「おはようございます!!シモンズ先生いますか?!」

 シェールはありったけの声を張り上げ、道場の扉を叩いた。

「一体何の用だ。お前には昨日、破門を言い渡した筈だ」

 扉は閉ざされたまま、声だけがこちらへ届く。

「そうなんですけど、でも。昨日のことをやっぱりちゃんと謝りたくて。だから来ました」

「父上に叱られたか」

 僅かに師の声が軟化した。

「はい。カッとなって剣で殴り付けるなんて、ごろつきと同じだって言われました」

 そんな父の言葉を昨日は全力で否定したが、それがいかに真っ当な指摘か今なら理解できる。理由はどうであれ、無抵抗な兄弟子をたこ殴りにしたのだ。そこだけを切り取れば、確かにごろつきと大差ない。

「父上のおっしゃるとおりだ」

 父かて何も自分をごろつきにするために道場へ通わせくれているわけではない。師もまた然りである。

「だから、酷いことをして、すみませんでした」

 シェールは、姿なき師に向かって深々と頭を垂れた。昨日の自分を省みるにつけ、行いのすべてが間違っていたとは思えない。だが、少なくとも父や師を失望させたことについては、反省して然りだと思った。

「お前は何のために剣を握っている」

 戸越に聞こえた師の問い掛けに、シェールは即座に顔を上げ、それからまじまじと模擬剣を見つめた。

「強くなりたいからです」

「強くなってどうする」

「強くなったら、 もうとうさんやまわりの人に心配掛けずにすみます。それに、もっと強くなったら、大事な人を守れるかもしれない。だからです」

 シェールの脳裏には、亡き母とともに、ユリアの姿が浮かび上がった。先頃、隣人から家族へ昇格した彼女は、シェールにとって非常に大切な存在だ。

「強くなるには、力だけ鍛えたところで何にもならん。心こそ強くもて。二度と感情に任せて剣を抜いてはならん」

「ごめんなさい。でも…」

 あのときの自分には、それ以外の選択肢がなかった。大切な人が侮辱されるのを黙って見ていることが正しいとは到底思えなかった。

「何がでもだ」

 ところが、続く言葉は玄関から現れた師の一喝によって、見事にかき消されてしまう。

「悪いことは悪いと認めろ。ついて来い」

 もはや反論の余地などない。老師に腕を鷲掴みにされ、シェールはなす術もなく道場の中へと引きずられた。

「デューク?」

 玄関先には先客がいた。彼こそが因縁の兄弟子、デュークである。デュークは両手に水桶を持ち、額に脂汗を滲ませていた。随所に残った生傷は、昨日シェールが負わせたものだ。

「何を見ている。お前もやらんか」

「へ?」

 状況から察するに、デュークが罰を受けている最中であることはまず間違いない。だが、何故、他所へ移った筈の兄弟子が今またここにいるのだろう。昨日、自分が帰った後で、師と兄弟子の間で何かがあったのかもしれない。

「早くせんか!」

 シェールがきょとんとしていると、突然お尻にピシリと衝撃が走った。いつの間にか、師の手には枝鞭が握られていた。一見すると物差しのようにも見えるその枝鞭は、かつてこの道場が多くの門弟たちで賑わっていた頃、不作法者をまとめて罰するためにしばしば使われていたものだ。

