自室を出ると、タリウスはその足でシモンズ道場を訪ねた。何はともあれ、我が子の不始末を詫びるためである。

 本来ならば、まずは息子に事の重大性を説き、充分に反省を促した上で、揃って頭を下げるのが筋であろう。だが、シェールは落ち込んではいるものの、自身の行いについては頑なに正当性を主張しており、まるで反省する素振りがない。この状況の息子を翻意させるのは、恐らくかなり骨が折れるだろう。

 そもそも近頃のシェールは、あまり自分のことを話したがらない。無論、こちらから水を向ければ何らかの返答はあるのだろうが、如何せん去るものを追わないのが生まれもった気質である。

 気付けば、稽古のことはおろか、息子のことがよくわからなくなっていた。これでは親としての務めを果たせているとは言い難い。

「さて、どうしたものか」

 無意識に口から漏れた溜め息は、殊の外深かった。


 道場の前まで来ると、丁度息子の師もまた戸外に立ち、玄関に掲げられた看板を見上げていた。久々に見る老師の背中は、想像以上に痩せており、否が応でも年齢を感じさせた。如何に鍛練しているとは言え、寄る年波には敵わないのかもしれない。

「ジョージア殿。丁度これからお宅に伺うところでした。立ち話もなんです。お入りください」

 シモンズの案内で道場へ入ると、そこにはいつものような活気はなく、静けさが広がっていた。さして遅い時間ではないというのに、稽古が行われていないのは、やはり息子の起こした騒ぎの余波だろうか。

「ぼちぼち道場を畳もうと思っておりました」

 そんなタリウスの胸中を見透かすように、老師は静かに語り始めた。

「既にお聞き及びかもしれませんが、少し前から身体が固まって、言うことを聞かんのです。最近まで弟子たちが代稽古をしてくれて、どうにか道場としての体を保っていましたが、私ひとりではもはや立ち行きません。弟子たちには、特に将来を考えている者には、早々に他所の道場へ移るよう言い、実際に多くの者がここを去りました」

「そう、でしたか」

 息子からは何ひとつ聞かされていない。唯一、師の不調については自身の教え子を通じて伝え聞いていたものの、それにしても一時的なものだと理解していた。

「お恥ずかしい話ですが、全く存じ上げませんでした。そうでなくとも、最近はなかなか顔も出せずに、ご無礼をいたしました」

「試験が近付くと、貴殿の足が遠退くのは毎年のこと。軍に籍を置きながら、あの子を育てるのでは、さぞ難儀されたことでしょうな」

 シモンズは苦笑した。力なく笑う老師の瞳に映るのは、同情か、はたまた蔑みか。どうにも状況が掴めなかった。

「なんせ、一見素直そうに見えて、なかなかの頑固者だ。私が他所へ移るよう言っても、頑として聞き入れない。心底この道場を好いているということなのでしょう」

 もちろんそれは疑いようのない事実なのだろうが、それならばなおのこと、何故あれほどまでに愚かなことをしでかしたのか。謎は深まるばかりだ。

「身体が悪いと言っても、四六時中動かないわけでもありません。皮肉なもので、弟子が減ってからは調子の良い日も増え、最近ではしょっちゅうシェールと打ち合いをしておりました。

あの子は筋が良い。こちらが与えれば与えるだけ、まるで植物が水を吸い上げるかの如くメキメキと成長する。いつしか私は、あの子を最後の弟子にしようと、勝手に考えるようになりました」

 そこまで話し終えると、ふいにシモンズは顔を曇らせた。

「申し訳ございません。それほどまでに見込んでいただいたというのに、息子がとんでもない不始末を…」

「今回のことをご子息は何と?」

「それが、喧嘩が元で破門になったこと以外は何も申しません」

「やはり、そうでしたか」

 シモンズは大きく肩を落とし、それから大きなため息を吐いた。

「シェールとは、今日も早い時間から打ち合いをしておりました。その間に、他所へやった弟子のひとりが訪ねてきたのですが、シェールのほうは稽古に熱中するあまり、そのことに気付いていません。そこで私も、しばらくの間、弟子を待たせたままにしておりました。

