タリウスが所用を済ませ自室へ戻ると、あまりの散らかり具合に目を見張った。その酷
さと言えば、思わず部屋を間違えたかと思うくらいだ。だが、脱ぎ散らかされた服も床に
散らばった紙類もすべて弟のものだとわかる。彼は、溜め息と共に静かに込み上げてく
る怒りを感じた。

 生来、自分がこういった類いに細かいことは自覚している。そのため、シェールにあま
り多くを望むのは気の毒だと思い、最低限身の回りの整理さえしていれば、あとは目を
つぶっていた。

 しかし、現状はあまりに酷い。ここらできちんと躾直さなければなるまい。彼は散らかり
放題の部屋を片付けたいと思う衝動を抑え、弟の帰りを待った。

「ただいまぁ」

 数十分後、そんな兄の胸中を知る由もなく、のんびりとシェールが帰ってきた。

「おかえり」

 タリウスは読んでいた本を乱暴に閉じた。その音にシェールはピクリと身を縮める。辺
りを見回せば、正に惨状。何故兄が不機嫌なのか一目瞭然だった。

「随分とまあ、俺もナメられたものだな」

 冷ややかに言って、弟を見上げる。シェールの背中を冷たいものが伝う。

「何なんだこの有様は。遊んだ後はきちんと片付ける。脱いだものはたたんでしまう。
だらしなく脱ぎっ放しにするなと言っただろう。わかっているのか」

「はい」

 こうなったら兄の怒りが静まるまでじっと耐えるほかない。シェールは神妙に返事を返す。

「わかっていてどうして出来ない?その気になればすぐに終わるはずだ。それが出来な
いのは、気持ちの問題ではないのか」

「気持ち?」

 それまで大人しく話を聞いていたシェールが、不思議そうに顔を上げる。

「そう。やりたくない、めんどくさい、そう思っているからいつまでも終わらないのだろう。
いつの間にか、すっかり怠け癖がついてしまったようだな」

 言われてみれば、確かに気がゆるんでいたかもしれない。やらなくてはならないとわ
かっていつつも、叱られないのを良いことに後回しにしていた。たちまち後悔でいっぱい
になる。

「ごめんなさい。すぐに片付けるから」

「当然だ。だが、その前に…」

 言って、タリウスは利き腕を捲る。次に兄がなんというかなど、容易に想像出来た。

「嫌だあぁ」

 目に涙を浮かべ、嫌がる弟。その姿に、一瞬タリウスの心が揺れる。だが、ここで情
けをかければ後々もっと可哀相なことになりかねない。そう自分に言い聞かせ、一旦閉
じた目を開いた。

「一度身についてしまった怠け癖はなかなか抜けないからな。この際だ、痛い目に遭って、
反省しろ」

 シェールは絶望的な気持ちになりながら、兄の膝へ上がった。

 自分の膝にしがみついて震える弟に、ある種のやりにくさを感じる。いっそ反抗され
たり、悪態を付かれたほうがまだ良いというものだ。

「ちゃんと反省しているみたいだから、そうたくさんは叩かない。その分、しっかり受け
なさい」

 初めにこの部屋を目にしたときには、今日こそは厳しくしなければと思った。だが、
しゅんとなった弟を前に、結局甘くなってしまう。タリウスはそんな気持ちを払拭する
ように、手を振り上げた。

「いっ…」

 骨身に染みる痛みに、歯を食いしばって何とか耐える。その後も、次々と襲ってくる
痛みをシェールは懸命に堪えた。

「自分のことくらい、言われなくてもちゃんとしなさい」

「は…い」

 涙に言葉が詰まる。その様子に、タリウスが叩く手を止めた。

「今日からちゃんとするって約束出来る?」

「約束する…します!」

「よーし。忘れるなよ」

 ほんのり色付いたお尻をポンポンとすると、恥ずかしそうにシェールが振り返った。

「もう良いぞ」

 兄の許しを得て、シェールが起き上がる。そして、ベッドの上でそっと下着を直した。

「さあ、嫌になる前に片付けてしまいなさい」

「はぁい」

 お仕置きの後は、大抵気が済むまで泣かせておくのだが、今日はそういうわけにはい
かない。もっとも、宣言とおり大した罰は与えていないため、シェールのダメージはさして
大きくない。

 シェールが片付け始めたのを見届けると、タリウスはすっと部屋から消えた。

 その日の夜中、寝返りを打とうとしたタリウスの背に何かが当たる。訝しげに起き上
がると、ベッドの端でシェールが寝息を立てていた。

「何だってこんな狭い所で寝ているんだよ」

 床へ落ちかかっている弟を引き上げ、元いたベッドへ移そうとする。だが、途端にシェ
ールが目を覚ました。

「いやぁ」

「え?」

「ここで寝る!僕、お兄ちゃんと一緒に寝るんだもん」

「はいはい。わかったよ」

 普段控え目な弟が、正面から甘えてくることはあまりない。その必死な様子にタリウ
スは笑ってしまう。シェールを奥へ寝かせると、自分もベッドへ入る。そして、弟に毛布
を掛けてやる。

「全く、いつの間に潜り込んで来たんだ?」

 シェールは問いに答える代わりに、痛いくらいに兄へ抱き付いた。

「こら、そんなにしがみついたら兄ちゃんが寝られないだろう」

「ヤダ!」

 諭されてもなお、シェールは手を緩めようとしない。それどころか、益々力が入った。

「どうした?怖い夢でもみたか」

「うん。お兄ちゃんがいなくなっちゃう」

 小さな小さな声で呟く。

「何でそんな夢みるんだよ」

「わかんない」

 ぼやく兄に、泣き出さんばかりの弟。

「大丈夫だよ。本物の兄ちゃんはいつだって隣にいるから」

 昼間は元気いっぱいの弟にもやはり不安はある。それが如実に現れるのが、無意識の
夢なのだろう。叱られて、落ち込んだ日には尚更そうなのかもしれない。

「そんなに必死にならなくたって、ちゃんといるから」

 シェールの柔らかな髪を梳くようにして撫でる。しばらく続けていると、ふいに抱き付く手が
緩められた。見れば、小さな弟は自分にもたれ、穏やかな寝息を立てていた。



 了 2009.11.1 「怠け心」