釈然としないまま、タリウスは道場から辞した。彼は今回の一件に対し、親としてどう対処すべきか、正直なところ考えあぐねていた。勿論息子に非があることはわかっているが、先程の話を鑑みるに、同情の余地もまた充分にあると思ったからだ。

「シェールくん、大丈夫かしら」

 夜も更けた頃、ユリアはそう言って天井を見上げた。彼女はつい今しがた、二階から降りてきたばかりだ。

「さあ」

 一方、タリウスのほうは夕食を済ませてから今までの間、食堂に身を置いていた。この状況で息子と二人の部屋にいるのは、気詰まりでしかない。

「そんな。タリウス、心配じゃないんですか」

 妻が気を揉んでいるのはわかるが、さりとてどうにかなるものでもない。自分に出来るのは、目下静観するだけだと思った。

「心配はしています。ただ現状では、これといって出来ることがない」

「一体何があったんですか?詳しく伺わせてくださいな」

「わかりました。話せば長いですが…」

 そこで、タリウスは妻の求めに従い、先程道場で伝え聞いた事をかいつまんで話した。

「何だか話が捻れているように思えます」

 一通り話し終えると、ユリアは首をひねった。

「さしあたって、シェールくんのしてしまったことと、その、お師匠様のお気持ちとは分けて考えるべきかと思いますが」

 全くもって同感である。タリウスが無言で肯定すると、妻は更に先を続けた。

「それにしても、温厚なシェールくんがそこまで怒るなんて、よほどお師匠様のことを慕っているのね。ひょっとして、妬けるのではありませんか?」

「まさか。そもそも師弟のことに私が口を挟む道理はない」

 話の全容がわかって安心したのか、一転してユリアは楽しそうである。

「もうこの際、腹を括られてはいかがですか」

「はい?」

「ですから、またシェールくんに剣を教えて差し上げてはいかがですか?シェールくんだって、きっとそれを望んでいるわ」

「そのことについては…」

 タリウスとて思うところがある。だが、自分の中ですら未だ明確な答えが出ていないのだ。

 そのとき、ふいにタリウスが立ち上がった。

「すみません。私、出過ぎた真似を」

 突如としてこちらに向かってくる夫に、ユリアは慌てて弁明の言葉を探した。だが、彼はそんなユリアの脇をすり抜け、一直線に戸口へと向かった。

「どこに行くつもりだ」

 そして、食堂の戸を開けるなり、険のある声で訊いた。

「とうさん?!」

 突然の父親の登場に、シェールもまた驚いて声を上げた。玄関の扉まではあと二三歩という距離だった。

「質問に答えろ」

「べ、別にどこにも。ただちょっと庭に出ようと思っただけ」

「こんな時間にか」

「だって!」

 瞬間的に身体がカッと熱くなるのがわかる。シェールはそれを静めようと、両手をぎゅっと握り締めた。

「だって?」

「だって、眠れないんだもん。寝ようとしても、おんなじこと何回も考えて。ぐるぐるぐるぐるずっと同じことばっかだよ?頭がおかしくなりそう。ううん、ひょっとしたらもうおかしくなってるかも」

「それで、庭に出て何を?」

「身体を動かしたら、その、寝れるんじゃないかと思って」

 稽古の途中で破門になったため、そもそもにおいて体力が有り余っているのだ。日頃、体力の限界と共にベッドに入っていることを想えば、無理もない話である。

「夜は身体を休めるものだ」

「わかってるけど、でも。お願い、とうさん。少しで良いんだ。静かにするし、誰にも迷惑掛けないから」

 話している最中も、シェールはパタパタと忙しく地団駄を踏んだ。そんな息子をタリウスが一瞥する。そして、大きなため息を吐くと、くるりと踵を返した。

「とうさん!」

「灯りを持ってくる」

「へ?」

「付き合ってやるから、ここで待っていろ」

「わかった!」


 それから間をおかず、彼らは揃って裏庭へと出た。

 宣言どおり、シェールは黙々と剣を振るう動作を繰り返した。 ただし、彼の利き手にはいつもの模擬剣はない。数時間前、自分が課した言い付けを律儀に守っているのだ。

 一心不乱に基本の動作を繰り返す息子からは、溢れんばかりの若い力が立ち上っていた。つい先刻、あれほどまでに心を乱したというのに、太刀筋に迷いはなく、剣捌きそのものも随分と様になっている。

「あの子は大成する…か」

 タリウスは、先程のシモンズの言葉を反芻した。

 すると、砂利を踏みつける僅かな音がして、息子の身体がほんの少し横に揺れた。自分の独り言に集中力を削がれたのだろう。

「何を迷うことがある」

 シェールは答えない。

「間違ったことはしていないのだろう。ならば…」

「間違ってないって思ってるよ。けど、合ってもいないって思う。だって、武器を持たない人に斬りかかって、怪我させて、そんなの正しいわけがない」

 息子は目の前の空(くう)を見たままである。ここからでは暗くて表情が読み取れないが、タリウスには容易に想像がついた。

「シェール、そこまでだ。戻って寝るぞ」

「とうさん」

 恐らく今にも泣きそうなのを必死に堪えているに違いない。

「お前はお前のままで良い」

 そこで、どうにも我慢が利かなくなり、タリウスは息子の頭にぽんと手を置いた。途端に息子の影が大きく揺れた。