「うわあぁぁああ!!」

 あれからどのくらい時が経ったのだろう。タリウスは、またしてもシェールの叫び声で目を覚ました。

「シェール、こら…待て」

 シェールは勢い良くベットから飛び起きると、裸足のまま部屋を横切った。眠気と疲労で朦朧としていたタリウスは、即座に動くことが出来ない。

「シェールくん!」

 廊下へ飛び出したシェールを寝間着姿のユリアが抱き止めた。

「おねえちゃん!また誰かが追い掛けてきた!」

「大丈夫よ、シェールくん。それは夢よ」

「夢?」

「そうよ、悪い夢をみただけ。さあ、お部屋に戻りましょう」

 タリウスが廊下に出ると、シェールはちょうどユリアに手を引かれ、部屋に戻って来るところだった。

「すまない、ユリア」

「いいえ。お邪魔しますね」

 シェールをベッドに誘い、ユリアもまた隣に腰を下ろした。

「真っ暗の森の中を誰かが追い掛けて来たんだ。走って走って走ったんだけど、でも追い付かれそうになって、それで…」

「大丈夫だ。ここにいれば、もう怖いことは起こらない」

「でも、とうさんがいないときは?もし、とうさんが当直のときに…」

「私がいるわ。あまり頼りにならないかもしれないけれど、シェールくんと一緒にいる。それではダメ?」

「ううん、ダメじゃない」

「良かった。さあ、もう寝ましょう」

 ユリアは微笑み、シェールの毛布をやさしく叩いた。


 シェールが寝入ったのを確認すると、ユリアは振り返って隣の様子を窺った。タリウスは自分のベッドに浅く腰掛け、額に手をやっていた。

「大丈夫ですか」

 ユリアはその場に屈み、タリウスの膝に触れながらそっと顔を覗き込んだ。

「いえ、私は」

「本当ですか」

 じっと瞳を見詰められ、これ以上は嘘がつけなくなる。

「白状すると、相当まいりました」

 やわらかくあたたかな手が冷えた手を包んだ。

「シェールが今も正体不明の相手に怯えているというのに、私には何も出来ません」

 あの日以来、シェールは悪夢にうなされている。日中は普段どおり過ごせているようだが、それでも暗闇を極端に恐れるようになった。

「シェールのことは是が非でも守るつもりでいたのに、それが私のせいで、あんな目に」

「あなたのせいではないわ」

「ミルズ先生に言われました。教官は恨まれるのが仕事だと。その言葉の意味するところを私はわかっていませんでした」

 タリウスの脳裏に二日前のやりとりが再現される。


「雪割り祭りの装束が失くなっていることから考えても、シェールに手を出した士官候補生と例の女学生を襲った犯人とは同一人物だろう」

 ゼイン=ミルズは苦虫を噛み潰したような顔を見せた。上官がこうも感情を表に出すことは珍しい。立場やメンツを超えて、本気で怒っているのだろう。

「あの後すぐにすべての居室を検めたが、それらしいものは出なかった。察するに、犯人は相当強い恨みを君にもっているようだが、心当たりはないのか」

「予科生はミラーがかき回しているようで落ち着きませんが、本科生のほうは、特にこれといったトラブルはありません」

「ならば、強く叱ったり、懲罰を与えたりはしたか」

「お言葉ですが、そのようなことは日常茶飯事で、いちいち覚えていません」

「君にとっては、日常の一頁だとしても、相手もそう思っているとは限らないだろう。言った筈だ。教官は恨まれるのが仕事だ」

 上官の言葉に、瞬間的に息が詰まりそうになった。


「主任先生にお任せしておけば、必ず犯人を捕まえてくださいます」

「流石のミルズ先生も一筋縄ではいかないようです」

 あれから二晩だった今も未だ犯人の目星はついていない。いっそひとりずつ問いただしたいところだが、身内に手を出されたとあって、直接訓練生と接触することを禁じられた。

「点検をしても、聞き取りをしても、それらしい人物が見付からず、これではまるで、鬼神のようだ」

 姿なき犯人に恐怖しているのは、シェールだけではない。