翌週の週末は非番だった。タリウスは息子を連れ、市場へ買い出しに出ていた。
街で訓練生と鉢合わせになるのを避けるため、普段は出来る限り、休日の街へは行かないようにしていた。しかし、息子のたっての願いとあらば仕方がない。
そうでなくとも、昨今は息子の成長にかこつけ、更にはユリアという伴侶を得たことも手伝い、前より格段に夜勤を増やしたのだ。たまの休日くらい息子孝行してやりたかった。
目当てのものを買い終わり、二人がいわゆる繁華街に差し掛かったときである。タリウスの視界に見慣れた制服姿が写った。
「ミラー?」
該当人物は、その後も性懲りなく反抗的な態度を繰り返したため、身分証を預かったままにしてある。それが何故、こんなところにいるのだろうか。
一瞬、遠目にその人物と目が合ったように思えた。そして、次に見たときには、もはやその姿をくらましていた。
「シェール、先に戻っていろ」
「とうさんは?」
「少し気になることがある。念のため、兵舎まで行ってくる」
「えぇ?おやすみなのに」
「すまない。すぐに戻るから」
「わかったよ、もう。いってらっしゃい」
自分の用が済んだこともあってか、シェールは殊の外あっさり送り出してくれた。これでまた借りを増やしてしまったと、タリウスは腹の中で息子に詫びた。
士官学校の建物に入ったところで、予科生の二人組とすれ違った。
「丁度良かった。ミラーを見なかったか」
「多分演習場にいると思いますが」
「演習場?」
「はい。これから弓術の補習がありますし、そうでなくてもミラーはよく演習場を走っています」
「補習だと?」
窓の外に目をやると、予科生ばかりが数人、演習場へと続く道に固まっているのが見えた。
タリウスはふいに思い付いて、訓練生の動静を表すプレートを確かめた。そして、すぐさま眉を潜めた。休日だというに、予科生全員が在校していた。
「また外禁になったのか」
教官の問いに、二人組は沈黙した。
「一体何故だ。何をやった」
「愚かしいからだよ、ジョージア教官」
黙りこくる彼らに代わり、ゼイン=ミルズが答えた。
「彼らは先週末、君から外禁処分に処されたにも関わらず、何の反省もしないどころか、朝から些細なことでいさかいを起こし、あろうことか喧嘩に発展した。この私の前でだ」
「大変申し訳ございません」
主任教官の怒りが空気を通じてビリビリと伝わってくる。
「それで、君は非番だというのにわざわざ私に謝りに来たのか」
「いえ、少々気になることがあって確認に参りました」
「それは予科生の素行の悪さか」
「広義の意味ではそうです。先程、ミラーが…」
「ザッカリー=ミラーがまた何か」
「それが…」
「ジョージア先生!ミラーです。呼びますか」
先程、タリウスと話をしていた予科生が、窓の外を指差し、声を上げた。
「あ、いや。演習場にいたのなら良い。申し訳ございません、ミルズ先生。私の勘違いだったようです」
演習場にいるザッカリーを街で見掛ける筈がない。先程市場で見た訓練生は、恐らくは似通った容姿をした本科生の誰かだったのだろう。無意識にザッカリーのことを考えていて、見間違えたのだ。
「懸案事項がなくなったのなら、弓術の補習を手伝え」
「承知しました」
こうなった以上、もはや断る術などない。タリウスは再び腹の中で息子に手を合わせた。
二週続けて外出を禁じられたとあって、兵舎の中の空気は荒んでいた。先週とは異なり、弓術の補習に参加した者も、全体の半数にも満たない。また、その参加者についても、さしたるやる気は見られず、正直なところ、補習の意義があまり感じられなかった。
「せんせい!!大変です!」
補習も中盤に差し掛かった頃だ。突然、端の方でどよめきが起こり、すぐさま予科生の一人が血相を変えて走ってきた。
「せんせい、子供が…!!」
「一体何事だ」
急速に早くなる鼓動を抑え、タリウスは少年と向き合った。
「矢尻が子供にあたってしまいました」
「撃ち方止め!全員、その場に弓矢を下ろせ」
頭の中が真っ白になり、身体の外から自分の声が聞こえるようだった。
「ジョージア!!大変なことになった」
タリウスが次に見たのは、泡を食ってこちらに駆け寄る老教官と、老教官に抱かれた我が子だった。
「坊やに流れ矢が当たったらしい。幸いかすり傷で、命に別状はない。だが、何だってこんなところに…」
「申し訳ございません。ノーウッド先生、そいつの手当てをお願い出来ますか」
「そりゃかまわんが、お前は…」
「予科生から状況を聞き取ります」
タリウスはほんの一瞬、シェールの瞳を覗き込み、それから老教官の手から血の付いた矢を取り上げた。
「誰の矢だ」
辺りが水を打ったように静まり返る中、教官の目だけが左右に動いた。
