「あら、お出掛け?」

「ちょうど今、お宅に伺うところでした。すみません、わざわざご足労いただいてしまって…」

その日の午後、ミルズ邸に置いたままになっている荷物を引き取りにいこうと宿を出た矢先、タリウスはミゼットと行き逢った。

「仲直り出来た?」

「お陰様で」

「そう、それは何よりね」

「シェールにも一緒に来るよう言ったのですが…」

言いながら、ミゼットから荷物を受けとった。思いのほか重くかさもあった。

「流石に気まずくて顔を見せられなかったのね」

ミゼットが苦笑いする。彼女との間に何あったのか、シェールに尋ねても要領を得ず、詳しいことはわからなかった。ただ、息子曰く、「ミルズ先生ならともかく、ミゼットまでとうさんの肩をもつとは思わなかった」そうで、売り言葉に買い言葉で口論になったという話だった。

「そうでなくても、今回は長い間あずかっていただいたというのに、その上迷惑ばかり掛けてしまい…」

「待って。言わないで」

息子の不始末を詫びようとするのを、ミゼットが唐突に遮る。

「私に謝らないで」

「は?何で?」

困惑してミゼットに視線を向けると、相手もまた困ったような顔を見せた。

「だって、私、あなたに謝ってもらうわけにはいかないんだもの。あんなに、酷いことをしたのに…」

「何の話ですか」

「だから、初めて会った時の話よ。何を言ったかもう定かじゃないんだけど、でもとても酷いことを言った」

「一体いつの話ですか」

タリウスは思わず苦笑した。今日はよく昔の話をする。

「私だってこんなに遅くなるつもりはなかったのよ。今日こそ言おう、そう思ったときに限って、予科生に無視されたり、シェールが誘拐されたり、ことごとく邪魔が入って」

言われてみればそんなこともあった。なんだんたかんだで、彼女ともそれなりに長い付き合いになっていたのだと気付かされた。

「特段、間違ったことはおっしゃっていなかったですよ。だからこそ、何も言い返せなかった」

「正論が人を傷つけるって、わかってて言ったのよ」

「ひょっとして、本当は何を言ったか覚えているんじゃないですか」

少なくとも自分は今でもはっきり思い出せる自信がある。それをしないのは自衛のためだ。それ故、些か意地悪な発言になった。

「おっしゃるとおりよ。ごめんなさい」

対するミゼットも今回ばかりは素直に詫びを入れてきた。本心から悔いているのが見てとれる。それで充分だった。

「もう結構です」

「良くないわよ。さっきシェールと話していてよくわかった。あの子は記憶に蓋をしたけど、あなたはそうじゃない。誰より苦しんだ筈なのに、何も知らない私がとやかく言って良いことじゃなかった」

「もう済んだことです。それに、自分が自分でなくなるという経験を今回私もしました。あのときのあなたもそうだったのでは?」

図星だった。それこそがいつもは無条件でシェールの味方でいる自分が、父親の側についた理由だ。

「これまたおっしゃるとおりよ。自分が自分で制御できなくなるって、なかなか堪えるでしょう。あのとき、先生がいなかったら相当まずいことになってた」

「先生には私も頭が上がりません。そういう状況で、シェールが安心して過ごせる場所をいただけたことに感謝しています」

上官にシェールを取り上げられたときには、怒りしかなかったが、今となってはそれが正解だとはっきりわかる。

「それはそうと、謝罪ならあの後間を置かずに、先生を通じていただきました。ただ、当時は事情を知らなかったので、何故先生がご存知なのかわからなくて。本人に聞いてもはぐらかされるばかりで、しつこく食い下がったら、個人的な事情だから察しろと言われました」

「ああ、何というかその、諸々含めて申し訳なかったわね」

深夜の珍客が上官の想い人とは、あのときは夢にも思わなかった。

「ごめんなさいね」

「本当にもう気にしていません。それに、お二人には今日まで何度も助けていただきました。自分一人でシェールを育ててきたとは思っていません」

完敗だ。端から太刀打ち出来る相手ではなかったとミゼットは思った。

「いいえ。また煮詰まったらいつでも頼って頂戴」

しかし、それを口にするのはあまりに口惜しい。じゃあこれで、とミゼットは利き手を上げて微笑んだ。


2020.1.4 「エピローグ」 了