「今度の四校会議だが、私の代わりに北部まで行ってもらいたい」

部屋に入るなり、開口一番、ゼイン=ミルズは言った。

「北部へですか?」

北部は陸の孤島と呼ばれる辺境に位置し、天候が不安定で移動手段も限られているため、行き来には日単位で時間を要する。それ故、これまで地方の会議に複数赴いているタリウスも、未だ訪れたことがないばかりか、殆ど情報を持っていなかった。

「負担が大きいのはわかっている。とりわけ君の懸案事項、シェールのことは私が責任をもつ。うちで預かっても良いし、彼が望むなら、宿に残った上で定期的に様子を見に行っても良い」

予想していなかった命令に、思わず聞き返したことを上官は不満と捉えたらしい。もとより自分には拒否権などない。その上外堀を埋められてしまったら快諾するよりほかない。

「最近、いろいろ難しくなってきたので、ご迷惑をお掛けすることがあるかもしれませんが…」

「それは君が相手だからだろう。流石のシェールも人を見て行動するはずだ。彼は最近、私に対して、やさしい人という認識を改めたようだ」

息子にとってミルズ夫妻は、幼い頃から無条件に自分を受容してくれる存在であることに違いはない。違いはないが、それは万民に対してではないことくらいはわかっている。とりわけ教官の、あの笑顔の裏に隠された黒い何かに気付かないわけがないのだ。

「それで、今回の議題だが」

おもむろに資料の束を胸の辺りに突きつけられ、タリウスは有無を言わさず受けとった。

「主に訓練生の交換についてだ。交換訓練生については、前々から話には上っているが、実行に移すのは今回が初めてだ。手始めに、中央と地方、さしあたっては北部とうちだ。恐らく最初に受け入れるのはこちらということになるだろう。交換訓練生は、双方の訓練生、ここでは予科生ということになるが、彼等にとって有用な、意義深いものになると私も思うが、実行には課題も山積されている。大前提として、君はどう思う?」

「確かに出身地や育った環境、慣例や習わしの違う予科生を一時的に預かるのは負担かもしれませんが、両校にとってこの上ない経験になります。普段、閉鎖された環境に身を置いている我々教官にしても、外の動きを知る良い刺激になると私は思います」

士官候補生たちの多くは、卒校した後、士官学校と同じ管轄地に着くのが通例である。もちろん配置換えもあるにはあるが、最初から最後まで一貫して一所で任を全うする者も少なくない。それ故、出身地以外の任地は多くの者にとって未知であった。

タリウス自身も地方赴任の経験こそあるが、流石に他所の士官学校にまで足を踏み入れたことはなく、教官になって初めて地方の士官学校に赴いたときには、結構な衝撃を受けた。士官を養成するという最終目的こそ同じだが、その方法は自分の知るそれとは異なっていた。

特に、隣国との国境を有している地方では、未だに大小様々な小競り合いがあり、そこには独特な緊張感が漂い、訓練の内容もより実践に近かった。教官である今の自分ですら目から鱗の経験をしたのだ。これが多感な訓練生時代であったらどうだろう。彼はこの交換訓練生の計画が日の目を見ることを密かに願っていた。

「前向きだな」

上官は自分を一瞥すると、しばし考えを巡らせているようだった。

「先方の訓練生は、こちらに滞在中は訓練から何までうちの予科生と行動を共にする。君に任せても?」

「私でよろしければお受けします」

上官の部屋に呼ばれたときから、そうなるだろうと予想はしていた。

「良いも悪いも、君の予科生育成の成果には定評がある。ぜひやりたまえ」

教官となって数年経つが、今の今までそんなことを言われたことはない。タリウスはなんとなく身の置き場がない思いがした。

「しかし、今回はさすがの君も骨が折れるだろう。なにせ右も左もわからない若者を預かるのだからな。当然、うちの訓練生とのトラブルも予想される。どう転んでも、少々面倒なことになるのは必至だ」

「預かるのはあくまで少数と言うことでしたが…」

「今年に限って言えば二人だ」

「であれば、年によっては予科生の数がそれより多いこともありますし、さほど負担にはならないかと」

「そうか。それは頼もしい。ならば、なおのこと今回は君が北部に出向いた方が良い。恐らく、こちらに寄越す者についても、もうある程度の目星はついているだろう。出来れば直接会って、それから経歴書を手に入れて来い。指導記録までは見せてもらえないだろうが、とにかく何かしら持ち帰れ」

先方は会議の開催地であり、無論、お偉方が雁首を揃えている。他方、こちらは自分一人だ。無理を言わないで欲しいと思いつつ、承けた以上は最善を尽くすよりほかない。

「細かい取り決めについては君に一任するが、こちらにとって出来るだけ有利にことを進めて欲しい」

それから上官は、善は急げとはがりに一気に必要事項を捲し立てた。

「それにしても、君が快諾してくれて助かった。妻の顔を見ながら会議に出るというのは、どうも居心地が悪くてね。いや、こちらの話だ」

気にするな、上官は涼しい顔で言うが、言われたほうはたまらない。タリウスはにわかに襲ってきた頭痛に顔をしかめた。