「悪かったよ、先生。わかったからもう勘弁してくれよ!」

「なんだもう音を上げるのか?全く君には堪え性というものがない」

 ゼインはさも不愉快そうに少年を見下ろした。少年の額には玉の汗、そして左右の手には水の入った桶がひとつずつ下がっている。

「違う。そうじゃなくて、オレには時間がないんだ。なあ、頼むよオニ先生!」

「黙れ。先ほど君は私に向かって何と言った?構わないからもう一度言ってみたまえ」

「う、うるさい馬鹿先生…って」

 少年は目を伏せ、発する言葉も小さくなる。

「本来ならば破門されたところで少しも不思議はない。それをこの程度で許してやろうというんだ、むしろありがたく………こら!レイド!!」

「今度はなんだよっ!じゃなくて何ですか!」

 突然の怒声に心臓が縮むおもいがした。

「貴様バケツを持ち替えたな」

「え!」

「こぼすな!」

 あたふたと水桶を持ち上げた拍子に中の水が跳ねる。

「す、すいません!」

 噛み付かんばかりの怒鳴り声に息が苦しくなった。普段飄々としているばかりに見える師は、どっこい時折物凄く恐ろしい何かに変化する。

「そうやって己を甘やかしてばかりいるから、いつまで経っても貴様は育たない」

「甘や…かす?」

 無意識に台詞をなぞるが、レイドには師の言っている意味がよくわからなかった。

「役に立たない左手なら、捨ててしまったらどうだね」

「左手ですか?」

「そう、左手だ。確かに人に比べて君は力が強かろう。だが、それはあくまで利き手の話だ。今ここで、短所を克服しなくてどうする」

 単なる罰として水桶を持たされたわけではなかった。そんなこととは露知らず、師の姿が見えなくなったところで、重さの違う水桶を持ちやすいよう替えてしまった。

「本気で強くなりたいのなら私の言うことを余さず聞けと言った筈だ」

「す、すみません、先生!やり直します。やり直しますから!」

「時間がない時間がないと言いながら、そのことを一番わかっていないのは君のようだ」

 師は吐き捨てるように言って、その場から立ち去った。急速に下がった外気にぞくぞくと背中が寒くなった。