「忙しいところ、何の前触れもなく邪魔して申し訳ない」

 アルウィン=リードソンは、久々に訪れた中央士官学校で、前回と同じく主任教官の執務室に通された。肩書きが肩書きなだけに、統括でも出てこようものならどうしようかと身構えていたが、幸い不在にしているとのことだった。

「滅相もないことでございます。ただ、折角いらしていただいたところ申し訳ないのですが、あいにくユリア嬢は不在にしておりまして」

「予め確認しなかったこちらの落ち度だ。また後日、改めよう」

 アルウィンは立ち上がった。そうして、ゼインの肩越しに窓の外を眺めた。

「予科生ですか」

「ええ。訓練をご覧になりますか」

 客人の返事を待たずして、ゼインはバルコニーへ向かい先に立って歩いた。

「今はまだ烏合の衆ですが、これがあと数ヶ月もすれば見違えるほどに進化を遂げます」

 眼下には、教官の指揮のもと、基礎訓練に励む少年たちの姿があった。ゼインの言うように、彼らの動きはてんでバラバラでお世辞にも洗練されているとは言い難い。

 そこへ教官の怒声がこだまする。なにがしかの失態をしたのだろう。怒れる教官から矢継ぎ早に責め立てられ、当の本人は言うに及ばず、周囲の少年たちにもまた緊張が走る。そんな様がここからでもよくわかった。

