「何故呼ばれたかわかるかい」
すったもんだの末、なんとか初日の稽古を終えたレイドに、師は、夕食後自室を訪ねるよう言った。そのときの雰囲気から、それが良い話ではないことはレイドにもわかった。
そして今、言いつけどおり来訪した彼をゼインが無感情に迎え入れた。
「ヒントは君の性格、いや気質にある」
「昼間こと、ですか。昼間、ついイラっとしてひどいことを言ったから」
師の要求は回を追うごとに強まり、最近では殆ど無理難題と思えるようなことを涼しい顔で求めてくる。だから、つい言ってしまったのだ。そんなこと出来るか、バカ先生、と。
「50点」
「え?」
「それはあくまで一例に過ぎない。だから半分の50点。残りの半分は、昨今の君の行いについて胸に手でも当てて考えてみると良い」
「だからなんのことだよ。もったいぶらずに言えば良いだろう」
「そう、それだ」
その思わせぶりな言葉に耐えきれず、レイドはまたしても感情を爆発させる。しかし、そんな弟子を尻目にゼインは微笑んだ。
「知りあって数カ月、四六時中見ていたわけではないが、それにしたって君の気の短さは異常だ。少しでも気に入らないことがあればすぐに喚き散らして、それでは赤ん坊と大差ない」
「………い」
うるさい、本当はそう言いたかったが、それは言葉になることなく喉の奥へと吸い込まれていった。
「また騒ぎを起こしたそうだね。喧嘩に夢中になった挙句、夕方になっても家畜をしまわず、そのせいで何頭か具合が悪くなったとか」
「寒けりゃ自分で厩舎に入れば良いんだ。それを誰かに追われなきゃそのまんま、それで風邪引いたなんて言われたって」
「羊も山羊も、家畜にしたからには誰かが守ってやられなければ生きてはいけない。今の君と同じようにね」
「どういう、意味ですか」
胸のあたりがチクリと痛んだ。
「君は今、ミセス・ミルズの温情でここにいる」
「そ、そんなことは、わかっています」
続く台詞に傷口は更に広がった。両親を亡くし、無一文になった自分を彼女の善意が生かしている。そんなことは百も承知だ。
「本当にそうだろうか。一昔前なら、いや今だって、君がどこかへ売り飛ばされたところで少しもおかしくはない。もっとも、それほどの価値が君にあればの話だが」
人身売買は一般的に好ましくない行いとされているが、違法ではない。他に寄るべきもののない自分が、借金か何かの形に何者かの所有物となったとて、誰も異を唱える者はいないだろう。悲しいがそれが現実だ。
「すみません、でした」
「よろしい。己の置かれている状況を理解したところで、甘んじて罰を受けたまえ」
「何でオニ先生が?」
「では聞くが、君はこの件に関して自分が罰せられないことに疑問を感じなかったのか」
言われてみれば、このことについてさほど責められた記憶がない。初めの二三日こそ、いつ下されるとも知れない罰に怯えもしたが、その後はそういうこともあるだろうくらいにしか思っていなかった。
「私は君の懲戒権を買ったのだよ」
「そんな」
そんな馬鹿げたことがあってたまるか。レイドは恐る恐る師を窺った。
「アイリス、と言ったか。私は彼女に、君についてあらゆることを報告するよう頼んだ。彼女はそれを快諾し、ついでに懲戒権をも譲り渡してくれた」
「聞いてないぞ!そんな話」
「だから今している。さあ、男らしく腹を括りたまえ」
師は立ち上がり、即席の模擬剣を手に取った。木の枝を折っただけの粗野なそれは、初回の稽古にのみ使われ、後に師が金属製の模擬剣を持って来てからは出番がない。てっきりとうに捨てたものだと思っていた。
「下穿きを取って、机に手を付け」
「まさか」
「そのまさかだ。我慢するということを覚える絶好の機会だろう」
そこで師は、あろうことか楽しげに枝を振った。
「うっ!」
「声を出すな。そんなことをしたところで痛みからは逃れられない」
「うあっ」
「飲み込め!」
激痛が尻を襲う。今までこれほどの仕打ちは受けたことがない。一体何をどうしたらこの痛みを飲み込めるのだろう。レイドはひとつ打たれる度に獣のように咆哮し、地団太を踏んだ。
「レイド」
それからしばらくして、鞭を置く気配がし、師の声音が変わった。仕置きが終わったのだ。
「これまで君は、嫌だ嫌だと駄々を捏ねさえすれば、みんな己の思い通りになったのだろう。いつだって周りの大人が折れてくれたのだろうね。それは何も君ひとりが悪いわけではない」
「そ、それは…」
図星だった。確かに自分は人よりか恵まれた幼少時代を過ごしてきた。
「だが、レイド。考えてもみろ。自分ひとり律することの出来ない人間が、人の上になど立てるわけがない」
「でもオレは!」
「君の目的がここから出ることならば、それなりに仕事を世話しよう。あくまで軍に拘ると言うなら、一般試験を受けるという道もある」
「じゃあオニ先生は、オレに諦めろって言うんですか?」
堪えていた涙がポタポタと机を濡らした。これまで怒鳴られようが叩かれようがひたすら師に付き従ってきたのは一体何故か。
「先生だけは、無理だとか、諦めろとか言わなかったじゃないですか!だからこそ、オレは今日まで…」
「知ったことか」
「………え?」
「私は関係ない」
急速に世界は色を失った。
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