それから夕食の片付けを済ませ 、めいめい部屋へ引き上げた。目下、誰も今朝の件には触れていない。
 
「あのね、とうさん」
 
 神妙な顔つきでシェールが自分を呼んだのは、それから間もなくのことだ。手には、見るのも嫌な程嫌いなパドルが握られている。タリウスは驚いて、思わず二度見をした。
 
「正気か?」
 
 コクリとシェールが頷く。
 
「何か話すことはあるか」
 
「ううん、ない」
 
 刹那、息子の目が泳ぐのをタリウスは見逃さなかった。
 
「自分から言い出したんだ。途中で音を上げるなよ」
 
「うん」
 
「返事は、はいだ」
 
 厳然と言い放ち、息子の手からパドルを受け取る。パシンと膝を鳴らすと、シェールはすぐさまこちらに身体をあずけてきた。既に、相当な覚悟を決めてきたのだろう。
 
 タリウスはいつものように衣服を脱がせながら、しばし逡巡した後、傍らにパドルを置いた。代わりに手のひらを硬くし、片方のお尻目掛けて思い切り叩き付けた。
 
 シェールはビクンと身体を震わせながらも、どうにか痛みを飲み込んだ。反対側の尻に続く一打を食わせると、今度も懸命に苦痛に抗っていた。
 
 その後も左右の尻に、パシンパシンと順番に平手を見舞う。どれほど叩かれようとも、シェールは身じろぎひとつせず、ただじっと耐え忍んでいた。
 
 お尻がまんべんなく色付いたところで、タリウスはお仕置きする手を止めた。
 
「もはや説教は不要かとも思ったが、ひとつだけ気にかかることがある」
 
 シェールは黙したまま、そっと上体を反らした。
 
「こんなことをされなければ、お前は自分を律することができないのか」
 
「そんなことない」
 
「ならば、いつまで人に甘えているつもりだ」
 
 些か強い口調で質すと、シェールははっとして姿勢を元に戻した。ぐすりと鼻をすする音が聞こえた。
 
「こんなことを言うと、お前は誤解をするかもしれないが、今日は言うぞ。そう遠くない未来、お前も一人立ちをする。そうなれば、もう自分の面倒は自分で見るしかない」
 
「そんなの、わかってるよ」
 
「わかっていないから、言っているんだ。いいか、シェール。寝坊したせいで進級出来なくなったら、困るのは俺でも先生でもない。お前自身だ。どうしてもっと自分を大事に出来ない」
 
 問いかけには答えず、シェールはうなだれたままだ。
 
「立ちなさい」
 
 シェールを膝から下ろし、タリウスは自分の引き出しに手を伸ばした。
 
「こいつと今朝の大遅刻に何か関係が?」
 
 そして、昼間の本を息子の目前に突きつけた。シェールは、あっと短く発した後、みるみるうちに顔色を変えた。
 
「特段、関係がないのなら、これでお仕置きは終いだ」
 
 しばらくは本を凝視したまま動かなかったシェールが、やがてとつとつと話し始めた。
 
「昨日はいつも寝る時間まで、ずっと勉強してた。それから、ベッドに入ったんだけど、なんか心がザワザワして眠れなくて。気分を変えたら寝られるかもって思って、引き出しにしまってた本を、その、読んだ。ホントは試験のあとに読もうと思ったたから、ちょっとだけのつもりだったけど」
 
「それで?」
 
「それで、気が付いたら、とうさんに起こされてた」
 
 予感はしていた。だがその反面、そうであって欲しくないと切に願う自分もいた。
 
「ねえ、どうして何も言わないの?」
 
「呆れて物も言えないからだ」
 
「とうさん、あの…」
 
「ベッドに手を付け。二度とそんな寝惚けたことが出来ないよう、教えてやる」
 
 タリウスは乱暴にパドルを掴み、赤く色付いたお尻目掛けて、思い切り振り下ろした。ビタンと派手な音が鳴った。
 
「んあ!!」
 
 これには、流石のシェールも呻き声をあげた。
 
「いぃ!!」
 
 地団駄を踏み、両足をこすりあわせる。泣こうが暴れようが、まるで無感情に利き手を振り下ろし続けた。
 
「少しは懲りたか」
 
「は…はぃ」
 
シェールは手の甲で涙をぬぐいながら、泣き止もうと必死だ。
 
「ならば、二度とするな」
 
 タリウスは顎をしゃくって、着衣を戻すよう促した。
 
「何か言うことがあるのでは?」
 
「あ、ありがとうございました?」
 
 言いながら、息子が首を傾げた。そんなことはまるで望んでいない。
 
「ごめんなさいだ。そんな関係ではないだろう」
 
 たまらなくいとおしくなって、考えるより先にぼろぼろになったシェールを抱きしめた。
 
「だって」
 
「だって?」
 
「本当はオシオキしたくなかったんだろうなって思ったから」
 
「したくてしたことは一度もない」
 
「そっか、そうだよね。ごめんなさい」
 
 シェールはきょとんとして、小さく笑った。
 
「それで、試験は受けられたのか?」
 
「ふたつあったテストのうち、ひとつはもう終わってて、もうひとつは途中からだったけど、どうにかやらせてもらった。あとは、学校が終わった後、受けられなかったひとつもやらせてもらったけど、そっちは全部あってたとしても半分くらいになるかもって言われた」
 
「そうか。残念だが仕方がない」
 
 だが、これなら最悪な事態だけはどうにか避けられるかもしれない。今もって確証はないが、考えたところで無意味でしかない。
 
「ねえ、とうさん。それで、その本なんだけど」
 
「ああ、ほどほどにしろよ」
 
 お仕置きされて気が済んだのか、シェールの気がかりは読書の続きに移ったようだ。件の本を返してやると、嬉しそうに自分のベッドへ帰っていった。
 
「あれ?しおりの場所変えた?」
 
「ああ、昼間落とした時に外れた…って、取るな。それは俺のしるしだ」
 
「は?とうさんも読んでるの?」
 
「子供の頃にも読んだことがあるが、改めて読み返したら、なかなか面白い」
 
 そうして、昼寝そっちのけで読みふけっていなければ、息子の愚行に気づくこともなかったかもしれない。
 
「もうこんなに読んだの?!信じられない!」
 
 シェールが頬をふくらませ、何やら文句を言っていたが、思い切り聞こえないふりをした。


 了 2023.3.17 「Home sweet home」