「いつになく気が立っているな」

 部下が苛烈な指導をするのはいつものことだが、この時期から飛ばすことはそうそうない。大方、虫の居所を悪くするような事態が既にして起きているのだろう。

「随分と若い教官のようだが」

「数年前に若返りを図りましてね、無理を言って連れてきました」

「道理で。自分のときには、教官といえば大概は引退間際のじいさまと相場が決まっていた」

「昔はここも似たようなものでしたが、近頃はそれではまわりません。確かにジョージアは年若いですが、その分気概があります。非常に優秀な教官です」

「これはまた、随分と買っておられるようだ」

「実を言うとかつての教え子でしてね。それ故、身びいきがあるやもしれません。彼についてお知りになりたいのなら、直接会われてみてはいかがですか」

「いや、そこまでは」

「貴殿が真に知りたいことは私からでは聞き出せまい。用があるのはユリア嬢であってユリア嬢ではない。そうお見受けしましたが」

 噂に違わず食えない男だとアルウィンは閉口した。ゼインはすべてを知っている。前回訪れた時とは打って変わり、完全に相手のペースにはまった。

「このままここで訓練を拝見しても?」

「勿論です。終わり次第こちらに呼んで参ります」

 満面の笑みでこちらを見返され、アルウィンはもはや戦闘不能状態に陥った。


 上官の見立て通り、タリウスは苛立っていた。ここ数日、正体不明の相手に付きまとわれているのだ。初めは件の男の仕業かと思ったが、それにしては様子がおかしい。

 尾行に気付き、どうにかして撒いたかと思うといつの間にかまた張り付かれている。それならばと、こちらから待ち伏せしてみたが、今度はうまいこと逃げられた。

 そんなことが繰り返された後、極めつけとなる出来事が起きた。

 話は昨日に遡る。


「ジョージア、ちょっといいか」

 兵舎を出たところで、背後から呼び止められた。咄嗟に身構えたが、聞き覚えのある声にタリウスはゆっくりと振り返った。

「お前に急ぎ伝えたいことがあって待っていた」

「ドースン」

 ウィリィ=ドースン、元同僚である。彼は、かつて自分と同じようにゼインに呼ばれ教官となったが、約束の任期を終えると兵舎を去り、現在は城勤めをしている。

「最近、城内で何者かがお前のことを嗅ぎ回っている」

「何者か?」

「治安部の奴らだと思う」

「ちあ…」

 タリウスは思わず声に出しそうになり、慌てて口を閉じた。

「お前に限ってそんなことはないと思うが、でも他に考えられないだろう。経歴は勿論、他にも色々とお前の身辺を探っているようだった」

 治安部は軍警察の役割を果たし、主に軍内部の風紀に関わる事案を担っている。彼らは職務上、どこにでも出入りできる。

「実はここ二三日、誰かに後をつけられている。恐ろしく尾行に精通していて、撒いても撒いてもいつの間にかまた付いてくる。治安部か、道理で巧いはずだ」

「感心している場合か。一体何をやったんだ」

「全く身に覚えがない。だが、そういうことなら俺にはもう関わらないほうが良い」

「どういうことだよ。潔白なんだろう。だったら何の遠慮がいるんだ」

 久しぶりに会った同僚のやさしさが身に染みた。今の今まで尾行されていること自体、誰にも打ち明けられないでいたのだ。

「チビッコ、大きくなったんだろうな」

「ああ、あっという間だ」

 正直なところ、彼のやり方には承服しかねることも多かったが、決して仲は悪くなかった。それどころか、幼子だった息子の事情で何度も勤務を融通してもらった恩がある。

「悪いな。いつもいつも助けられてばかりだ」

「それはこっちの台詞だ。お前がいなきゃ逃げ出していたところだ。なんだってこんなところに俺なんかが呼ばれたのか、未だにわからない」

「新しい風を入れたかったんだろう」


 そうして昨日のことを思い返していると、週番の少年と目が合った。週番は教官室の入り口から自分を呼んだ。

「ジョージア先生はいらっしゃいますか」

「目の前にいるだろう」

 どうしてこうどいつもこいつも馬鹿の一つ覚えの如く、如何なるときも同じ台詞を吐くのだろう。

「し、失礼しました!」

「何の用だ」

「ミルズ先生がお呼びです。来客とのことです」

「わかった。下がれ」

 これ以上の厄介事は御免だったが、無論逆らうわけにはいかない。タリウスは重い腰を上げた。


「ジョージア教官、本部から、治安部から君に来客だ。個人的な用向きと言うから私は外すが、部屋は使ってくれて構わない」

「恐れ入ります」

 すれ違いざま、上官の顔色を伺ったが、ゼインはあくまで涼しい顔でこちらを見ていた。

「失礼します」

 深呼吸をひとつして、タリウスは主のいない執務室へ入室した。

「お待たせをいたしました」

 足を踏み入れてから頭を下げるまでの間、ほんの一瞬盗み見た来客の顔には、なんとなく見覚えがあった。確か以前に会ったことがあるような気がしたが、はっきりとは思い出せない。

「物騒な所属ゆえ驚かせてしまったか。一応休暇中なんだが、名乗らないわけにもいかなくてな。言うまでもなく、貴殿には何の落ち度もない。今日来たのは極めて個人的な理由、妹のことだ」

「妹君、ですか」

「ああ、失礼。まだ名乗っていなかったな。リードソンだ。アルウィン=リードソン」

 刹那、思い切り呆けた顔をしたに違いない。そして、次の瞬間、今日までのことがすべて繋がった。

「妹のユリアが多大な迷惑を掛けたようで大変申し訳ない」

「妹君が何を仰ったのかはわかりませんが、私は別段…」

「あいつは一族の恥さらしだ」

 アルウィンの言葉にタリウスの顔色が変わった。

「それでも、手前にとっては替えの利かない大切な妹だ。貴殿の親切に感謝する」

 苦笑いを浮かべ、アルウィンは頭を垂れた。

「結論から言うが、例の男が貴殿や妹の前に現れることは金輪際ない。愚かな妹は何か勘違いしているようだが、あの男は今でも騎士の端くれだ。私のほうから釘も指したゆえ、滅多なことはしまい」

「そうですか」

「恥辱にまみれたうちの事情をどこまで知っているかわからないが、あいつの身体には流れ者の血が入っている。そのせいか、とにかく一所にじっとしていられない。正直なところ、気が気ではないが、それも含めてあいつだと俺は思うことにしている」

 もはや諦めの境地だとアルウィンは言った。

「申し訳ないついでに言わせてもらうが、あの馬鹿は今後も貴殿を煩わせることになるだろうがそれでも?」

「もとより煩わしいとは思いません」

「そうか。最後にひとつ、余計な世話とわかった上で言うが、後進の指導に当たるのはもう少し歳をとってからでも遅くはないだろう。あの男と互角にやりあったことを鑑みても、もっと相応しい場所が…」

「教官の仕事に誇りをもっています。それから、既にお調べになっているでしょうが、自分には養い子がおります。勝手を言って申し訳ございませんが、今はご容赦いただきたく存じます」

 考えるより先に、口が動いていた。アルウィンの目が大きく瞬いた。

「ああ、そうだった。それよりも何よりも、そもそもミルズが手放さないだろう。色々と不快なおもいをさせて申し訳なかった。親馬鹿な兄のしたこととして許せ。しかし、ああも綺麗な経歴書は、初めて見た」

「買い被りです」


「結局、お前は軍人を選ぶのだな」

 後日、ユリアとは改めて、外で面会した。

「その言葉で一括りにすべきではありませんでした。まさかあんなにも穏やかな方がいるだなんて、知りませんでした」

「穏やか?俺の見たジョージアは苛烈の極みだったが」

「苛烈の極みって。訓練をご覧になったのですか?それとも、予科生を叱り飛ばしているところだったとか」

「両方だ。正直、お前がああいうタイプを受け入れるとは思わなかった。てっきり怖がるかと思った」

「怖いは怖いですが、でもあくまで仕事上のことですし、それに、仰っていることは筋が通っています。何よりも、親心からあえて厳しく当たられているのがわかりますから」

「それを言うなら、親父だってそうだ」

 末妹と父は昔から犬猿の仲だったが、いい加減この両者の間に挟まれることには辟易していた。お互いいい歳だ。そろそろ歩み寄っても罰は当たらないと思った。

「お父様?全っ然、違います。お父様の仰ることは理解出来たためしがありません。お父様に怒鳴られる度、ああ、私は異国人なんだなと思い知らされていましたから」

「今回のことは親父も知っている。その上で何も言ってこないということは…」

「話はそれだけですか。でしたら私はこれで」

「ユリア」

 だが、淡い期待は無残に打ち砕かれた。

「この度は助けていただきありがとうございました」

「待て」

 話が終わったとばかり席を立つユリアをアルウィンが制した。

「何ですか」

「お前に貸した金だが、ジョージアに請求しても?」

「いいわけがないでしょう」

「ならとっとと返せ」

「汚いわ」

 ありったけの恨みを込めて、ユリアがこちらを睨みつけてくる。

「そういうところ、そっくりだな」

「はい?」

「こちらのことだ」

 多少は大人になったと思ったが、それでも雪解けが訪れるにはまだまだ時間が必要そうである。当分、連絡係からは足を洗えそうもないが、ともあれこれで安心して眠ることは出来る。

「上等だ」

 アルウィンは呟いた。


2020.6.14 オマケおしまい