があまりにやさしくて、即座に心が融けて行くいくようだった。いつもは子猫 のように気まぐれで奔放な瞳も、今は静かに自分を見ていた。彼女の解かれた髪をなでると、 さりげなくこちらへ身を預けてきた。

「恨まれるのが仕事だから、ある程度は仕方ないと思っているよ」

「そりゃそのときはそうかもしれないけど、でもいずれわかるから」

「そうではないことも現実にはあるようだ」

 言いながら天井を見上げた。隣でミゼットが動く気配がして、彼女はベッドから降りた。

 おそらく、自分で自覚している以上に他人から恨みを買っているに違いない。心当たりが あり過ぎて、むしろわからない。

 これまで自分の放った一言が他人の人生を変えたというようなことも、少なからずあった。
彼らが去り際に浴びせた罵声は今でも脳裏に焼き付いている。

 人の気も知らないで。


「身体が温まれば、また眠れるかも」

 ベッドの中へ戻ったミゼットが使い慣れたカップを寄越した。花の香りがふわりと辺りを包む。

「すまない、君だって疲れているのに」

「本当に眠たきゃ構わず寝ているでしょう、私なら」

 コロコロと笑う子猫を抱き寄せ、カップに口を付ける。エキゾチックな味がした。

「おいしい?」

「香りほど甘くなくて、飲みやすい」

「鎮静効果があって、不眠に効くそうよ。パパが言ってた」

 頂戴と目で訴えられ、口元までカップを運んでやる。どうやら毒味をさせられたようである。

「あら、本当においしい」

「父上に失礼だろう」

「平気よ、言わなきゃわからないもの」

 自分ひとりならどれほど恨まれようと構わない。だが、仮に彼女がその対象になったとし たら一切の身動きが取れなくなるだろう。

 今まで強くいられたのは何一つ失うものがなかったが故だ。

「そのうちあなたのママにも会わせてくれる?」

「もちろんだ」

 もしものときには守りたい。そんなことを言ったら、きっと怒るだろう。彼女なら間違いな く共に闘うと言い切る筈である。

 自身の不安が取り越し苦労であることを願いながら、目を閉じる。腕に子猫を抱きながら。


 了 2010.11.21 「混沌」 こえを聴く  あとがき?