複数の足音がバタバタとこちらへ近付いてくる。シェールはごくりと生唾を飲み込み、身構えた。

「え?!」

 勢いよく戸が開かれ、見知らぬ男たちが次々と入室して来る。しかも、最後のひとりはなんと昼間見た大男である。シェールは心臓が止まるほどに驚き、思わず後ずさりそうになったが、寸でのところで踏みとどまった。

 自分のすぐ後ろには意識を失くしたユリアがいる。父が不在の今、自分が何とかしなくてはならない。そう思い、両手を広げ、男たちに向かってとおせんぼをした。

「蠍を見せろ」

 大男が言った。

「サソリ?」

 自分のおかれている状況がわからず、シェールはしばし思考停止状態に陥った。

「シェール、言われたとおりに」

「とうさん!」

 父の声に、瞬時に呪縛から解き放たれたようだった。

「蠍はどこだ」

「あ、あれです」

 再度大男に問われ、シェールは壁に打ち付けられた蠍を指差した。男たちはすぐさま蠍に駆け寄り、そして何やら話し始めた。

「遅くなって悪かったな」

「ううん、帰ってきてくれたから良い。それよりおねえちゃんは?」

「これから診てもらう」

 タリウスは息子を呼び寄せ、それから部屋の外に出るよう促した。すると、大男もまた薬屋と共に戸口に向かってやって来た。

「あの蠍だが」

 タリウスは大男を見上げ、息を殺して次の言葉を待った。

「薬屋が欲しいと言っている。いくらなら手離す?」

「金など不要だ。それより容態が知りたい」

 こんなときに一体何を言い出すのだ。場違いな問いに彼は苛立ちを隠せない。

「毒性は弱い。子供や年寄りならともかく、大の大人なら死ぬようなことはない」

 大男は事も無げに言った。その言葉に、タリウスは心底安堵した。そして、それは息子にしても同じらしく、すぐ隣から大きなため息が聞こえた。

「本当にただで良いのか」

「ああ、勿論だ」

タリウスは薬屋の店主に向き直り、深々と頭を下げた。この男には感謝してもしきれない。

「本当はきちんと礼がしたいが、あの蠍で良いと言うのならひとまず進呈します」

 大男がタリウスの言葉を訳し、それを聞いた薬屋が興奮気味に何かを言った。

「あれは希少な種類で、しかも一発で仕留めてあるから状態も良い。高く売れるそうだ」

 父子は思わず顔を見合わせた。

「諸々お手柄だったな」

「うん」

 などと息子を労っていると、薬屋が蠍を手に戻って来た。そうして大事そうに袋にしまうと、先程まで蠍に刺さっていたナイフをこちらに返してきた。

「これをどこで手に入れた?」

 ナイフを見るなり、大男の顔つきが変わった。薬屋の通訳ではない。それはこの男自身の言葉だ。

「ママの形見です」

「お前は本当に石の民なのか?我らの仲間にそんな髪の色の者はいない」

 大男はシェールの銀糸の髪をしげしげと見やった。

「石の民?」

「我らが一族の呼び名だ。皆石を尊ぶ」

「よくわかんないけど、石の入った袋なら持っています。それから、この髪はパパと同じだって」

 大男はタリウスに目をやった。彼の髪は茶褐色で息子のものとは似ても似つかない。

「ああ、えーと、とうさんじゃなくて。二人いるんです。でもって、どっちも大事なんだ。もちろんママのことも」

 そのとき、ユリアのそばにいた男がこちらに向かい何事かを言った。

「診察が終った。朝には普段どおり動けるようになると言っている」

「だが、未だ意識が…」

 医者の言葉を信用しないわけではないが、相変わらず目を閉じたままのユリアを見るにつけ、不安は払拭されない。

「眠っているだけだ。元から疲れていたんだろう」

 そう言われたところで心配なことに変わりはないが、これ以上は聞きようがない。タリウスは礼を言って、求められるがまま代金を支払った。

「明日の午後にまた来る」

 去り際に大男が言った。何のことかわからず答えずにいると、男は更に続けた。

「ガイドをして欲しいんだろう?同胞を石の民のところまで連れていく」

「どうほうって僕のこと?」

「ああ、多分な」

 男たちの背中を見送りながらシェールが聞き、タリウスが答えた。後から考えれば、大男の申し出にもう少し感謝を伝えるべきだったのだろうが、いかんせんユリアのことで頭がいっぱいだった。それ故、他のことに考えが及ばなかった。


 その日、ユリアが目を覚ましたのは夜も更けてからだった。

「タリウス」

 暗闇の中、不安と心細さにまず口をついて出たのは想い人の名前だった。

「気が付きましたか」

 声は殊の外近くから聞こえた。利き手に意識を移すと、包帯の上から体温を感じた。どうやらずっとタリウスが握っていてくれたようである。

「気分は?」

「頭がぼーっとしますが、悪くはありません」

「水を飲みますか」

「はい」

 タリウスはユリアのすぐ隣に腰掛け、彼女が起き上がるのに手を貸した。そうして自分にもたれさせたまま、口元まで水筒を運んでやった。

「ずっと私の傍に?」

「ああ」

「すみません、ご心配をお掛けして。お疲れでしょう。ベッドで休んでください」

「そうしたいのは山々ですが、そうもいかなくて」

 ほらと促され、目を凝らすと、隣のベッドの真ん中でシェールが大の字で寝ているのが見えた。

「あらら」

「こいつが小さい頃には時々一緒に、と言うか、夜中に潜り込まれて一緒に寝たりもしましたが、流石にもう手狭ですね」

「シェールくん、頼もしくなりましたね。私、お陰で痩せ我慢出来ました」

「はい?」

「シェールくんがいなかったら、きっと怖くて泣き叫んでいたと思います。自分がどうなってしまうのか、正直怖かったですし、それに刺された直後は結構痛かったんですよね」

 再び恐怖が戻ってきたのか、ユリアの目からポロリと涙が落ちた。

「もう大丈夫です」

 大きな手が涙をぬぐい、そのままふわりと髪を撫でてくれた。

「タリウス」

 それ以上は我慢が効かなくて、ユリアはタリウスの胸に抱き付いた。

「命に別状はないと医師が言っていました。それから、朝には動けるようになるとも。だから、もう心配要らない」

「本当にお医者様を?大変だったでしょう」

 ユリアは一旦タリウスから離れると、今度は間近に顔を覗き込んできた。

「あなたの偉大さを実感しました」

「そんなこと…」

「いえ、シェールを救っていただいたことと言い、本当に感謝しています」

「怒らないんですか?散々無茶をしないよう言われていたのに」

「怒れるわけがないでしょう」

「でも」

「わかりました。あとで説教くらいはします。いずれにしても回復してからだ」

「タリウスのこわーいお説教も生きてからこそ聞けるというものです」

「そんなことで生を実感しないでください」

「だって…」

 再び反論しかけるのを腕ずくで阻止される。そうして痛いほどに抱きしめられながら、ユリアはかつてないほどの安心感を得た。