「タリウス!」

 唐突に自室の扉が開かれ、続いて隣人が飛び込んで来る。

「ノックくらいしてください」

 何事かとベッドから飛び起き、タリウスは額に手をやった。夜勤明けである。シェールが帰宅するまでにはまだ間がある。そう思い、完全に気を抜いていた。

「申し訳ございません。ですが、緊急事態でしたので」

「今度は一体どうされたんですか」

「母が襲来してきました」

「襲来って、確か母上は亡くなられたのでは?」

 タリウスはベッドに腰掛けたまま、ユリアを見上げた。寝起きのせいで頭が回らなかった。

「それは実母です。今お話ししているのは、養母?義母?継母?どれが正しいのかよくわかりませんが、とにかくリードソンの正妻です」

「そうですか。それで、私に何を?」

 未だ状況がよく飲み込めないが、そこはかとなく嫌な予感がした。

「少しの間、匿っていただけませんか」

「無茶を言わないでください」

 そんなことをすれば、確実に話が拗れる。

「母上が何をしにみえたのか知りませんが、今更あなたを連れ戻しに来たわけでもないでしょう。ひとまず会ってみたらどうですか」

「嫌です、絶対に」

「どうして?」

「だって」

 自分を見返すユリアの瞳が恐怖に怯えた。

「だって?」

「きっと叱られます」

「は?」

 落ち着かない様子でこちらを窺うさまは、悪戯の発覚を恐れ右往左往する子供そのものである。タリウスは思わず吹き出した。

「笑わないでください!母という人がどれだけ恐ろしいか。子供の頃、ほんの少し門限に遅れただけで鬼のように叱られて」

 なかなか耳の痛い話である。

「それを勝手に家を飛び出して、今日まで音信不通だった私を手放しで許すわけがありません」

「自分で蒔いた種でしょう。観念して叱られてきてください」

「ひどい!助けてくださると思ったのに。もう結構です」

 ユリアは大いに憤慨し、ずかずかと部屋の奥まで押し入った。そして、出窓に手を掛け、おっかなびっくりよじ登り始めた。

「何してるんですか」

「ここから外に出ます」

「は?」

「私の部屋からだと足場になるものがないんです」

 そういう問題ではない。

「やめてください。落ちたらどうするんですか」

「そのときは、骨を拾ってください」

 言うや否や、彼女は屈んで屋根に足を掛けた。子供以下の隣人に対し、タリウスの中で何かが切れた。

「いい加減にしなさい」

 出窓に歩み寄ると、背中から手を回しユリアを羽交い締めにした。そうして、暴れる彼女をものともせず、すぐさまベッドまで連行した。

「嫌!タリウス、放して!そんなことをしている場合では…きゃあ!!」

 おもむろにスカートを捲り、下着の上からピシャリとお尻を叩いた。

「大人しく母上に叱られに行くか、それともここで私に叱られるか、どちらか選びなさい」

「ああもう、意地悪!」

「私を選ぶわけですね」

「選びません!」

 再び平手が振り上げられる気配がして、思わずユリアが叫んだ。

「なら、早く行きなさい」

 手早く着衣を直し、起き上がるよう手を貸した。

 すっかり忘れていたが、この男もまた、息子や教え子たちから鬼と呼ばれ、恐れられる存在だった。完全に保護者モードのタリウスを前に、ユリアは頬を膨らせた。

「大丈夫ですよ」

 そんなユリアの頬をひとなでし、ついでに今ので乱れた髪をそっと直してやった。