その後、切の良いところで、くだんの弟子に声を掛けたわけですが、今にして思えば、面白くなかったんでしょうな。何の用があって私を訪ねてきたのか定かではありませんが、もしかしたら悩みがあったのかもしれない。

師も人間です。昨日今日入った者より、小さな頃から見知っている者のほうに、目を掛けがちになることもあります。ひょっとしたら、そういうことで新しい道場に馴染めなかったのかもしれない。

そんなときに弟子の目には、私と稽古をしていたシェールがどう映ったのか」

 後悔である。悲痛に満ちた老師からは、悔恨の念が溢れていた。


「何だ、まだここに残ってたのかよ」

 師匠が汗を拭っている間、少年は自身の弟弟子にあたるシェールへ声を掛けた。

「やっぱり、他所へ移る気には、なれなくて」

 シェールは荒い息のまま、兄弟子を見上げた。

「何でだよ。道場なんか他にいっぱいあるだろ」

「そうなんですけど、今更どこに行って良いのか、わからないですし」

「そんなの、先生が紹介してくれただろう?」

 言いながら師匠の姿を探したが、生憎視界に入る範囲にはいなかった。ひょっとしたら、水でも飲みに行ったのかもしれない。

「そうだ!何なら俺のところに来ないか?門弟の数も多いし、活気もある。強い人だっていっぱい…」

「平気です」

 床から立ち上がるよう差し出された手をシェールは取らなかった。

「折角ですけど、僕はここに残ります」

「何でだよ。シェールならみんなだって歓迎する筈だ。もちろんオレだって」

「シモンズ先生に習いたいんです」

「こんな潰れ掛けた道場に残ってたってしょうがないだろう」

「そんな!なんでそんなひどいことを言うんですか?」

「本当のことだろう。死に損ないに見てもらったところで、強くなんかなれるわけ………お、おい!やめっ…!」

 一瞬の出来事だった。シェールは立ち上がると同時に片手で模擬剣を掴み、兄弟子目掛けて襲い掛かった。驚いた兄弟子は、攻撃をかわそうとするあまりバランスを崩し床へ転倒する。そうして地面に倒れこんだ兄弟子に、シェールは尚も剣を振り下ろした。

「こら!シェール!やめんか!!」


「死に損ないとは言い得て妙だ。思わず納得して、止めに入るのが遅れたほどです。如何に丸腰とは言え、相手は年上かつ格上。お宅で言うところの予科生くらいです。それにも関わらず、シェールの剣が綺麗に決まって、相手は結構なダメージを負いました」

 シモンズからは少しも怒りは見られない。むしろ感心しているようだった。

「その、結構なダメージというのは、具体的にはどういった状況でしょうか」

「打撲と擦過傷です。怪我を負ったことについては、相手も含めて不問に処しています」

 理由が理由なだけに妥当な判断であろう。だが、問題はそれだけではない。

「ご子息はこれまで、感情に任せて人に剣を向けるということは皆無でした。持ち前のやさしさと、貴殿の訓育の賜物だとは思いますが、今回は師匠おもいな一面が仇になったというわけです」

「シモンズ先生、息子のしたことがおいそれと許されることだとは思っておりませんが」

 流石に即破門というのは些か処罰が重すぎはしないだろうか。

「ご子息が落ち着くのを見計らって説諭しましたが、如何せん話が入らない。その間も、死にぞこないという言葉が頭にこびりついて離れんのです。死にぞこないの私が、シェールを最後の弟子にしようとしたのは、果たして誰のためか。あの子はそう遠くない未来、大成するでしょう。そうなったときに、あの子は私が育てたと言いたいだけなのかもしれない。そうであれば…」

「まさか、それで破門に?」

 話が完全に捩じれている。タリウスは老師が否定するのを期待したが、シモンズは依然として黙したままだ。