あれからしばらく経ったある日のこと、シェールは自身の持てる力をすべて使い、宿へと駆け込んだ。両膝に手を置き、肩で息をしながら、彼は祈るような気持ちで顔を上げた。視線の先には時計、それは今から自分に対しある審判を下すものだ。

「あーっ!」

彼の視線が時計を捉えた丁度そのとき、長針がカチリと一目盛り進んだ。

「うそぉ」

もとより間に合うとは思っていなかった。それでも被害を最小限にしようと、道場からここまで全力疾走してきた。シェールはがっくりと肩を落とし、二階へと続く階段を上った。


「ただいま」

「おかえり」

タリウスは荷物の整理をしていたらしく、帰宅を告げる息子を一瞥した後、再び視線を手元へ戻した。

「どうだった?」

「ど、どうって」

父の問いかけに、シェールは思わず飛び上がりそうになった。

「もうすぐ錬成会だろう」

「ああ、錬成会のこと。とりあえずやれることはみんなやろうって思ってる」

その結果、少々やり過ぎてしまった。

「そうか。シェール、どうした?」

そのまま入り口に立ち尽くしていると、父が訝しげに声を掛けてきた。その行為にシェールは確信した。父は自分の失態に気付いていない。

「とうさん、ごめんなさい。間に合わなかった」

だが、そのことを隠し通す自信はない。息子の言葉に、タリウスは棚の上から懐中時計を引き寄せる。そうして蓋を開けた途端、表情が険しくなるのがわかった。

「シェール」

俄に強く名前を呼ばれる。それだけで充分だと思った。

「ごめんなさい」

経験上、ここで下手な言い訳をするとろくなことにならない。もっとも今日ばかりは本当に何の申し開きも出来ないと思った。一方、父はそれには答えず、無言で利き手を差し出してきた。

シェールはそれに応えるべく自分の引き出しへ向かう。そうして目当てのものを取ると、まわれ右で父の元へ取って返す。

このまま窓から投げ捨ててしまいたい。いや、いっそのこと、階下に行ってストーブに投げ入れるというのはどうだろう。瞬間的に様々な思いが頭をめぐるが、どれも実行に移さないのは、そんなことをしても根本解決になり得ないと知っているからだ。

父親にパドルを手渡し、即座にお仕置きされる姿勢になる。こうなったらとっとと終わらせるのが吉だ。

「何回だ」

「え?あ、六回…か五回」

頭の中で時計の針が揺れた。

「何だそれは。はっきりしろ」

「帰ってきて、丁度時計を見たとき針がひとつ進んじゃったんだけど…」

「六回だ」

そう来ると思った。シェールは溜め息をついて、最初の一打を待った。

「いたっ!」

バシンと大きな音がして、すぐさまお尻が焼けるように痛んだ。父の鞭を受けるのは久しぶりだった。

「うわあ!」

そして、思い出した。それは決して外すことなく、狙いどおり正確に、かつ執拗に自分を襲ってくるのだ。

「んあぁっ!」

毎度の事ながら、大人しく罰を受けられる限度は二回までだ。もちろんその二回もとびきり痛いのだが、それ以降の痛みとは一線を画す。

「あー!ごめんなさい!」

何だって馬鹿正直にすべてを話してしまったのだろう。今日の父は自分が門限を守ったことを疑ってはいなかった。うまくすれば、あのまま隠し通せたかもしれない。こんな目に遭うのはもちろん自分のせいだが、それを直前で回避する術もまたあるにはあった。

「お仕置きされてそれで終わりだと思うな。もう一度きちんと反省しなさい」

門限破り六分分をきっちりお尻で支払い、シェールは解放された。細心の注意を払って着衣を戻していると、父もまた捲った袖を戻していた。

「ごめんなさい。もっとちゃんと気を付けるよ」

「是非ともそうあって欲しいものだ。こんなことが続けば、折角頑張ってきたことにもケチがついてしまうぞ」

「はい」

シェールはうなだれた。

「だが、よく話してくれた」

いつもと同じ穏やかな声に、シェールは顔を上げた。父の目はもはや怒りを含んではいなかった。やはりこれで良かったのだ。