「ただいま」

 夜勤明けの朝、人気のない自室に向かい、タリウスはいつものように帰宅を告げた。以前は帰宅すると満面の笑みで出迎えてくれた息子も、ここ最近は常に仏頂面である。それでも、しんと静まり返った部屋を前に、居てくれるだけで充分なのだと思った。

 溜め息をひとつこぼし、タリウスは息子のスペースに目を向けた。

 言い付けどおりきちんとベッドメイクされたベッドの隣には、溢れんばかりの本が入った物入れがある筈だった。しかし、つい先日まで満杯だったそれは、今では絵本が数冊残されただけだった。

 シェールがミルズ邸に持っていったのだろう。これだけ大量に持っていったということは、当分帰るつもりはないということか。

 何の気なしに、残された絵本の中から一冊を手に取った。ここへ来たばかりの頃は、ふたりしてよく一緒に読んでいたものだ。しかし、内容を見るとごく子供向けで、今の息子には易しすぎる代物だった。

 時の流れに従い、息子は当たり前に成長を遂げている。頭ではわかっているつもりだったが、その実、わかろうとしていなかったのかもしれない。

 自分とてそろそろ前に進み出さなくてはなるまい。いつまでも過去の因縁に縛られていては、見えるものも見えなくなるのだろう。


 そのとき、やおら表が騒がしくなった。聞き覚えのある声に、タリウスははっとして窓を開けた。

「シェール?」

「ほら、早く入って、おとうさんを呼びなさい」

「ちょっと待ってってば」

 視線を下に移すと、我が家の玄関先でシェールとミゼットが押し問答を繰り広げていた。

「ひょっとしたら、出掛けてるかも…」

 どうやらシェールは自分の不在を祈っているようだが、あいにくこうして在宅している。

「そう?私にはそうは思えないけど」

 ミゼットがこちらを一瞥し、それが周知の事実となる。

「お休みのところ申し訳ないんだけど、ちょっと降りてきていただけないかしら」

「少しお待ちください」

 一体全体何事だろう。タリウスは階段を下りながら、頭の中で情報を整理する。息子がとんでもない失態をしでかし、上官夫妻の怒りを買った結果、ここへ返品されてきた。そんなところだろうか。

「とうさん!」

 息子の慌てぶりを見るにつけ、疑惑は色濃くなっていく。

 そんなシェールの目から見た父もまた、困惑を隠しきれていない。そのせいか、記憶の中の父はどこまでも仏頂面だったが、今は幾分マシな気がした。

「シェールから大切な話があるそうよ」

 心配そうに父がこちらを伺った。心臓がどくんと音を立てる。

「言えないなら言ってあげましょうか。シェールは…」

「ああああああ!!」

 耳をつんざくような奇声に、タリウスが眉を寄せた。

「一体何なんだ」

「ぼ、僕、やっぱりうちに帰ることにしたから。に、荷物はそのうち、取りに行くから」

 父の顔もミゼットの顔もどちらも見ることが出来ない。それだけ言うと、シェールは全速力で階段を駆け上がった。

「何やらとんだご迷惑を」

「迷惑も迷惑よ。何だってああ頑固なのかしら」

「すみません」

「今度一杯奢って。そしたら、許してあげる」

 ミゼットはさもうんざりした様子を見せたが、それでいてどこか楽しげだった。