「まさか自分から申し込んでおいて、断るつもりか」

「ううん、まさか」

 本当はそのまさかだが、兄弟子の手前、言い出せなかった。そもそも決闘の理由は、敬愛する師に対して、デュークが悪口雑言を吐いたからだ。だが、その兄弟子も今やこってりしぼられ、師自らもう許すと言っていた。今更、自分がどうこう言う話ではない。

「なら、空地へ行こう」

「うん」

 しかし、まるであそびにでも誘うような口振りに、つい付き従ってしまう。

「ほら、こっちだ」

「ちょっと待って」

 話は決まったとばかりに、早々に走り出すデュークの背中をシェールは慌てて追い掛けた。行き先には心当たりがある。

「ああ、やっぱり…」

 だだっ広い空き地に、これでもかとがらくたが放置されている。まるで塵の山のようなこの場所は、かつてシェールが遊び場にし、手酷い目に遭った現場である。鼓動が早くなった。

「始めるぞ」

「え、あ、はい」

 目的は宝探しではない。二人はすぐさま剣を構えた。

 デュークは長身で、当然シェールより手足も長い。こちらにしてみればその分距離が掴みづらく、攻守において圧倒的に不利だ。

 ガチっと金属の合わさる音がして、相手の体重が剣を通して伝わってくる。やがて腕だけではその重みを受けきれなくなり、必然的に身体全身で踏ん張った。すぐさま先程痛めつけられたお尻が悲鳴を上げた。だが、それは相手かて同じ筈だ。

 シェールはギリギリのところで相手を押し返すと、身体を捻って一旦距離を取った。それから剣を握り直し、隙を見て相手の懐に飛び込んだ。

 ほんの一瞬、デュークが身体を後ろに退いた。

 今だ。

 シェールは、模擬剣を持つ手を大きく振りかぶった。

「っ…!?」

 剣先が相手の胸元に強か当たった。よし、もう一度だ。はやる心をおさえ、体勢を整えるべく足を前後に開いた。

「え………?」

 突如として足元の砂が崩れ、両足がすくわれた。

「わ、わ、わ!」

 驚いたシェールは、ジダバタと地団駄を踏んだがそれが良くなかった。みるみるうちに足元は崩れ、やがて立っていられなくなり、ついには足を取られた。

「うわあぁぁあ!!」

 シェールは砂の上に、仰向けに倒れた。幸い下はさらさらとした砂地なため、大した衝撃ではない。

 ところどころ砂に埋もれながらも、大きな穴に落ちなくて良かった、そう思っていたところ、突然目の前にキラリと光るものが迫ってきた。

「え?うそ?!やめ………いたっ!」

 反射的にぎゅっと目をつぶると、ポカっと一発、模擬剣で頭を殴られた。

「昨日のお返し」

「デューク!!」

 目を開けると、ニヤニヤと笑う兄弟子の姿があった。

「手も足も出ない状況で殴られるの、怖いだろ?」

「はぃ。怖いです」

「わかればいい。ほら」

 兄弟子の手を借り、砂の中からどうにか起き上がったそのときだ。

「おい餓鬼共!そこで何をやってるんだ」

 どすの聞いた声が耳に響いた。

「まずい、公安だ」

 デュークは口の中で呟くと、脱兎のごとく駆け出した。

「は?公安?!」

 シェールもまた慌てて模擬剣を拾い、兄弟子に続いた。当然お尻に負荷が掛かるが、そんなことを言っている場合ではない。

「こぉら!待てえ!!」

「うそでしょ?!」

 確かに父との約束は反故にしたが、別段法を犯したわけではない。当然、公安に追われる謂れもないのだが、ここで下手を打てば、考えるのだけでも恐ろしい展開になる。ほんの一瞬後ろを盗み見ると、公安の男は警棒を振り上げ、凄まじい勢いでこちらに迫ってくる。

 シェールは無我夢中で走った。そうして先を行く兄弟子に並び、追い越そうとしたまさにそのとき、突然背後から肩を掴まれた。

「ちょ、何するんだよ?!」

「良いから、こっちだ」

 デュークは掴んだ肩に力を入れ、強引に方向転換を図ろうとした。このまま速度を落とさず真っ直ぐに走り抜ければ、恐らくは逃げ切れる。

「離してってば!」

「バカ!捕まりたいのかよ!」

「そんなわけ…」

「なら、ついて来い!!」

 物凄い剣幕である。兄弟子に圧倒され、シェールは仕方なく脇道に折れた。

「待て!餓鬼共!」

 予想したとおり、今ので公安の男との間合いが詰まった。だが、デュークはまったく意に介さず、またしても手近な角を曲がった。そうして分かれ道に差し掛かる度、ほぼすべての角を曲がった。お陰でしばらく走っているうちに公安の男の気配は感じなくなった。しかし、その反面、どこをどう走っているのかシェールには全くわからなくなった。

「ここまで来れば、もう、大丈夫だ」

 やがてデュークは走るのを止め、建物の壁に寄り掛かったまま呼吸を整えた。

「なんか、迷路みたい、だね」

 シェールもまた、ひざに手を置いて深く呼吸した。

「迷路なんだよ」

「え?」

「この辺はしょっちゅう道が変わる。表向きは工事とか何とか言ってるけど、本当は余所者を入れないためにわざとやってるんだ」

「どうしてそんなことを?」

 それではわざわざ迷子を量産するようなものだ。それに何より、住人たちにとっても不便なはずだ。

「治安が悪いなりに、安全に暮らせるように考えてるんだ」

「そういうものなんですか。ところで、僕は何をしたら良いですか」

 疑問が解消されたところで、シェールは恐る恐る兄弟子を窺った。

「何って?」

「ほら、決闘。負けちゃったから」

「勝負はまだついてないだろ。続きはまた今度」

「けど、さっき」

「そんなにやめたいのか、剣術」

「違います。やめたくないです!」

 だが、男に二言なしだ。シェールはなんとも情けない顔を見せた。

「なら、また今度」

 その後は、シェールが何を言ってもデュークは同じことを繰り返すだけだった。そうして、繁華街の入り口が見えたところで二人は別れた。


「ただいま」

「シェール!一体なんなんだ、その恰好は」

 未だ昼前だというのに、クタクタに疲れ切った身体を引きずって帰ると、猛烈に不機嫌な声が耳に響いた。すっかり忘れていたが、シェールは今全身砂まみれだ。

「とうさん、えーと、これは…」

「言い訳は良い。とっとと風呂に入れ」

「えー?!お風呂は今ちょっと」

 お尻に響くから入りたくない、などと言えるわけもなく、シェールは強制的に風呂場へ連行された。

「ねえ、とうさん」

「何だ」

「とうさんがいなかったら今の僕はないのに、それなのに、全然イイコじゃなくて、何かごめんね」

「何を今更。大体、お前がいなかったら、今の俺もない。だから、お互い様だろう」

 父はさも当然のように言い放つ。そんな父を見たら、うっかり泣きそうになった。

「ほら、早くしろ!」

「うわぁ!」

 バチンと勢い良く尻をはたかれ、懸命に堪えていた涙がぽろりと落ちた。


 了 2022.12.25 「立志」