「昼間はいきなり妙なことを頼んで悪かったわね」

 仕事が引けた後、再びミゼットと一緒になり、そのままふたりで城下へと出た。

「いえ。ご親戚か何かですか」

「ああ、そう見えた?」

 ミゼットはクスリと笑った。

「あなたと会う二十分前、道に迷って本番に間に合わないと泣き付かれて、それでつい」

「本当に迷子だったわけですか」

「ええ。ごめんなさいね、私のお節介に付き合わせて」

「構いません。ただ…」

「ただ?」

「らしいなと思って。北の予科生たちも随分とあなたを慕っているようでした」

「ああ、あの娘たちのときも、それから今回も、なんとなく昔を思い出して、そうしたら世話を焼きたくなったのよね」

 彼女は、かつて旧友がそうであったように、なかなか理解しがたい側面がある一方で、基本的には親切で、情に厚い。それが今日まで彼女と付き合った上でわかったことだ。

「さっきのあの娘ね、ただの迷子じゃない。直前になって、場所が馬手に変更になったと言われたんだって、そんなことあるわけないじゃない。嘘の集合場所を伝えられたのよ」

「何故そんなことを?」

「そうまでして引きずり下ろしたかったんでしょう。つまり、それほどまでの力をあの娘はもっているということになるけど、本人は嵌められたことにも気付いていない。全く呑気なものよ」

 ふいに、先程見たばかりの邪気のない横顔が思い出された。あんなにも幼い頃から、熾烈な争いは始まっているのか。それにしても、たまたま行き逢った迷子にそんな事情があると、よくわかったものだ。

「そう言えば、確か以前、舞踊団にいらしたとか」

「大昔にほんの少しね。御在位をお祝いする祭典で私も踊ったこともあるんだけど、その帰り道、たまたま目に入った士官募集のポスターで人生変わったのよ」

「この時期に士官しようと思われたんですか」

 タリウスは思わず目を見張った。ただ志願するには今時期でも充分間に合うが、合格を狙うのなら話は別だ。

「受かるわけないと思うわよね。私もそう思った。親もまわりも。けど、受かった。エレインのお陰っていうか、エレインのオマケで」

「どういう意味ですか。そもそも何故急に仕官しようと?」

「それ聞く?あんまり気持ちの良い話じゃないし、特にあなたの立場だと余計に不愉快に感じるかもしれないけれど」

「構いません」

 ここでやめられるほうがよほど気になるというものだ。

「私、昔からとにかくダンス一辺倒で、当然将来はダンサーになりたかったんだけど、両親に反対されて。まあ、今言ったとおり、華やかな表層と違って中身はドロドロだし、実力だけでやっていける世界でもない、言ってしまえば堅気の仕事じゃないから、両親の言っていることもわかったんだけど、それでも、諦められなくて」

 言いながら、くるくると奔放に動く瞳に、ほんの一瞬影が落ちた。

「で、一回だけという約束で舞台に立ったその帰り道、物凄い達成感を得た一方で、他には何もなくなっちゃって。それで、何か新しいことしようかなぁって」

「待ってください。それで士官を?」

「ええ。朝から晩まで踊り狂う生活をしていたから、体力には自信あったし、足もわりと速かったから、とりあえず何とかなるかなって。それに、剣舞もやっていたから、一応剣術の基礎もあったし。まあ、シャドーばかりだから全然戦えなかったけど」

 確かに、これまで何度か彼女が剣を操るさまを見たが、溜め息が漏れるくらいその姿は美しかった。

「それから、軍学の類いはにわか勉強で頭に詰め込んだ。もっとも軍法はちんぷんかんぷんだったけど、これはまあ今でもそうだし」

「それはそれで問題のような…」

「ええ、未だに予科生みたいな質問をしては先生に怒られてる。とにかく、そんなわけで採用試験を受けたら滑り込めた。つきまくていたのね」

 最後の一言は自嘲めいて聞こえた。

「無事に予科生になって、そこでエレインと出会った。エレインは一年前にも受けていて、成績優秀で、特に間接攻撃の名手だったから、本当は前の年に採りたかったけれど、女をひとり採るわけにはいかないから、保留になった。で、翌年は私がいた。エレインを採りたいがために私も採ったのよ」

「どこでその話を?」

「決まってるじゃない、先生よ。入校式の夜に言われた。私はエレインのオマケだから、私自身には何の価値もないし、何の期待もしてないって。それ、本人にわざわざ言う話?ジョージア教官、あなたなら?」

「なかなかあり得ない状況なので、すぐには判断出来ないですが、それでどうしたんですか」

「どうしたもこうしたも、そんなこと言われたら頭に来るじゃない?絶対見返してやろうと思った」

「確かに不愉快でしょうが、なんというか、それ以前に、傷つきませんでしたか」

 念願叶って予科生になれたその日に、地獄に叩き落とされるようなことを言われたとしたら、自分ならば恐らくは再起不能に陥っただろう。彼女の鋼のメンタルには畏敬の念をおぼえた。

「いくら本当のこととはいえ、そりゃ傷ついたわよ。私、そのとき十四よ」

 全く鬼のミルズは子供相手にすら容赦ない。そんなことを考えていると、ふと何かが頭に引っ掛かった。

「先ほどの質問ですが、答えはノーです。私ならそんなことは言いません」

 子供相手だからこそ言ったのだ。

「何故なら、事実ではないから」

「はい?」

「考えてもみてください。いくらエレインが欲しいからと言って、当時の彼女はスタートラインにすら立っていない、謂わば、海の物とも山の物ともわからない状態です。その状況で、彼女を獲たいがために、中央士官学校の貴重な一席を無価値な人間のために開け渡すとは到底思えません。少なくとも自分が先行に絡んでいたら、たとえどれほど下っ端であっても全力で阻止したと思います」

「えーと」

 予期せぬ話に、完全に思考が停止したミゼットをそのままに、タリウスは先を続けた。

「これは想像ですけど、大した目的意識もなく、なんとなく仕官したあなたには必死さがなかった。先生はそれが気に食わなかったんだと思いますよ」

 怒りが悲しみに勝ったことこそ何よりの証拠だ。

「あのさ、恥ずかしすぎて、このまま帰りに川へ飛び込みたいんだけれど」

「やめてください。私が先生に恨まれます。それに、自分がその状況でも信じたと思います。その年齢なら」

「やさしいのね」

「見た目に反して?」

 大きな瞳が瞬いた。

「ごめんってば」

「今に始まったことでもないですが」

「それにしても、厳つい軍人も誰かの親だとわかると、途端に安心するから不思議よね」

 そうなのだ。それがわかってからは、自身の教え子にはなるべくそのことを悟られないようにしていた。

「そういう意味では、初めから私を怖がらなかったのは、シェールくらいなものです」

「あの子は人の本質がわかるのね。最近は妙に先生を警戒しているけど、それがまたかわいくて。またうちへも寄るように言って頂戴」

 そこで分かれ道に差し掛かり、彼女と別れた。どうやら無事に復活を遂げたようである。

 タリウスは改めて上官の言葉の影響力に感服すると共に、ミゼットが帰宅後余計な話をしないことを心密かに願うのだった。




 了 2020.9.6 「王」