「ねえ、とうさんのとうさんってどんな人?」
「どんなって…」
「とうさんに似てる?」
「そうだな、自分でそう思ったことはないが、親子だからな。多分似ていると思うよ。会ってみたいか」
「うん。会いたい!」
もう長いこと生家には帰っていない。最後に帰ったのが地方任地に就く前だと考えると、かれこれ五六年は帰っていない計算になる。
別段、両親と折り合いが悪いわけではない。ただ今日までこれといった用がなかっただけだ。それならば、息子のちょっとした好奇心を満たすために帰ったとて、構わないかもしれない。
「ただいま」
「タリウス?!」
彼女は息子の顔をみるなり、信じられないといった様子でその場に立ち尽くした。
「あなた、いきなりどうし…あらまあ、かわいいこと!この子が?」
一呼吸置いて、今度は突如帰った息子を問いただそうとする。だが、息子のすぐ隣で不安げな表情を浮かべている少年に気付くと、彼女はたちまち歓喜の声を上げた。
「シェールだ」
「初めまして、シェール。タリウスの母さんよ」
「こんにちは」
シェールは柄にもなく緊張しているようだった。屈んで目線を合わせる母の顔を伏せ目がちに見上げた。
「父さんは?」
「庭にいる筈よ。会わなかった?」
「いや」
庭を見てくる、そう言ってタリウスは再び戸外へと出た。慌ててシェールが追い掛けようとするも、後ろから制された。
「ここまで遠かったでしょう。疲れた?」
「平気…です」
「そう、元気なのね。お腹は空いてる?おやつでも食べる?」
「おやつ?!」
たちまち少年の瞳がぱっと輝いた。
「て言っても、大したものはないのだけど。まさかあなたが来てくれるなんて、露ほども思わなかったものだから」
無垢な笑顔に触れ、彼女もまた相好を崩した。
「どう?タリウスはちゃんとお父さんしてる?」
「えっと、してると思います」
「本当かしら。だとしたら、ちゃんとやさしくしてもらえてる?自分の考えばかり押し付けられているんじゃなくて?」
「そ、そんなこと…」
少年は口ごもり、なおかつ声も裏返っている。
「じゃあ、タリウスが好き?」
「大好き!!」
少年は、それはそれは嬉しそうに頷いた。
「そう。シェール、あなたとは仲良くなれそうよ」
「へ?」
「私もあの子のことが大好きだから」
そう言って笑い掛けると、シェールもまた笑った。
「そうだ。一緒におやつを作りましょうか。ドーナツは好き?」
「好き!」
「子供はみんなドーナツが好きよね。あの子も昔はそうだった」
「ほんと?」
「ええ、それがいつの頃か見向きもしなくなってね。だから、もう作ることもないと思っていたけど、嬉しい誤算よ。お手伝いをお願い出来ますか?」
「はい!」
それから彼女はシェールを伴って、台所へと向かった。
「わあっ!!」
「あらまあ、大丈夫?」
袋から粉を出そうと逆さまにしたところで、シェールは盛大に粉を被った。彼女はゴボゴボとむせ返る少年の背をやさしく擦った。
「じゃ、ないみたいね。ふふふ!」
だが、顔も手も真っ白になった少年を一目見るなり、つい吹き出した。
「あははは!」
何だか無性におかしくなって、シェールもまたカラカラと笑った。
「楽しそうだな、アリシヤ」
そこへ聞いたような声が割って入った。
「ああ、あなた。タリウスに会わなかった?」
「タリウス?帰ってきたのか」
「ええ。それも突然、こんな可愛らしい子を連れて」
「ああ、じゃあ…」
「シェール、ほら、タリウスの父さん。クライドよ」
シェールは不思議そうにクライドを見上げた。声は父親と殆ど同じだが、年を取っている分、見た目はクライドのほうがいくらかやさしそうに見えた。
「こんにちは」
「よく来たな、シェール」
クライドは、粉まみれのシェールの頭をポンポンと撫でてくれた。
「小麦粉を被っているのは良いとして。シェール、お前の父さんはどこにいる?」
「あなたを捜しに庭へ回った筈よ。おかしいわね。まさか…!」
「いや、そんなまさか」
シェールの代わりにアリシヤが答え、それからハッと息を飲んだ。そんな妻を見て、クライドもまた首を捻る。彼らはしばし互いに見合いながら声を失った。
