「ただいま」

 タリウスは小声で帰宅を告げ、ベッドにいる愛し子の髪を一撫でした。ここ数日、トラブル続きで息子の起きている時間に帰れた試しがない。帰宅後の日課を終え、踵を返そうとすると、パチリと息子の目が開かれた。

「おかえりなさい」

「起きていたのか」

「ううん、今寝るところだった」

「そうか。そいつは失礼した」

  囁くように言って、タリウスは息子の傍を離れた。だが、なんとなく背中に視線を感じ、後ろを振り返った。

「シェール、どうした?何かあったのか」

「どうしてそう思うの?」

「どうしてって、お前とはいい加減長い付き合いだ。なんとなくわかる」

「棚の上」

「うん?」

 毛布の中からくぐもった声が聞こえた。

「棚の上を見てくれる?」

 シャツのボタンを外しながら、言われたとおり自分の棚に目をやる。暗がりでよくわからないが、白い封筒のようなものが置いてあるのを見て、たちまち嫌な予感がしてきた。そうして手燭の灯りを棚に近付け、予感が確信に変わる。

  封筒の表書きに宛先の記載はなく、自分の名前だけが書かれていた。この手の手紙に喜ばしいことが書かれていたことは一度たりともなかった。

「全く、お前という奴は」

 忙しいときに限って問題を起こしてくれる。思わず漏れた溜め息は殊の外深かった。

「ごめんね、とうさん。疲れてるのに」

「お前が気にするべきはそこではない」

まるで心の中を見透かされた気がした。

「それより、どうするんだ。このまま手紙を読んで良いのか。それとも先に自分の口から話すか」

「自分で言う」

 シェールは起き上がってベッドの上に座った。

「おいで」

 手早く着替えを済ませ、タリウスは息子を自分のベッドへと呼び寄せた。

「算数の試験で赤点を。手紙にはきっとその事が書いてあると思う」

「最近は比較的真面目に勉強に励んでいるよう思えたが?」

「うん。勉強はしてる。完璧じゃないかもしれないけど、でもちゃんと努力した」

「ならば、仕方がないだろう」

 タリウスはそこでもう一度溜め息を吐いた。

「成績のことをとやかく言うつもりはないが、それがすべきことを怠った結果なら話は別だと話した筈だ。何であれ、努力した結果がそれなら、仕方ない。残念だが、力が出し切れなかったのだろう」

「そうなんだけど、でも。何が残念かって…」

 シェールが上目遣いでこちらを窺った。

「寝坊して試験に間に合わなかったから、なんだ」

「ね…」

 一瞬、息子の言葉に耳を疑う。

「この馬鹿者が」

「自分でもそう思う」

 そう言われてしまうと、他に何も言いようがない。

「それで、一応行くには行ったんだけど、時間が全然足らなくてほとんど出来なかった」

「だろうな。しかし、お前が寝過ごすとは珍しい。朝稽古をしなかったのか」

「いつもの時間に起きてはいたんだけど、天気が悪くて、それで」

「二度寝か」

「うん」

 間が悪いことこの上ない。

「それがたまたま試験の日で、なおかつ俺が明けの日に?全く悲しいくらい運がないな」

「本当そう思う」

「この際だから言うが、夜更かしも大概にするんだな。まあ、お前には良い薬になっただろう」

話は終わったとばかりに、タリウスは立ち上がった。シェールはと言えば、未だ俯いたまま動かない。

「お仕置きされなければ、反省出来ないのか」

「そんなことないけど」

「だったら、二度と同じことを繰り返すな」

「もうしないよ、たぶん」

「多分?」

 思い出した。忙しいときに限って問題を起こすわけではない。忙しさにかまけ、目を離した隙に、こんなことをしでかすのだ。不安げな息子を見ながらかつてのことが次々と思い出された。

 息子はもはや幼子ではない。気を引こうとわざとしたことではないだろうが、無意識のなせる業かもしれなかった。

「多分とはなんだ」

「だって、もしかしたらまたやっちゃうかもしれない」

「そんないい加減な誓いでは、どうせまた同じことをするに決まっている」

 そもそも予防線を張るとは何事か。

「わかった。望み通りにしてやる」

 再び息子の隣に腰を下ろし、その腕を鷲掴みにする。シェールは咄嗟に抵抗を見せたが、膝に組み伏せる頃には大人しくなった。

「十回だ。但し、声を出したらやり直させる。良いな」

「はい」

 手の平を堅くし、重力に任せお尻に叩き付ける。鈍い音がした。

「っ!」

 耐え難い痛みにシェールが息を飲むが、辛うじて声は発していない。続け様に同じところを打つと、今度は両足を蹴り上げた。しかし、息子は未だ沈黙を通している。なかなか堪え性がある。

 半ば感心しつつ、そのまま同じ場所を狙い撃ちにした。

「ほら、これで終いだ」

 結局、ジタバタと派手に暴れはしたが、シェールは終始声を上げることなく罰を受けきった。そして、今は着衣を戻しながら、恨みがましい視線をこちらに送って来る。

「同じところばっかり、ひどい」

「散らしたら罰にならないだろう」

「けど…」

「お前はいつから俺のお仕置きにケチをつけられるほど立派な人間になった?」

「………ごめんなさい」

 シェールは未だ不満そうな素振りを見せていたが、この状況で喧嘩を売ってくるほどの度胸はない。息子が賢明な判断をしたことに安堵し、ひとまず解放することにする。

「まあ良い。サインはしておく」

「とうさん」

「今日はもう寝なさい。もし、他に話したいことがあるなら、明日ゆっくり聞こう」

「明日お休みなの?」

「ああ」

 実際に非番だが、気になることがあり兵舎に行くつもりだった。だが、それよりも今は息子のことのほうが気掛かりだ。

「シェール」

 息子に視線を合わせ、それからそっと肩を抱いた。疲労と眠気でぼんやりしていたのだろう。シェールはされるがままだ。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 そうして幼さの残った瞳がこちらを見返してくるのを見て、思わず安堵の溜め息が漏れた。


 了 2020.6.21 「誓い」