「ザッカリー=ミラー、貴様とのんびり談笑している暇はない。さあ、吐け。あの抜け道を通って何をしていた。しらばっくっれるな!!」

 主任教官の訊問する声が廊下まで響き渡たる。もう随分長いことやっている計算になるが、その間、一度も休憩を取っていない。

「知らないようだから教えてやるが、昔は訓練中の事故など珍しくなかったのだよ。ごく希に、命を落とすことすらあった。公安に突き出されるのが嫌なら、或いは…。よく考えたまえ」

 その言葉を最後に、ゼインが部屋から引き上げて来る。ザッカリーの取り調べには、執務室や教官室ではなく、倉庫のような小部屋を使っていた。

「ジョージア、ミラーが吐いた」

 部下の顔を見るなり、ゼインが低く呟いた。

「先週、彼は例の抜け道を使い脱走を図り、信じられないことに、街中で君に見付かったそうだ」

 上官の言葉にタリウスははっとなる。あの日、ザッカリーらしき訓練生と街で遭遇し、すぐさま兵舎へ確認に向かった。だが、演習場にいるザッカリーを見て、タリウスは自身の勘違いを疑った。いずれにせよ、抜け穴が見付かった以上、報告すべき事柄であった。

「何故隠し立てした。そんなにコリンズを犯人にしたいのか」

「申し訳ございません。コリンズのこととは無関係です。報告を失念していました」

「失念?訓練生が脱走を図るなど、企てるだけでも大罪だというのに、それを忘れたと言うのか」

「大変申し訳ありません」

「もう結構。当事者である君にまともな判断が出来ると思った私が愚かだった。下がれ」

 上官はあからさまに不快感を示し、それから哀れみを含んだ目をこちらに向けた。

「先生、ミラーは犯人ではないと思います」

「下がれと行った筈だ」

「しかし…」

「ミラーの持ち物から鬼の面が出た」

「まさか…」

 タリウスは絶句した。

「これでもまだ、君はミラーではなく、コリンズが犯人だと言うのか」

 シリルの生い立ちや呪いの本、そして期限に間に合わなかった課題、それらはすべて偶然の一致で、今回の件とは無関係だというのだろうか。仮にそうだとして、ザッカリーに事をなし得るだろうか。

「ミラーには不可能です」

「何故、そう言いきれる」

「私が街でミラーを見掛け、ここに戻ってくるまで、精々二十分です。その間に、シェールに接触し、眠らせるか何かして演習林に連れ込み、鬼の装いをして追い掛け、また着替えて戻るのには無理があります」

 上官の瞳が左右に揺れる。脳内で考えを巡らせているのだろう。

「ミラーと話させてください」

「許可出来ない。君は当事者だ」

「私は当事者である前に教官です。もし、お疑いでしたら、同席していただいて結構です」

 こんなことを言えば、余計に上官の怒りをかうことになる。そう思ったが、もう後には退けなかった。

「三十分だけだ。それ以降は自白がなくとも公安に引き渡す。今夜のうちに、統括にもおでましいただくことになるだろう」

 そうして、すべてを揉み消すのだ。上官にもまた是が非でも守るべきものがある。

「承知しました」

 タリウスは一礼して、教え子の元へ急いだ。


「ミラー」

 小部屋の中は暗く、手燭と扉の隙間から差し込む僅かな光だけが頼りである。ザッカリーは、後ろ手に縄を打たれ、床に転がっていた。こちらの呼び掛けに一応反応は示すものの、視線を捉えることは叶わない。