「じ、自分です」
やがて、少年のひとりと目が合った。
「矢を放った先に偶然子供がいたのか」
少年は答えない。身体ごと石のように固まったままだ。
「答えろ!!」
「す、すみません。せんせい。茂みが動くのが見えて、狐か何かだと思い…」
「狙ったのか」
「まさか子供がいるなんて夢にも思わなくて」
「的以外を狙ったのかと聞いている」
「狙い、ました」
「馬鹿者!!」
教官が雷を落とし、少年が半泣きになった。
「も、申し訳ありません」
「お前が手にしているその弓矢は、市民を守るために陛下から借り受けた物だ。それを市民の血で汚してどうする!」
「すいません。申し訳ありません」
「良いか、規則には理由がある。自分が何をしたのか、もう一度よく考えろ」
言うだけ言うと、タリウスは踵を返した。
「せ、せんせい」
足早にその場から去ろうとする教官に、少年が追いすがる。
「何だ」
「あの子は、自分が射ってしまったあの子供は、無事でしょうか」
「幸いかすり傷だと聞いている」
教官は振り返るもことなく答え、それを聞いた少年は、膝から崩れ落ちた。
「シェールに流れ矢が当たったそうだが」
逸(はや)る心を抑え教官室に赴くと、扉の前で主任教官が待ち構えていた。
「ご迷惑をお掛けして誠に申し訳ございません。予科生に確認したところ、流れ矢ではありませんでした」
「どういうことだ」
「茂みが動くのを見て、動物か何かだと思い、矢を放ったそうです」
「今まで予科生に何を教えてきた!」
「申し訳ございません」
「いや、謝るべきはむしろ私のほうだ。申し訳ない」
互いにそれ以上は言葉が出てこない。ゼインが吐息した。
「ともかくシェールのところへ行ってやれ。それから、彼が落ち着き次第、何が起こったのか聞き出せ」
「承知しました」
タリウスは一礼し、教官室へと入っていった。
「とうさん!」
タリウスが部屋に足を踏み入れた途端、不安げな表情をした息子と目が合った。
「シェール、怪我の具合はどうだ」
「うん。もう、大丈夫」
シェールは気丈に振る舞ったが、肩に巻かれた包帯が何とも痛々しかった。
「何故あんなところにいた?兵舎に来てはならないとあれほど…」
「わかんないんだ」
「わからない?」
「気付いたらあそこにいて、自分でも何が何だかもう全然わかんなくて」
「そんな馬鹿な話があるか!」
ここへ来て、堪えていたものが一気に吹き出した。思い切り怒鳴り付けると、シェールが泣きそうになった。息子もまた何かを堪えていたのだ。
「まあ、落ち着け。儂が今、順番に話を聞いているところだ。それで、父上と別れてから、お前さんはどうしたんだ?」
「うちに帰ろうとしたら、後ろから呼び止められました。とうさんがその、呼んでるって」
「それはお前さんの知ってる人か」
「いいえ、知りません」
「なら、どんな人だ?例えば、髪の色は覚えているか」
「フードをかぶっていて、よくわかりませんでした」
「そんな怪しげな奴の言うことを信じたのか」
知らない人に付いていってはいけないと、幼い頃から何度も教えた筈だ。
「だって、顔はよく見えなかったけど、士官候補生の制服を着てたから」
教官たちが互いに顔を見合わせる。タリウスの背中を嫌な汗が伝った。
「少し前にとうさんと別れたばっかりだし、おかしいとは思ったけど。でも、なんかものすごく急いでて、何も聞けなかった」
「それで、その士官候補生について、お前さんはここまでやって来たのか」
「それが、途中までは覚えてるんですけど、気付いたらなんか、薄暗い森みたいなところにいて、それで、それで…」
「それで?」
「それで、森の中に、オニがいた」
「オニ?一体何の話をしている」
突飛押しもない話にタリウスが眉を寄せる。シェールは父と老人とを交互に見やった。
「ホントだって!鬼祭のときと同じお面を付けてた」
「何だって?ジョージア、話の続きはお前が聞け。儂は倉庫を見てくる」
「お願いします。それで、森の中にオニがいて、それからどうした」
「とにかく逃げなきゃって思って、人の声のするほうに走って逃げたら、今度は目の前に矢が。とうさん、その、ごめんなさい」
シェールが上目遣いでこちらを見る。自分の行いを咎められると思っているのだろう。胸が締めつけられるようだった。
「お前が謝るようなことは何ひとつない。シェール、怖い目にあったな」
「うん」
タリウスは息子の背中に手をまわし、そのまま堪えきれずに自分のほうへ抱き寄せた。言葉では言い尽くせないほどの激しい怒りと、深い苦しみとが同時に襲い掛かってきた。
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