「お帰りなさい。今夜はまた随分と遅かったですね」
食堂で書き物をしていたユリアが、待ち人の帰宅を知ったのはその夜遅くだ。
「昼間やり残したことがあって、それが片付いたと思ったら、今度は予科生がトラブルを。お陰でこんな時間です」
「お疲れ様でした。でも、当直が別にいらしたのでは?」
「ミルズ先生ひとりに押し付けて、上がるわけにもいかなくて」
「それはまた、いろいろと不運でしたね」
ゼイン=ミルズが当直に入ることはまれである。無論、彼に任せておけば何の問題もないのだが、いかんせん対応が斜め上なのだ。タリウスとしても、関わった以上、最後まで付き合わなければ、教え子を見捨てるようで心もとなかった。
「全くです。ところで、シェールはどんな様子でしたか」
そもそも不運の始まりはシェールのカンニング騒ぎだ。
「それが何だか今日は元気がなくて、始終浮かない顔をしていました。テストの出来が思ったより良くなかったのかしら」
「出来以前の話だ」
そこで、タリウスは昼間の出来事をひととおり話して聞かせた。
「いかにもシェールくんらしいですね。これが他の子供ならもう少し驚くところですが」
「お人好しもここまで来ると心配になる」
ユリアが苦笑いをし、タリウスが吐息した。
「そんな。もし、本当にカンニングをしたとして、それはもうひどく叱られるとわかっていたでしょうに、それを承知で他人の罪を被るなんて。シェールくんなりの正義だったのでは?」
「そんなものは正義ではない。偽善だ」
「手厳しいこと。それで、どうなさるおつもりですか」
「どうもこうも、しばらくすれば自ずと自分の過ちに気付く筈です。そこはさして心配していませんが、それより問題は仕事です」
「結果的に無実だったんですよね。でしたら、シェールくんのお仕事のことは、この際関係ないのでは?」
「だが、あらぬ疑いをもたれた。だいたいあいつが仕事をすること自体、賛成していない」
昼間、教師の言った台詞が頭の中でリフレインする。思い出しただけで不快だった。
「でも、本人は働くことを望んでいるんですよね」
「そこです。あいつは何故そこまで働くことにこだわる?そもそも、どうして働いているのか今一つ理解出来ない」
「私が聞いた限りでは、東方に行くためのお金を稼ぎたいという話でしたが」
「だが、その目的は達成した。それなのに、未だにあいつは働いている」
本人に理由を尋ねたところで、明確な答えを示すことはなかった。今まで黙認してきたが、これ以上はこちらが我慢ならない。
「単純に働くことが楽しくなったのでは?自分で欲しいものを手に入れられる喜びを知ったとか」
「いや、欲しいものは特にないと言っていました。だから、稼いだ分はそのまま私に」
「それでしたら、答えは簡単です」
ユリアは微笑み、きっぱりと良い放った。
「タリウス、あなたの役に立ちたいからよ」
「そ、そんなことは少しも望んでいない」
働いて欲しいと言ったことはおろか、生活に不安をおぼえるようなおもいもさせていない筈である。頭の中が何故というおもいでいっぱいになった。
「こちらが思っているほど、シェールくんはもう子供ではないのかもしれませんよ」
「そうかもしれませんが…」
もうしばらく子供でいて欲しいというのが本当のところだ。
「いずれにしても、もう一度話し合ってみてはいかがですか」
「そうですね」
果たして、こちらの言うことをすんなり聞き入れてくれるのだろうか。タリウスは息子を思い、ため息を吐いた。
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