「ザッカリー=ミラー、こちらを見ろ」

 タリウスが目の前に屈むと、今度はあからさまに顔を背けられた。悠長に説得している時間はない。

「見ろ!!」

 乱暴にザッカリーの頭を掴み、強制的に自分の方を向かせた。ザッカリーは精一杯の虚勢を張って、教官を睨みつけた。

「このままではお前は、謂れのない罪でここを追われる。公安に捕まれば、一生を棒に振ることになるだろう。それでも良いのか」

 タリウスが真っ向から睨み返すと、ザッカリーが両目を閉じた。いくらこちらが望もうと、本人にその意志がなければ助けられない。そう思ったときだ。

「嫌…です」

 硬く閉じられた瞳から涙が一筋こぼれ落ちた。

「ならば、本当のことを話せ」

「話しました!もう何度も話しました。けど、ミルズ先生は、信じてくれません」

 幼さの残る瞳から涙が堰を切ったように溢れだした。

「泣くな。もう一度初めから状況を確認する」

 ザッカリーは頷き、それから天井を見上げた。

「先週、外禁中のお前は演習林から抜け出し、街へ行った。間違いないか」

「申し訳ありません」

「全く馬鹿の極みだ。俺への当て付けのつもりか何か知らないが、それだけで退校になるには充分だ」

「後悔…しています」

「今更遅い!!」

 間近で怒鳴ると、ザッカリーが身体を縮めた。本人とて、充分過ぎるほどそのことを理解している筈である。

「それで、その後お前はどうした」

「街で先生に見られたと思って、すぐに走って戻りました。本当です。あの気味の悪い仮面のことも何もかも、俺は知りません!」

 恐らくザッカリーの言っていることは本当なのだろう。しかし、それを裏付けるものは何もない。

「そもそもお前は、どうしてあの抜け穴のことを知った?自分で見付けたのか。それとも、誰かに聞いたのか」

「それは…」

 ザッカリーの瞬きが増え、視線も合わなくなる。

「答えろ、ミラー!時間がない!」

「コリンズに、聞きました」

「コリンズにいつ聞いた」

「一回目の外禁の日、弓術の補習で矢が一本足らなくて、コリンズと演習林の奥まで確認に行きました。そのときに、ここから抜け出したいと言ったら、あいつが抜け穴のことを教えてくれて。自分はそういう意味で言ったわけではなかったのですが…」

 そこでザッカリーは困惑したような顔を見せた。

「コリンズは兵舎から抜け出して何を?」

「わかりません。でも、頻繁に使っているような物言いでした」

「お前が抜け穴を使ったのはあの一度きりか」

「はい。先週、演習林を走っていたら、たまたまコリンズに会って、抜け穴から外に出るところだと聞いて、自分も…。浅はかでした」

 ザッカリーが唇を噛んだ。悔やんでも悔やみきれないのだろう。そんな教え子を見ながら、タリウスの脳裏にある疑問が浮かんだ。

「市場で俺と会ったとき、コリンズもいたのか」

「先生からは影になって見えなかったかもしれませんが、一緒にいました」

 タリウスは驚愕した。あのとき、シリルの存在に全く気が付かなかった。影が薄いとはこういうことか。

「それで、その後コリンズはどうした」

「自分と同じように帰ったと思います。余裕がなくて、よくは覚えてませんが」

 ようやく事の全貌が見え始めた。だが、すぐさま更なる疑問が脳裏をかすめた。

「お前は今日、何故また抜け穴に行った」

「呼び出されたからです」

「コリンズにか」

「そうだと、思います」

 ザッカリーの歯切れが悪い。

「どういうことだ」

「部屋に手紙が置いてあって、抜け穴に来るよう書いてありました」

「その手紙を持っているか」

「読んだら処分するように書いてあって…」

「燃やしたのか」

「いえ、後で燃やそうと思って、とりあえず破って、部屋の屑籠に捨てました」

 扉の隙間で影が揺れ、足早に長靴が去っていった。

「せんせい」

 ザッカリーが身震いをしながら、小声で教官を呼んだ。

「自分は何をしたんですか?公安に捕まるようなことをしたんですか」

「俺に聞いてどうする」

「…たくないです」

「何だ」

 しゃくりあげながらザッカリーが何事かを呟くが、嗚咽に紛れてよく聞き取れない。

「死にたくないっ!公安に行くことになっても良いです。だから、殺さないでください」

「誰が殺すか」

「ミルズせんせい」

「ああ…」

 ガタガタと身体を震わせ、必死に懇願するザッカリーを見て、タリウスは居たたまれない心地になる。

「ミラー。どんなに成績が良かろうと、自分を律することの出来ない人間は人の上には立てない。お前は、士官候補生として不適格だ」

 ザッカリーの顔が苦悶に歪む。

「だが、命を奪われるようなことをしたとは思わない。余計なことは考えず、事実だけを言え。悪いようにはしない」

 教官の言葉に、ザッカリーは安堵の溜め息を吐いた。

 そのとき、乱暴に扉を閉める音が響き、続いて階段を駆け降りる軍長靴の音が近付いてくる。タリウスは反射的に立ち上がり、すぐさま音のするほうへ駆け出した。

「コリンズが消えた」

 階段の上リ口で上から降りてきた主任教官と遭遇した。

「同室の者が言うには、腹が痛いとかで医務室へ行ったそうだ」

 言いながら、ゼインは一直線に医務室へ向かった。タリウスも後に続く。そして、勢い良く医務室の扉を開けると、向かい側から強い風が吹き抜けた。

 開け放たれた窓辺に、カーテンが音を立ててはためいていた。