それから一夜明けた今朝も、タリウスは意図してシェールと言葉を交わさなかった。昨夜よりかは幾分増しであるが、ともすれば感情的に息子を叱りつけてしまうと思ったからだ。

それ故、一旦すべて夜まで棚上げにした。お陰でシェールはまたしても胃の痛い一日を送るはめになった。

「一昨日お前はいつ帰って来た?どれだけ遅くなったんだ」

帰宅後、タリウスは間を置かずに尋問を開始した。

「三十分くらい」

「時計を見たのだろう」

「三十四分」

「それは、ついうっかりなんてものではないな」

「はい」

父の声は極めて冷静だった。だが、いつ豹変するかはわからない。呼吸が苦しくなる。

「錬成会前の最後の稽古だったから、時間になってももう一回やりたくて、それをしたら間に合わないってわかってた。わかってたけど、でも帰らなかった」

「何故だ」

「黙っていれば、わからないと思ったから」

息子の言葉にタリウスは大きな溜め息を吐いた。

「初めての錬成会のことを覚えているか」

「覚えてるよ」

忘れたくても忘れられない、苦い思い出である。

「お前はあのときからひとつも進歩しないのだな」

「そんなこと…」

「そうだろう。目的のためなら狡いことでも何でも手段を選ばないと言うその考え方は、そろそろ改めたほうが良い」

「そんなつもりじゃなかったんだ。そう見えるかも、しれないけど」

錬成会で結果を残すために、門限を破ったわけではない。ただ出来心で、後先考えずに目先の欲望を満たしたに過ぎなかった。

「それで、こんなことをしでかして、お前はどうするつもりだ」

「わかってるよ」

「わかっている?」

「錬成会には出ない。それで良いでしょう?」

息子はいつになく投げやりだった。

「お前はそれで良いのか。後悔しないのか」

「後悔?今だって後悔してるよ。本当にもう後悔しかない!なんで、何であんなこと思ったんだろう」

言葉どおり頭の中が後悔で埋め尽くされているのだろう。目の前で地団駄を踏む子供が、たまらなくいとおしかった。タリウスは迂闊にも口許が緩みそうになるのをどうにか堪え、シェールと向き合った。

「まったく、しょうもない奴だな。だが、反省しているのはよくわかった。シェール、今回だけだぞ」

「へ?」

言っていることの意味がわからず、シェールは顔を上げた。すると、正面から腕を取られた。

「え?」

驚いて抵抗しようとすると、今度は身体が浮いた。

「うっそ!やだ!」

「暴れるな」

「痛っ!」

そのままバシンとお尻を叩かれ、あれよあれよと言う間にタリウスの膝へ押さえ付けられてしまう。

「こんなもので許してやるんだ。ありがたく受けろ」

「そんな…」

そうこうしているうちに着衣を剥かれ、本格的にお仕置きが始まる。

「少し目を離すとこれか。随分と舐めたことをしてくれたな」

「やっ!いった!」

「痛い?こんなものは叩かれたうちに入らないだろう」

こんな風に無理矢理膝に乗せられるのは久しぶりだった。近頃は比較的静かにお仕置きを受けることが出来るようになったが、それでも一度そうでなくなると途端に我慢が利かなくなる。

「よくもこの俺を騙そうとしたな」

「そんなことは…あぁ、いったい!」

「そんなことは?」

「してない!」

シェールはひとつ打たれる度に、身体をくねらせ逃れようと必死にもがいた。もちろんそんなことが許されるわけがなく、屈強な腕はその都度お尻の位置を直し、容赦ない平手を落とした。

「お前を信じると言った以上、こちらからあれこれ聞くことはしない。つまり、黙っていることは嘘をつくことと同じだ」

「ごめんなさい!」

お仕置きする手が止まった。

「シェール、立ちなさい」

これでようやく許される。そう思い、シェールはよろよろと立ち上がりお尻をさすった。

「まだだ」

「え?」

しかし、父の声は相変わらず不機嫌なままだ。全くもって嫌な予感しかしない。

「パドルを持ってきなさい」

「え!」

「えじゃない。門限破りの罰はなんだ。まさか忘れたわけではないだろうな」

「わかってるけど、でも…」

「つべこべ言わずに取って来い!」

「はい!」

反射的に良い子の返事を返し、弾かれたように目的の場所へ向かった。

「言った筈だ。あまり目に余るようなら上限は外すと。それは今日だと思うが、お前はどうだ」

「えーと」

父の言葉の意味を、シェールは頭の中で反芻した。上限を十回にしたのは、精々十分程度の遅刻しか見込んでいないからだ。それを自分は三十分を越える門限破りをしたのだ。

「そうだと、思う」

「そうか。ならば仕方がないな」


それからたっぷりと鞭をもらい、シェールはもはや虫の息だ。

「座れるか」

「無理」

「ならそのまま聞いていろ。まず、錬成会には出なさい。毎日このために頑張ってきたのだろう。先生だってそのつもりで指導されてきた筈だ。もちろんお前なりに考えてのことだろうが、そんなことはしなくて良い」

シェールはコクリと頷いた。

「それから、もう何度も同じ話をしているが、門限は守りなさい。俺に嘘をついたらどうなるか、お前もいい加減わかっただろう」

「はい」

シェールは焼けるように痛むお尻をさすりながら、昨日は言えなかったことをもう一度考えていた。

「ねえ、とうさん。なかなか言えなかったのは、怒られるのが嫌だっていうのももちろんあるんだけど、でもそれたけじゃなくて。うまく言えないんだけど、とうさんに悪いって言うか、その、裏切るようなことをしたって知ったら、嫌だろうなって思って」

「お前の言わんとしていることはわかるよ」

本当のことを話すことで、父を傷付けたくなかった。シェールなりのやさしさだが、そのやさしさが更に自分を苦しめた。

「それに、こんなことを言うとお前は怒るかもしれないが、なんとなくこういうことになるような気もしていた」

「とうさん!」

タリウスは怒れる息子の頭にポンと手を置いた。

「だいたいそう一足飛びに大人になられては、俺はやることがなくなる。もちろん将来的にはそれで良いが、今はまだその段階ではない」

シェールははっと息を飲んだ。

「ゆっくり大人になれば良い」

やさしい父を前に、シェールはたまらなくなって思わずその胸に飛び付いた。

「この甘ったれが」

「だって!」

「別に悪いとは言ってない」

久しぶりに正面から甘えてきた子供をタリウスはぎゅっと抱き寄せた。シェールの鼓動が間近に聞こえた。

いつからだろう。息子の成長に喜び以外の何かを感じるようになったのは。そんな思いを払拭するように、タリウスは自分からシェールをそっと離した。


 了 2020.2.22 「諸刃の剣」