マクレリィ夫妻に自分なりの報告を済ませた後、タリウスは弟を伴い教会の中へ入った。そろそろ帰らなければならない時間だが、その前にひとつやり残したことがある。
「楽しく過ごせましたか」
若き教父長は客人たちの姿を認めると、すぐさまシェールの前に屈んだ。
「はい、教父長様」
「それは何よりです」
シェールはと言えば、もうすっかり涙も乾き、教父長に頭をなでられ、嬉しそうにしていた。
「とても晴れやかなお顔をされていらっしゃいますね。お気持ちが決まられたのですか」
教父長はしゃがんだまま、今度はタリウスに視線を移した。
「何の話?」
タリウスが答えようとするその前に、シェールが不思議そうにこちらを窺った。
「教父長様と大事な話があるから、お前は部屋にいなさい」
「でも…」
シェールは兄の側を離れたくないのか、繋いだ手にきゅっと力をいれた。
「シェール、すぐに戻る」
だが、やさしく諭すようにして言うと、しぶしぶ手を離した。
「よくご決断なさいましたね」
教父長は応接室にタリウスを迎え入れると、朗らかに言った。
「前々から考えてはいましたが、少し前に決定的な出来事がありまして、先程腹を決めました」
「何か問題でも?」
決定的な出来事という言葉に、教父長が眉をひそめた。
「先日、シェールがその、誘拐されまして」
「はい?」
教父長は両目を見開いたまま、しばらく全身の動きを止めた。そんな彼に対し、タリウスは過日の事件についてざっと説明した。
「全く大変なことに巻き込まれましたね。ともあれ、よくぞ無事に連れ帰っていらっしゃいました。あなたでなければ、なし得なかったでしょうに」
「これまでもいろいろありましたが、今回は本気で焦りました」
「そうでしょうとも。シェールはどうにも向こう見ずなところがある子です。絶対的な居場所を得ることで、少しは大人しくなると良いのですが、あの子の両親を知っているだけに、こればかりは何とも言えません」
そう言って頭を抱える教父長を見て、タリウスは苦笑するより他なかなかった。
「ところで、法的な手続きについては出来る限りお手伝いいたしますが、どうしますか。シェールにはいつ?」
「そのことについて、少々お願いが…」
「はい?」
そこで、タリウスはいくらか声を落とした。
「シェール、良い知らせがあります。あなたに新しいお父様が出来ますよ」
「へっ?」
正に寝耳に水だったのだろう。シェールは驚いて、目の前の聖職者を凝視した。
「どうしました?嬉しくないのですか」
「だって、教父長様。僕には今…」
そこまで言うと、シェールははっとして言葉を切った。
「ウソでしょ?!」
そして、小さく呟くと突然戸口に向かって走り出した。
「一体どうしたと言うんですか。シェール、待ちなさい」
シェールは無我夢中で走った。教会の中を走ることは勿論ご法度だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「お兄ちゃん!!」
階段の下に見えた求めていた影に、シェールは勢い良く飛び掛かった。突然飛び出してきた弟に、タリウスは面食らいながらも、どうにかその身体を受け止めてやる。
「イヤだ、行かないで」
「ん?一体誰がどこへ行くと言うんだ」
「えっと、うんと、どこって、僕にもよくわかんないけど、でも!とにかくどこにも行かないで」
「何の話だ?」
自分にしがみついて何事かを喚く弟に、タリウスは辟易した。
「シェール、お待ちなさい」
「イヤだ!!」
ようやく追いついた教父長は肩で息をしていた。その間も、シェールは嫌だ嫌だと繰り返す。
「すみません、これは一体…」
タリウスには一向に状況が理解出来ない。自分はただ、シェールを養子に迎えたい旨を教父長から伝えてもらうよう頼んだだけだ。
「それが私にもさっぱり…ああ、ひょっとして、あなた、お兄さんと引き離されると思ったのですか」
「違うの?!」
悲痛な声に、二人は顔を見合わせ、それから失笑した。
「全然違います」
「で、でも。お父さんがなんとかって………え?」
そこでようやく気付いたのか、シェールは背後の兄を振り返った。
「全く悲しいくらい信用がないのだな」
「えっと、だって、うそ………本当に?」
「お前さえ良ければの話だが」
まじまじと見上げた兄は、如何とも言いがたい微妙な表情をしていた。シェールはもう一度タリウスに抱きついた。
「いいに決まってる」
その手は先程より強く兄の肩を掴んだ。
「そうか。なら、決まりだ」
タリウスはお返しとばかりに、これでもかと小さな身体を抱き締めた。
「本当によろしいんですか?お分かりのように、その子の親はちょっとやそっとじゃ努まりませんよ」
「望むところです」
そう言って愛し子を見詰める瞳には、穏やかな光が宿っていた。
了 2021.7.4 「光」