「まさか、そんなわけがないだろう!」
両親の想像に、タリウスは大いに憤慨した。
「わからないじゃない、そんなこと」
「わからない?」
「私の知っているあなたは、そんなことしないわよ。だけど、あれから結構な時が流れているのよ。だいたい折角地方からこっちへ戻れたというのに、ろくに顔も見せないってどういうこと?」
「だから、それは…」
もちろん、彼とてそのつもりだった。だが、地方から引き上げてくる途中、立ち寄った旧友の家で、とんでもない事態に遭遇し休暇を使い切ってしまった。確かこの辺りの事情は、当時手紙でも伝えた筈だ。
「その後だって、来るよう言ったわ。それが梨の礫(つぶて)だったのに、突然帰ってきて、しかも姿が見えないとなったら、もしかしたらと思うじゃない。ねえ?」
アリシヤは弁明の言葉を遮り、一方的にしゃべり、自身の夫に同意を求めた。
「お前に限ってそんなことはないと思ったが、まあ一瞬な」
「嘘だろう」
父親の台詞に、タリウスは目を見張った。
一方、シェールはと言えば、小声で何事かを議論する大人を尻目に、アリシヤ特製ドーナツを頬張っていた。それはもうしあわせそうに。
「シェール、お前は?」
「へ?」
「置いていかれたと思ったか」
「ううん!ひょっとして…」
突然水を向けられ、シェールは目をパチクリさせた。
「タリウス!なんてことを言うの!!」
「悪かったな、シェール。嫌な思いをさせたな?」
単純に仲間が欲しかっただけだが、母には叱られ、父は間髪いれずにシェールのフォローに回った。元は自分の家だというのに、居心地が悪いことこの上ない。
「おいしい?まだあるから、たくさん食べなさい」
「あげ過ぎだ」
今のでいくつめだろう。このままでは鍋ごとたいらげかねない。
「良いじゃない」
「良いわけな…」
「あなたの息子ってことは、私にとっては孫でしょう。孫を甘やかさないでどうするのよ。タリウス、あなた馬鹿じゃないの」
「はぁ?」
そんな無茶苦茶な。母を非難しようとして、タリウスは口をつぐんだ。両親の瞳には、これまで見たこともない深い愛情が見てとれた。ここへ帰るまでは一抹の不安があった。我が子の血をひかない子供を、両親は受け入れてくれるのだろうかと、心密かに恐れていたのだ。
「散歩に行ったりすると、無駄にその辺の棒切れを拾ってきたりしない?」
「ああ、今はそうでもないけど、もっとチビの頃にはよく拾って振り回して…って、なんで?」
「あなたもそうだったから。あれって、男の子のサガかしらね。ミレイはやらなかったもの」
「姉さんは、元気?」
「さあ、何も言ってこないところを見ると、そうなんじゃないかしら」
子供の頃には口煩い母だったが、成長してからは完全に放任主義だ。
「あなたも今のうちにせいぜい構い倒すことね」
「ああ」
「それにしてもよく笑う子だこと」
再びシェールに目をやると、既におやつを食べ終え、今度はクライドに手を引かれてどこかに行くところのようだった。
「いろいろあったんでしょうけれど、今の彼が幸せそうで安心したわ。大事にしてるのね」
「そう、見える?」
「ええ」
それからひとしきり母の他愛ない話に付き合った後、タリウスはひとり勝手口から外へ出た。風にあたりたかった。
「シェール?」
息子は、自分の姿を見るなり腰のあたりに抱きついてきた。珍しいこともある。そう思ってその場に屈みながら、タリウスはハッとする。
「さっきのことを気にしているなら、本当に…」
「違う」
シェールはぎゅっとシャツを掴んだまま離そうとしない。
「どうした?」
ひょっとして父との間で何かあったのだろうか。タリウスは心配になって息子を覗き込んだ。
「うん?」
しかし、そうして目を上げた子供は物言わず、にんまりしていた。一体何なんだ。訝るタリウスに向けて、シェールが何事かを発する。
「ありがと」
小さな小さな囁き声をそう解読したときには、走り去る息子の背もまた小さくなっていた。
了 2021.2.23 「歓喜」