「そんなことをして、何の得になるんだよ。馬鹿馬鹿しい」

 デュークはこちらには目もくれず、苦々しく言った。

「えっ?」

「断るって言ってんだよ」

 予想していなかった返答に、一瞬頭が真っ白になる。

「えっと、じゃあ、逃げるんですか」

「バカ、違う」

「だって」

 これまでデュークとは、稽古の中で何度か剣先を合わせてきたが、未だ勝ちを奪ったことはない。相手にとって不利な一戦ではないだけに、シェールは解せない。

「オレはお前みたいな、あんなどうでも良い理由で剣術をやってるんじゃない」

「どうでも良いって。知らないかもしれないけど、僕は昔、親を…」

「知ってるよ。だけど、本当の親がいなくたって、立派な人に引き取られて、何不自由なく暮らしてるんだろう。シェールは剣をやめたところで、別に路頭に迷ったりしない。だろう?」

「そりゃそうだけど、でも…」

「オレは食っていくために、剣術で稼ぐしかない。簡単にやめるだなんて言う奴と、闘ってるほど暇じゃない」

「簡単なんかじゃないよ!」

 確かに相手にも事情があるのだろうが、こちらも一晩中考えてのことだ。そう思ったら自然と声が大きくなった。

「何を喚いている!馬鹿者共が」

 師の放った怒声に、二人は首を竦めた。

「デューク、お前は本来ならば、二度とその面を見せられんほどの無礼狼藉を働いたんだぞ」

「すいません、先生」

「だが、お前が受けた仕打ちもまた、到底受け入れらるものではない。言うに事欠いて、師匠が仕官させないなど、あってはならないことだ」

「え?仕官させないって、何でですか?!」

 あまりに衝撃的な発言に、シェールは自分の置かれている状況も忘れ、思わず聞き返した。

「新しい先生が今年は推薦状を書いてくれない」

「だから、何で?」

「同士討ちをさせないためだなんだと理屈を捏ねたところで、そんなものは屁理屈にもならん。早い話が古参の弟子が可愛いのだろう」

「デュークが受けたら、その分他の人が落ちるかもしれないってことですか?そんな酷い」

「そんな酷い奴とわかっていたら、デュークをやりはしなかった。弟弟子だからと言って、安易に預けた私の責任だ」

 師の言葉に弟子たちは沈黙した。

「だから、特別に許す気になったんだ。それをお前という奴は。デューク! 水桶を下ろせ。もう一度、たっぷり思い知らせてやろう」

 師は、長椅子に腰かけると、バシンと自らの膝を打った。

「え、せんせい、それはちょっと」

「何を恥ずかしがることがある。小さな時分には、よくこうして叱っただろう?ああ、勝ちに拘るあまり汚い手を使ったり、癇癪を起こしたりしたときには、特に厳しくしたな。さあ来い」

「ち、違うんです、せんせい」

 シェールは、兄弟子の不幸を全力で制止しようとした。師がまだ元気だった頃、無作法が過ぎて、師の膝に乗せられている子供を目撃したことはあるが、あくまでも幼い子供の話である。今の諍いは、明らかに自分に非があるというのに、兄弟子がこうも不名誉な仕打ちを受けるのは流石にいただけない。

「何だ、シェール。お前もして欲しいのか?」

「ち、違います。ホントに、ぜんぜん、間に合ってます」

 だが、我が身に降りかかってくるとなると話は別だ。そうでなくとも、先程打たれたお尻は今なお熱をもっている。

「ならば、そこで見ておれ。お前は心根がやさしいから、自分が打たれるより、かえって薬になるだろう。デューク!来い!」

 羞恥に頬を染め、デュークは師の膝の上に身体を預けた。

「そう言えば、いつだったか、ジョージア殿が仰っていた。うちの門弟は皆打たれ強い、とな」

 その独り言ともとれる呟きが終わるや否や、容赦ない一打がデュークを襲った。剣士特有の豆だらけの硬い手は、恐らく父と同じかそれ以上の威力があるに違いない。その上、兄弟子のお尻には既にたくさんの裂傷が刻まれている。

「うあぁ」

 デュークの口からは、初っぱなから呻き声が漏れ、顔は苦悶に歪んだ。

「ああ、すいません!許してください」

「良い歳をして、シェールに嫉妬したのだろう。それを誤魔化すために、あんな暴言を吐きおって」

「すいません!」

「シェールを残し、お前を他所にやったのは、残りの時間が違うからだ。シェールが仕官するまでにはまだある。たとえ私が倒れても、代わりの師を探す時間はある。だが、デューク、お前は違う。もし、直前になって私が動けなくなったら、お前を最高の状態に仕上げてやれなくなる。そう思ったから、泣く泣く手離した」

「せんせい、ごめんなさい。オレ、そんなふうに思わなくて」

「言ってないんだ、知らなくて当然だ。だがな、デューク。そもそも陰口は陰で言うのがマナーだ」

 そんなマナーは聞いたことがない。シェールは視線を上げた。だが、デュークのお尻に分厚い平手が弾けるのを見て、すぐさま顔を背けた。

「こら、シェール。目をそらすな。きちんと見ていろ」

「だって」

「何がだってだ。ついでだからいうが、いかに私を思うてくれたといえ、何故殴りかかる前に剣を置かなかった」

「え?」

「たったの五秒でもあれば、剣を横に置けただろう」

「そういう話なんですか?稽古場で喧嘩すること自体…」

「無論、褒められたものではないが、それにしたって、剣で殴り掛かることに比べれば、随分と罪は軽い」

「そ、そ、そんな簡単なことだったんですか?!」

「そうだとも。まさかお前、今の今までわからなかったのか」

「えーと、はい。なんだ、そうだったんだ」

 シェールは驚愕し、そして拍子抜けした。

「そんなこともわからないで、今日まで剣を握ってきたのか!この馬鹿者が」

「ごめんなさい!」

 不遜な弟子の態度に師は激怒した。

「デューク、お前はもう良い。シェール、来い!」

「えー?!」

「さっさとせんか!」

 デュークは、これ幸いと素早く師の膝を明け渡した。

「せんせい、ごめんなさいー!ごめんなさいぃ」

 シェールが必死になって懇願するも、師は取り合わあず、代わりにバチン!と強烈な平手がお尻に弾けた。

「痛ったーい!」

「痛くなくてどうする!馬鹿者が」

「あーん!ごめんなさい!せんせい!もうしません!」

 もはや兄弟子の姿などないも同じだ。シェールは大声で喚きながら身を捩って暴れた。鞭打たれた後に食らう平手は、想像を絶する痛みだった。順番が違うだけでこうも違うものかと、シェールはひとり戦慄した。

「二人とも当面は罰掃除だ。いいな!」

 そうして弟子たちが許される頃には、師もまた汗だくになり肩で息をしていた。

「はい!って、え?」

 二人は互いに顔を見合わせた。

「シェールの破門は取消し、デューク、お前も戻って来い」

「で、でもオレは先生にとんでもないことを…」

「私の顔を見る度、とんでもないことをしたと後悔しろ。それが罰だ。わかったら帰れ。疲れた」

 師は手にした枝鞭を振り回し、弟子たちを追い立てた。彼らは揃って頭を下げ、それから道場を出るなり、揃ってお尻に手をやった。