少年がひとり河辺に佇んでいる。両方の手を橋の欄干に付き、その上に顎を乗せる。そして、時折足元の石を拾っては川に投げ入れた。今ので一体いくつ目になるだろうか。

「リュート!!」

 そこへ少年がもうひとり、息せき切って走り寄ってくる。他でもない、待ち人の到着である。

「遅いよー。もう来ないのかと思った」

「ごめんごめん」

 リュートとは礼拝が終わった後で落ち合う約束になっていた。しかし、そんなシェールの企みを知ってか知らでか、なかなか抜け出すチャンスが巡って来なかった。そこで、こうして強行突破を試みたというわけである。

「うまくやった?」

「うーん、とりあえず追い掛けては来ないと思う」

 そう言うと、シェールは橋の向こうを窺った。今のところ追手の気配はない。

「それより、さっきの話本当?」

「本当だと思う。うちの母さんが井戸端会議で聞いたって言ってた」

「そっか。でも、何でそんなことするんだろ」

「やっぱり危ないから、って話だった。半分焼けちゃってて、いつ崩れるかわからないし」

「そりゃあそうだけど」

 そういう事情なら、何故今日まで生家の取り壊しを先延ばしにしたのだろう。ひょっとしたら、自分が大人になるまでくらいの間はそのまま残っているかもしれない。そんな淡い期待を持ってしまったではないか。

「行くだろ?持ってきたいものとか取っておきたいものとか、まだあるかもしれない」

「ううん。あれから随分時間も経ってるし、多分もうろくなものは残ってないと思う」

「シェール…」

 良かれと思って教えたことが、かえって友人を傷つけることになってしまっただろうか。じっと考え込むシェールを見て、リュートの心もまた穏やかではない。

「でも、もうなくなっちゃうっていうなら、行っとこうかな。うん、やっぱり行く」

 折角なら最後にこの目で見ておくのも良いかもしれない。未だ迷いはあるが、今を逃せばこの先機会はないだろう。


「ありゃー。今じゃ誰も寄り付かないって感じ?」

 久々に訪れた生家を前にして、言うことではなかったかもしれない。しかし、実際問題初めに口をついて出たのがそれだった。

「誰も入っちゃいけないってことになってるから。まあそうじゃなくても…」

「気味悪いもんね」

 自宅兼宿屋だったその建物は、好き勝手に生い茂った雑草に囲まれ、遠くからでは全様がわからない。しかし、見るからに朽ちた建物は、日が出ている今でさえ、何となく不気味な雰囲気を醸し出している。

「オバケが出たりして」

「シェール!!脅かすなよ」

 そっと耳元へ囁くと、みるみるリュートの顔色が変わった。

「あはは、リュートの怖がり」

「何だよ、自分だって怖いくせに」

「パパかママのオバケだったら、会っても良いかなって思うよ」

「まあ、知ってる人だったら…って、シェール、本当に大丈夫?」

「うん、平気。リュートはここで待ってても良いよ」

「な、何言ってんだよ!それだったら初めから一緒に来たりしないし」

 オレも行く。そう言うと、何故だかリュートが先陣を切って歩き始めた。これでは本当に肝試しである。


 建物に近付くと埃っぽい匂いがした。生活圏内である母屋は焼けがひどく、もはや原形をとどめていない。迂闊に歩きまわれば、倒壊するかもしれない。二人は諦めて、裏手へと回った。客室がある裏のほうは比較的マシだったが、それでもどこもかしこも蜘蛛の巣だらけである。

「なつかしいな。ここでうさぎ飼ってたんだよ」

 シェールが見つけたのは、とうの昔に空になった兎の巣である。

「知ってるって。おばさんが食べそうになったやつでしょ」

「そうそう、それ」

 シェールはケラケラと笑った。

「強いな、お前」

「そう?」

「強いよ。オレだったら、泣いてるかもしれないのに」

「そりゃ僕だって泣いたよ。何回も、何十回も。だけど、もうしょうがないって思ってる」

 言いながら、シェールは兎の巣箱を覗き込んだ。この中に兎が戻ることはもうない。

「それに今は、新しい家族も出来たしね」

「あのひと、やさしい?」

「うん、基本的には」

「そっか、なら良かったね」

 その答えの意図するところが、リュートにもわかったのだろう。それきりその話題は終了した。