「は、はいっ!」

 シェールは飛び上がってお尻を抑え、今しがた入ってきたばかりの扉から外へと駆け出した。そして、庭へ回ると、全速力で井戸水を汲み上げ、手桶へ移した。

 頭の中は未だ解消されない疑問で溢れていたが、ともかく考えるのは後だ。自分の予感が正しければ、この先考える時間はたんまりある。


「動くな馬鹿者!しっかり立たんか」

 シェールが両手に水桶を持ち、おっかなびっくり玄関を入ると、途端に怒鳴り声と共にビシビシと肌を打擲する音が耳に入った。

「死に損ないに打たれたところで、痛くも痒くもないだろうに」

「すいませんでした!!先生、堪忍してください」

「ほざけ。どの口が言うか」

 兄弟子は水桶を床へ下ろし、今度は長椅子に両手を付いて、高々とお尻を掲げていた。そのお尻が瞬く間に深紅に染まっていく。

 他人のお仕置きほど見たくないものはない。たとえそれが因縁の相手だとしてもだ。

 デュークは、弟弟子の姿が視界に入るなり、下を向いて口を閉ざした。だが、呻き声が聞こえないというだけで、苦しそうなことに変わりはない。ひょっとしたら、昨日の傷が身体に障っているのかもしれない。

「シモンズ先生、あの」

「お前は後だ。しばらく水桶を持って立っておれ」

 居ても立ってもいられず、師に取りつこうとするも、すぐさま振り払われる。こうなってはもはやなす術がない。シェールは苦悶するデュークを無理やり視界から追いやるが、それでも兄弟子がひとつ打たれたる度に身体が震えた。

「こら!シェール、きちんと立たんか」

「す、すみません!」

 お陰で、桶から飛び散った水滴で床はびしょ濡れである。

「水桶を下ろして、椅子に手を付け」

「はいぃ」

 兄弟子のお仕置きを目の当たりにし、自分の番が来る頃にはすっかり怯えきっていた。

「何だこの有り様は」

「すみません」

 あまりに怖くてつい手が震えました。そう心の中で言い訳し、お仕置きの準備をしていると、ふいに隣から視線を感じた。

 途端に身体が熱をもった。シェールは何事もなかったかのようにまっすぐ前を向き、長椅子に立て掛けてあった模擬剣を睨むようにして見た。

 枝鞭がピシリと弾ける。先程、服の上から打たれたのとは、比べようもないくらい痛い。だが、恐らくこんなものは序の口だ。

 シェールは口をへの字に結び、等間隔に襲ってくる鞭の痛みに、声を漏らさないよう懸命に堪えた。長椅子に付いた手は汗ばみ、足はがくがく震えたが、最後まで意地でも立っていようと思った。

「しばらく頭を冷やせ」

 通常のお仕置きの倍近くも打たれ、ようやく解放された。しかし、お尻をしまうと同時にすぐさま両手に水桶を押し付けられ、腫れ上がったお尻を擦ることすら許されない。師がいなくなった今、隣にデュークさえいなければ、絶対に泣いていた。

 その隣はと言えば、シェールのお仕置き中からずっと水桶を持っており、見るからに辛そうである。しかし、兄弟子の水桶には未だたっぷりと水が入っている。シェールは驚いて、つい二度見した。

「何だよ」

 あからさまに向けられた視線に気付いたのだろう。デュークが苛立った声を上げた。

「何でもないです」

 シェールはあわてて正面に向き直った。またしても水桶の滴が跳ねた。

「あの、昨日の怪我、大丈夫ですか」

「は?自分でやっておいて、よくそんなことが言えるな。シェールのそういう良い子ちゃんなところ、本当腹が立つ」

「い、いいこちゃん?!」

 思ってもいなかった台詞にシェールは声を上げた。

「だいたい昨日だって、いきなり襲いかかってこなけりゃ、こんなふうにやられることもなかったんだ」

 人が下手に出れば付け上がるとはまさにこのことだ。シェールは腹の中で再燃してきた怒りをどうにかおさめ、再度兄弟子に向き直った。

「だったら、もう一回やらせてください」

「何?」

「今度は喧嘩じゃなくて、決闘です。僕が勝ったら、昨日言ったことを全部取り消して、謝ってください」

 思い付きで言ったわけではない。昨夜から悩み、考え、最終的に出した結論だった。

「俺が勝ったら?」

「そのときは、何でも言うことを聞きます。道場を…剣をやめても良いです」