「遅い!」

 玄関の戸を開けるなり、目前に平手が襲い掛かってきた。

「わーっ!ちょ、ちょっと待ってってば」

  シェールは咄嗟に両手を交差し、寸でのところでそれを受け止めた。一歩間違えれば、頬を張られているところである。予期せぬ攻撃に腰が引けていた。

「こんな時間までどこで油を売っていた」

「稽古だよ、稽古」

  父の目とまともに視線がぶつかった。あまりに鋭利な目付きに、見るだけで心臓を射ぬかれそうだと思った。

「嘘言え。こんな時間まで子供を残す筈がない。ましてやこんなときに…」

「そう、そうなんだ。こんなときだからこそ、道場に通ってる人たちで自警団を作ろうって話になって、今日から見回りを始めたんだ」

 ここ最近、王都では物騒な窃盗事件が頻発している。しかも単なる物取りではなく、その殆どが強盗の類いである。

「全く公安のだらしなさもさることながら、シモンズ先生の良識をも疑いたくなる話だな。年端もいかない子供を集めて何になる」

「違う。先生は悪くない」

 これ以上は隠し通せない。シェールは父親を盗み見、小さく溜め息を吐いた。

「見回りに行ったのは大人だけで、僕は、その…こっそり付いて行っただけ」

「お前…」

 怒れる父にシェールは身構えた。だが、当の父はその場を動こうとはせず、ただ憎々しげにこちらを見やった。

「自分が何をしたか、わかっているのか。見回りをするということは、それだけ危険のある場所だということだろう。何故自ら危険に晒されに行った」

「そんな、大丈夫だよ」

「どうしてそう言い切れる」

「どうしてって…もう心配し過ぎなんだよ、とうさんは」

 それは長らく自分の中にあった想いだった。ただ今日まで口にしなかったのは、何となく言ってはいけないことだと思っていたからだ。

「心配し過ぎて何が悪い」

「え?」

 しかし、まさかこんなふうに開き直られるなんて思ってもいなかった。

「人に文句を言う前に、まずは自分の行いを改めたらどうだ。これまで何度、お前がとった軽率な行いのせいでとんでもない目に遭った。悪いが俺は、公安に頭を下げるなんぞ金輪際ごめんだ」

 確かに誘拐事件のことを持ち出されると立つ瀬がない。しかし、それにしたってもう随分と前のことだ。しかもあの時だって自力で善処したし、今ならもっとうまく立ち回れる自信がある。

「反省する気はないようだな」

「そ、そんなことないよ」

 そう言いながら、まだ一度も詫びていないことを思い出した。

「ごめんなさい。ちゃんとお仕置きは受けるよ」

「いいや、お仕置きは受けなくて結構だ」

「なんで?」

 これまでの経緯を考えるにつけ、ただで許されるわけがない。途端に物凄く嫌な予感がしてきた。

「その代わり、しばらくは学校以外の外出は禁止だ。言ってもわからないんだ、仕方ないな」

「うそ!で、でも稽古は良いんでしょ?」

「稽古が終わってすぐに、15分以内に帰宅するのであれば構わない。但し、1分でも遅れたら鞭だ」

「うそぉ」

「そういうわけだから、しばらくお前の自由は、ここと学校と道場に限られる」

「ミルズ先生ん家は?」

「だめだ」

「でも!いきなり顔見せなくなったらきっと淋しがると思う、ふたりとも」

 シェールにとってミルズ邸は聖域のようなものだ。その上、身の安全に関して言えば、どこよりも保証されていると言って良い。

「あまり入り浸るなよ」

「わかった。ねえ、それでしばらくってどのくらい?」

「しばらくはしばらくだ。少なくとも、街を騒がせている強盗が捕まるまでは大人しくしていることだ」

「えーっ!そんなのいつになるかわかんないじゃん」

 お仕置き免除の代償は思った以上に高い。

「文句があるなら公安に言うんだな」

「外出禁止の身でどうやって言うのさ」

「確かにそれもそうだ」

「ちょっとぉ」

「つべこべ言うな。もう決まったことだ」

 そうして話は終わったとばかりに、父はその場から退散してしまった。