永遠なんてない。そんな当たり前のことを忘れてしまうくらい、穏やかに毎日が流れていた。
今日も明日も明後日も、疑うことなく繰り返されていく日常の歯車が、ふいに止まるまでは。
「シェール!」
そこには先客がいるはずだった。彼と同じくかつてこの部屋の住人だったもうひとりの男だ。
「とうさん?!」
風上から、頓狂な声が上がった。
「お前、一体どこに」
「ここだよ、とうさん。ここ、ここ」
「何をしているんだ、そんなところで」
開け放たれた出窓から上半身を乗り出すと、視線の少し上から青年が手を振っているのが見えた。
「月見酒ってヤツ?どう、とうさんも」
なるほど、宵闇にうっすらと月が顔を覗かせていた。
「まったくお前という奴は、いくつになってもこれだ」
文句を言いながらも、結局は息子の誘いに乗って屋根へと上がる。夜風が心地好かった。
「大丈夫。もう落ちはしないよ」
「流石に覚えていたか」
「当たり前だよ。後にも先にもあんなに怒られたことはないよ」
「そうか?週に一度は怒鳴り付けていたように思うが」
「まあそれもそうなんだけど。でもあのときは、屋根から落ちたことより、その後でしこたまお尻をぶたれたほうが、ずっと痛かったし、怖かった」
シェールは、一瞬身震いをする動作を見せた後で、ばつの悪そうな顔をした。
「自業自得だ」
言いながら、タリウスは苦笑した。あの頃のことは、単なる想い出として片付けるにはあまりにも濃過ぎる。
「もうすぐなくなっちゃうんだね」
「ここを離れて随分経つが、それでもやはり…」
「淋しいね」
鼻の奥がつんと痛くなる。シェールはそれを誤魔化すように、手にした酒瓶をくわえ、天を仰いだ。
「こら、程々にしておけ」
「何で?大丈夫だって」
「酔って足元がふらついたらどうする」
「相変わらず心配性だね、とうさんは」
「いかにも、俺は心配性だ」
「認めちゃうんだ、それ」
シェールは大仰にのそげる。いい加減長い付き合いになるが、いまいち父の特性というものがわからない。
「何も今に始まったことではない。もっともお前のお陰で随分と改善されたがな」
「僕?」
「お前ときたら、朝から晩までヒヤヒヤ、ハラハラさせて、いちいち心配していたら、こちらの身がもたない」
「あはは、確かに」
昔の自分は、なかなか結構な悪餓鬼だったと自覚している。それだけに父の苦労は並大抵のものではなかった筈だ。
「あ!」
そうして過去に思いを馳せていると、ふいに酒瓶を掠め取られた。
「月見酒か、悪くないな」
「ちょっと?」
シェールの虎の子の酒は、豪快に父の喉へと送られていった。
「そろそろ降りるぞ」
そんな父にあっけにとられている間に、ひょいと酒瓶が手元に戻った。
「あっ!!入ってないじゃん」
「そう騒ぐな」
「だ、だってぇ」
「下へ行って飲みなおしだ」
「おごり?」
「ああ。お前のな」
「ええっ?!」
時の流れは残酷だ。残酷な故に終わり、また始まる。
了 2014.10.27 「いつか」