ガシャンという派手な音が上がり、ややあって軍長靴の音がカツカツと近付いてくる。

「そこで何をしている」

 タリウスである。彼の目に飛び込んで来たのは、粉々に割れた硝子の破片と、顔面蒼白で固まる少女がふたり。

「すみません」

「質問に答えろ」

 現状から大方の予想はついたが、あえて本人の口から聞くのがここでのやり方である。

「ミス・シンフォリスティに教具を片付けるように言われて、その、手がすべって」

 イサベラは一瞬こちらを見たがすぐに目を伏せてしまう。隣を窺うと、アグネスも同様に項垂れたままだ。

「何がどうすればそんなに手が滑るんだ。不注意にも程がある。ともかく片付けろ。話はそれからだ」

 タリウスは殊更怒りを表すこともなく、あくまで淡々とした口調で指示を出す。しかし、少女たちは後ろ手のまま一向に動こうとしない。

「ぼさっとしていないで行動しろ」

 凍り付いた彼女たちの視線はある一点に注がれている。タリウスは少女たちを一瞥し、視線の先に向かった。

「もう一度聞く。お前たちはここで何をしていた」

 教官は、硝子の破片の中から羽のついた球のようなものをつまみ上げ、ふたりの目前に突き付けた。先程とは打って変わり、タリウスは鬼の形相である。


「先生、堪忍してください!」

「動くな。叩きづらい」

 タリウスは椅子に腰掛け、イサベラを膝へ横たえる。そうして、先程彼女たちから押収した木の板を、お尻目掛けて振り下ろした。指導用のパドルのようだがそれよりもひとまわりほど大きく、柄も長い。

「キャー!!痛ったい!」

「騒ぐな」

「でも本当に本当に痛いんです!それに、は、恥ずかしいです」

「恥ずかしいことをするからだろう。馬鹿馬鹿しい。ラサーク!」

 ふいに視線を上げると、壁に向かって起立させている筈のアグネスが、そっとお尻に手を伸ばしているのが見えた。

「動くな。気を付けだと言っただろう。やり直されたいのか」

「結構です!すいませんでした」

 アグネスは慌てて姿勢を正し、ついでに級友から目を背けた。殆ど悲鳴のような謝罪から、彼女の受けた罰の厳しさを伺い知ることが出来る。

「それで、何故こんな事態になった」

「ですから、先程ラサークが言ったとおり…」

「お前に聞いているんだ。とっとと答えろ」

「痛った!ですから、教具を棚に戻していたら、バトルドア(*バドミントンの前身のような競技)を見付けて、ちょっとやってみようかと、それが間違えだったのですが…それで、手がすべって花瓶に当たってしまい、反動で落としてしまいました」

「この狭い室内でそんなことをしたらどうなるか、子供でもわかる筈だ」

「すみません、つい」

「何がついだ。少しは反省しろ」

「ギャー!!」

 これでは息子の躾と大差ない。タリウスは怒りに任せ、叩く手に力を込めた。子供以下の訓練生には、相応のお仕置きだろう。

「考えが足りませんでした。本当にすみませんでした」

「終わりだ。立て」

 きっちり1ダース打たれたところで、教官の膝から解放される。その間、泣こうが暴れようがまるでお構いなしだ。

「とんだ恥さらしだ。これがうちの訓練生ならここから叩き出しているところだ。全くリッデル教官には心底同情する」

 これでようやく赦されると安堵した矢先、教官の言葉に少女たちの顔色が一変する。

「待ってください!こんなことが先生の耳に入ったらふたりとも殺されてしまいます」

 既に実証されたとおり、目の前にいる教官も確かに恐ろしいが、それよりも自分達にとっては、この先長い付き合いになるであろう郷里の教官のほうがより脅威だった。

「知ったことか」

「先生には報告しないでください。お願いします!」

「お願いです、ジョージア先生。何でもしますから!」

「言ったな?」

 イサベラが何の気なしに喚いた言葉尻をすかさず教官がとらえる。

「イサベラ!!」

 アグネスが絶叫し、イサベラが青くなる。

「本当に何でもするか」

「何でもと言うのはちょっと…」

 火のように熱いお尻とは反対に、背中は無性に寒い。思わずイサベラは後退った。

「ならば、交渉決裂だ」

「わ、わかりました」

 そのとき、反対側から上がった声に、教官が好奇に満ちた目を向けた。

「アグネス?!」

「先生に従います」

「良いだろう。ただし、履行期間は未来永劫だ」

「えーっ?!」
「えーっ!!」

 完全に目論見が外れた。

「当たり前だろう。たった一週間ばかりお前たちに忠誠を誓われたところで何になる。わかったら、もう下がれ」

「先生、そんな…」

「ひどい!」

「うるさい。元はと言えばお前たちがあんな子供染みたことをするからだろう。つべこべ言わずに下がれ」

 未だ不満たらたらの少女たちを追い立て、ひとりになったところで、タリウスは深い溜め息を吐いた。

 もとよりこんな馬鹿げた話を先方にするつもりはない。理由は様々だが、一番は、もしも自分が同じ立場なら、恥ずかしさに憤死しかねない。そう思ったからに他ならない。




 了 2020.5.14 「硝子」