「ナイフのこと、申し訳なかったわね。家の中とはいえ、油断した私も悪かったわ」

シェールを送り届けるという名目で、ミゼット=ミルズがやってきたのは、それから数日後のことである。

「いいえ。あれがシェールのものである以上、責任はあいつにあります」

「先生も似たようなことを言っていたけど、でもその割には、ひどくシェールに同情してた」

「同情?」

「あなたを怒らせたらどうなるか、知っているからじゃない?」

「ミルズ先生にだけは言われたくないのですが」

昔のことは言うに及ばず、必要とあらば今ですら、上官は自分以上に過酷な仕打ちを平然と強いる。

「先生にとってシェールは孫みたいなものなのよ。もうかわいくてかわいくて仕方ないみたい」

それにしても、一体孫とはどれほど可愛いものなのかと、タリウスは苦笑いをした。

「流石に先生に怒ったことはないですよ」

「そりゃそうでしょう。先生にキレたのなんて、エレインくらいなものよ」

「それはつまり…」

「昔々の話よ。知らない?」

結構有名な話みたいだけど、とミゼットは苦笑した。

「詳しくは忘れたけど、昔、濡れ衣で私が怒られたことがあって。ほら、あの頃って、得てしてそういうことがあったじゃない?だから仕方ないっていうか、諦めの境地だったんだけれど。エレインはそうじゃなかったみたいで、真っ向から先生は間違っています!とか言っちゃったのよね」

「それはまた、先生はかなりお怒りになったのでは?」

今も昔もゼイン=ミルズが一番嫌うのが言い訳と不従順である。

「怒ったなんてもんじゃないわ。キレたわよ。逆ギレって奴ね。それでも、あの子は引かなくて。それどころか、先生はご自身がいつも全部正しいと思ってるんですか?みたいなこと言っちゃってね」

「それ本当ですか」

「ええ。なかなか面白い話だから、未だに語り継がれてるわよ。酒場かどっかで聞いてきたんでしょうけど、ダルトンなんて私のことだと思っていたもの。いい迷惑よ」

「それで、どうなったですか」

タリウスは無意識に息を飲んだ。

「知らない」

「知らないって…」

「その後、私は部屋から出されたし、後で聞いても教えてくれなかった。でもまあ、よく考えたら、真っ昼間の教官室でやっていたし、多分ノーウッド先生あたりが間に入ったんじゃないかしら。あの娘、ノーウッド先生のお気に入りだったし」

「確かにやさしいですからね、ノーウッド先生は」

それは自身が訓練生であったときに感じたことであり、教官になってからは殊更強くそう思った。実際、自分が叱り倒した訓練生を、老教官がこっそりフォローする姿を目撃したのは一度や二度ではない。

「ノーウッド先生は勿論、当のゼインにしても、もう覚えてないと思うけどね」

「どうでしょうか。実は私もラサークに似たようなことを言われましたが、多分一生忘れないと思いますよ」

「ラサークって、アグネス=ラサーク?確かに気は強そうだったけど、まともそうに見えたのに」

「エレインほど直接的ではないですが、それでも没収した身分証を取り返しに来たついでに、なかなか結構なことを言っていきましたよ」

「ああ、そう。それでどうしたの?」

「聞きたいですか」

「やっぱり良い。やめとく」

後輩の名誉のためにも、ここは遠慮するのが吉である。

「とにかく驚きましたし、勿論叱りもしましたけど、不思議と嫌ではなかったですね」

「そう?」

「最近の中央は、従順の名を借りた腰抜けばかりです。たまにはああいう骨のある奴がいたほうが刺激にはなります」

「ねえ、そろそろまた女子を採るよう、ゼインに進言してみてよ」

「他人事だと思って、面白がっていませんか」

「バレた?でも半分は本音よ。馬鹿ばっかり育てて、私設の騎士団を量産するより遥かにいいわ」

「二世問題で一番頭を痛めているのは、他でもなく先生です。ならばいっそ、新しい風を入れるのも悪くないかもしれませんね」

放っておいても端からトラブルだらけである。どさくさにまぎれて自分から火種を投下したら、果たしてどうなるだろうか。そこまで考えて、タリウスははっとする。一番面白がっているのは他でもない。自分である。

「失せ物の対価オマケ」おしまい