すべての試合が終わった後も、シェールは未だ自身の敗けを受け入れられずにいた。因縁のライバルに敗れたならいざしらず、決勝に残ることすら叶わなかった。

 いつもの自分なら、まず敗けることのない一戦だった。それだけに、一体全体何故自分は敗けたのかと、ひたすらに考えた。そうして挑んだ三決戦でも黒星を重ねた。

 最悪な気持ちで玄関の木戸をくぐった。どうやって家まで帰り着いたのか、定かではない。

「どうだった、初めての錬成会は」

「どうもこうもない」

 父の顔など見たくなかった。何だかんだ言いながら、どうせ今日の錬成会には来ていたのだろう。シェールは父親を見ようともせず、そのまま二階へ上がりかけた。

「お前が思っているほど甘くはなかっただろう」

「…違う」

 感情が頭を経由することなく口をついて出た。

「こんなの、違う。練習では一度だって負けたことなんかないんだ。負けるわけが、ないんだ」

「だが、お前は負けた」

「違う!違う違う!」

「シェール、身の程を知れ」

 泣きながら地団駄を踏む子供を静かに諭す。シェールは肩で息をしながら、なおも続けた。

「一番になりたかった。どうしても一番になりたかったんだ。そのために、とうさんだって少しくらい教えてくれたって良かったのに。そしたら…」

「お前は自分の力が足らないのをとうさんのせいにするのか」

「だって!」

「もういい、言うな。お前が何を言ったところで、負け犬の遠吠えにしか聞こえん」

 瞬間、シェールの身体に電撃が走った。

「そんなんじゃないっ!!」

 やり場のない怒りが沸き上がり、自分でも制御不能だった。父の言っていることが合っていようがいまいが、この際どうでも良かった。

「何だ。俺に向かって来るのか」

「そうだって言ったら」

 めちゃくちゃに振り上げた両手は意図も容易くかわされ、反動で床へ転ばされた。シェールは起きあがり、荒い息のまま父親を睨み返した。

「良いだろう。表へ出ろ」

 心のどこかで正気の沙汰ではないとわかっていた。だが、今更引き下がるわけにはいかなかった。


 互いに木剣を手にし、距離をとって睨み合う。道場通いを始めてから、実に初めてのことである。皮肉なもので、少し前までさんざん望んでいた状況が今ここにあった。

 シェールは木剣を握る手に力を込め、相手の懐に大きく斬り込んだ。

「っ!」

 しかし、拍子抜けするほどあっさり木剣を叩き落とされてしまう。

「拾わないのか」

 あまりのことに茫然としていると、意地の悪い台詞が耳に入った。シェールはかっとなって木剣を拾い、すぐさま相手に斬りかかった。だが、またしても一撃で落とされてしまう。

 何度やろうとも、同じことの繰り返しだった。シェールは汗だくになりながら父を見上げ、そして、はっとした。父は息ひとつ切らすことなく、初めと同じ位置に立っていた。

「もうおしまい、降参か」

 敵わない。敵うわけがない。そう思ったが、口には出せなかった。

 タリウスは深い溜め息を吐き、それから憐れみのこもった視線を我が子に送った。

「うあぁっ!」

 そこから今度は反撃が始まった。父の剣はまるで生き物のようで、正しく変幻自在に襲いかかってきた。シェールは肩と言わず胸と言わず、全身を滅多打ちにされ、ついには地面を這った。


「もう、もうやめて」

 恐怖に身体がカタカタと震えた。涙が止めどなく溢れ、声がかすれた。

「降参するから、もう勘弁してください…」

 間近で父親が動く気配がして、咄嗟にシェールは身を固くした。

「お前は一番になって、どうするつもりだ」

 答えようにも怖くて声が出なかった。

「仮に一番になったとして、そのままずっと一番でいられると思ったら大間違いだ。一番でいつづけることは、一番になることより難しい。何故だかわかるか」

「ううん」

「自分の前を走っている者の背中は見えるが後ろはどうだ、見えないだろう。それでも確かにいて、いつの間にか間合いは詰まり、やがては息遣いが聞こえてくる。お前にこの怖さがわかるか?」

 ふるふると首が横に振られる。

「んん?!」

 タリウスはおもむろにその首を掴み、無理矢理自分のほうへ向けた。

「昨日今日剣を握り始めたような人間が思い上がるな!お前など一番になるどころか、そう思うことすらおこがましい」

 もはやそれは親が子供を見る目ではない。身体が芯まで凍りつき、一滴の涙すら出ては来なかった。

 放心する少年から手を離し、タリウスはその場から去った。

「う、うわあぁぁぁぁぁあああああっ!!」

 残されたシェールからは、堰を切ったように感情が溢れ出した。