翌朝、シェールはいつもどおり朝食に降りてきた。

「朝からよく食べるな」

 タリウスが本日ふたつめのパンに手を伸ばそうとしたときだ。

「そう?」

 パンは瞬く間に目の前をかすめていった。

「でもさ、やっぱりちゃんと食べなきゃダメだって思ったんだよね。お腹が空いてたら何にも出来ないし、何にも考えられない。あ、これもらって良かった?」

「ああ、良いよ」

 幸いパンはまだひとつ残っている。いつの頃か息子と食べる量に差がなくなり、気付けば逆転した。だが、それにしても今朝は異様な早さで皿の上のものがなくなっている。

「ありがと。あとさ、夜もダメなんだよね。辺りが暗いと気持ちまで暗くなるって言うか、なんかこう不安になっちゃって」

「誰しも多かれ少なかれ、そういうことはあるだろう。だからこそ暗くなれば灯りを点けるし、夜になれば家に籠もる」

「もうさ、ずっと明るいままなら良いのに。そしたらきっと、犯罪も減ると思う」

「確かに一理あるが、静かな夜に星や月を眺めるのも悪くないだろう」

「別に昼間でも月は見えるよ?ごちそうさま!」

 可愛げのない屁理屈をこねると、シェールは勢いよく席を立った。

「これ片付けたら、出掛けてくるから」

「こんなに朝早くから、どこへ行くつもりだ」

「いろいろ」

 シェールはテーブルの上の食器を手早く重ね、炊事場を目掛けてずんずん歩いていく。

「シェール!」

「帰ったらみんな話すし、あとでちゃんと謝るよ」

「は?」

 色々と話すのは良いとして、端から謝らなくてはならないようなことをするとは一体どういう了見か。

「悪いけど急いでるから、もしそれ洗って欲しいんなら今すぐ食べて」

「結構だ」

 もとは上げ膳据え膳だった宿屋の食事も、最近ではもっぱら自分たちで下膳をしている。少しもありがたくない息子の心遣いを辞すと、タリウスはひとり嘆息した。

「おはよう、シェールくん。もう食べ終わったの?」

 今しがた二階から降りてきた妻が、息子を見て目を丸くした。こちらは休日とあって些か初動が遅い。

「おねえちゃん、おはよう。ちょっと今日はいろいろやることがあるんだ」

「そう。シェールくん、 大事な決断をする前には、必ず一旦立ち止まってね。十秒、いいえ、五秒で良いから」

「わかった」

「それから、頭の中はいつも綺麗に整理整頓してね」

「頭の中?」

「ええ、そうよ。散らかった鞄や引き出しを想像してみて。探し物は見つけにくいし、何をするにも効率が悪いわ。だから、大切なことは、きちんと分けてしまってね」

「わかった。やってみる」

 その言葉を最後に、シェールは食堂を後にし、入れ替わりにユリアがやってきた。

「おはようございます。お代わりをいかがですか?」

「あ、いや。結構だ」

 タリウスは、妻の差し出したパンの皿を一瞥するも、最終的には手を伸ばさなかった。

「シェールくんのことが心配で、食欲がなくなってしまいましたか?」

「そんなことはないが、昨日の今日であれだ。あいつもあいつの母親も、時としてこちらが逆立ちしても思い付かないようなことをやってのけるから、正直なところ、嫌な予感しかしない」

「シェールくんとお母さんは、やっぱり似ていますか」

「ああ、姿かたちだけでなくて、内面的なところもよく似ている。だが、母親のほうは、恐ろしいまでに前向きで、へこむということを知らなかったが、シェールのほうは人並みには落ち込む」

 そんなときに、母親であるエレインなら、一体何と声を掛けるのか。想像してみたところで、答えが出る筈もなかった。

「ともあれ、シェールくんが元気になってくれて、良かったと思いませんか?」

「違いない」

 柔和な声に、タリウスはほんの少し心が軽くなるのを感じた。

 後片付けを済ませると、シェールはこっそり自室へと戻った。それから音もなく階段を下り、玄関を出る前に、横目で周囲を窺った。そうして誰もいないことを確認すると、勢いよく駆け出した。利き手には使い慣れた模擬剣が握られている。

 分かれ道に差し掛かったところで、彼は歩みを止めた。一刻も早く行きたいところは右の道の先にある。だが、左の道を行った先にもまた大事な用がある。シェールは、頭の中で思考をめぐらせた。

 嫌なことは早く済ませるべきだと父は言う。何故なら、今やりたくないことを後になってやりたくなるわけがないからだそうだ。非の打ち所のない正論である。

 シェールは模擬剣を握る手に力を込め、意を決して左の道を進んだ。