「で、何で私なの?」
うちの先生でもお宅の先生でもなくてと、ミゼットは続けた。
彼女の向かいでは、ユリア=シンフォリスティが大量の書物を積み上げ、そのうちの一冊をパラパラとめくっていた。
珍しい取り合わせであるが、彼女たちは今王立図書館の一室にいる。ここに所蔵されている資料は一括りに軍事機密とされ、一般には公開されていない。閲覧出来るのは、軍関係者の中でも一定以上の階級にある者に限られていた。
「一番お話がわかるかと思って」
ユリアは忙しくページを繰るかたわら、ニッコリと微笑んだ。
「ねえ、シェールにしてもあなたにしても、私を便利なアイテムか何かだと思ってない?」
「そんな、とんでもない。お時間をいただいてありがたく思っています」
ユリアは慌てた様子で手を振った。
「それに、シェールくんは本当にミゼットさんのことが好きなんですよ。主任先生とご結婚されたときなんて、しばらく立ち直れない様子でしたから」
「そりゃあ、あの子は将来イイ男にになるでしょうよ。私だってもう少し若ければ、考えないでもないけど。流石に待てなかったわ」
「でも、うちの女将さんは気長に待つつもりみたいですよ」
「ああ、シェールは女将さんの想い人なわけね」
女将のシェールに対する愛情は深く、大家と店子の関係を越えている。てっきり孫を可愛がるような感覚かと思いきや、どうやら恋愛感情らしい。二人は顔を見合わせ、それから堪えきれずに小さく吹き出した。
「ええ、先日もシェールくんのピンチを然り気無く救っていましたから」
ユリアは過日の新聞配達騒動について、自身の知り得たことを話した。
「隠れてそんなことしたってどうせすぐにばれるだろうに、何だってそんな無謀なことをしたのかしら。まあ、なんだかんだであの子のお父さんはやさしいから、サクッと許してもらえると思ったんでしょうけど」
「サクッとではありませんが、許してはもらえたようです」
親子の間で一通りの決着が着いた後、ユリアもまた自身の軽率な行いをタリウスに詫びた。だが、当のタリウスはそれには及ばないと謝罪を受け付けず、代わりに事の顛末を話してくれた。
「本当に良い人に拾われたものね」
「ええ、今度、士官学校のお休みに合わせて、シェールくんと東方まで行くそうです」
「本当に?きっとシェールは大喜びね。もちろんあなたも行くんでしょう」
「いえ、私は」
「何で?そのためにこんなマニアックなことを調べてるんじゃないの?」
二人の間には、東方の詳細な地図が広げられている。国境周りの地形まで綿密に描かれているため、部外秘扱いになっていた。
「ただでさえ未知の地ですし、それに東方の街はほとんど異国みたいなところと聞き及びましたので、詳しい情報を知りたいと思いまして」
手元の資料では通り一辺倒なことしかわからなかったが、ここならばもう少し踏み込んだ情報を得ることが出来るかもしれないと思い、ミゼットに頼み込んだのだ。頼まれたミゼットにしても、意外な人物からの頼み事が亡き親友に関わることだっただけに、殊の外あっさり承諾した経緯がある。
「そこまでしたんなら、一緒に行ってくれば良いじゃない。授業が終われば急いでやることもないんでしょう」
「実は、士官学校は今期で辞めることにしました」
「そうなの?じゃあ、もう次の仕事が詰まっているとか」
「いえ、それが全く。当面は職探しです。ですから、呑気に旅行している場合ではなくて」
随分前から職探し自体はしていたが、未だ希望に叶うものに出会えていない。流石のユリアも若干焦り始めたところだった。
「逆に考えたら、今しか行けないってことだと思うけれど。あなたがいれば言葉にも不自由しないでしょうし。て言うか、出来ることならむしろ私が行きたい」
ミゼットは大きなため息を吐き、それから、手近にあった本に目を落とした。
「あの娘がどんなところで生まれて、何を見て大きくなったのか、この目で見てみたいのよね」
親友は生前、自分の出自に関わる話を殆どしなかった。ひょっとしたら知られたくないのかもしれない。そう思ったこともあるが、それにしては故郷の品を大事に持ち歩いており、完全に過去と決別したわけでもなさそうだった。
「シェールくんのお母さんは、素敵な方だったんでしょうね」
ミゼットが親友に想いを馳せていると、ふいに聞こえた台詞が現実へと返した。
「不思議な魅力のある人で、男女問わずモテたわ。その辺りはシェールを見ていたらなんとなくわかるかもしれないけど」
「ええ。とてもよくわかります」
ユリアは微笑した。
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