「なにシェール、また帰るの?」

「うん。ちょっとやることがあって」

 放課後、遊びの群れに加わらず、早々と引き上げようとするのを友人の一人が呼び止めた。

「やることって?毎日毎日何してるの?」

「うーん、宿題とか」

 シェールだって本当は遊びたい。父に剣の稽古を取り上げられてからも、最初の数日はこれまでどおり遊びに出掛けていた。最後まで残らず、途中で帰れば良いと思ってのことだが、すぐさまそれが不可能であると悟った。遊びが一番盛り上がったところで抜けるのは、最初から遊びに行けない以上にしんどい。結局、ずるずると最後までいては後悔するのだった。

「なんで?宿題なんか、そんなに出てないのに」

「まあそうなんだけど、算数苦手だから時間がかかっちゃって」

 確かにただ終わらせるだけならそこまでの時間は掛らないが、それでは何もならないと今ではよくわかっている。それに何より、しばらく怠けていた間に、理解しきれていないところが増え、気付けばすっかり勉強が遅れてしまった。それを取り戻すには、まだもう少し時間がかかる。

「宿題おわんないとご飯もらえないとか」

「そんなことないって。ないない」

 父はその厳つい容貌と職業のせいで、得てしてこの手の勘違いをされがちである。確かに何人に対しても紳士的だが愛想はない。怖がられたところで無理もないかとシェールは苦笑した。

「そんなわけだから、ごめん。帰るね」

「別に謝らなくたっていいよ。こっちはただ、かわいそうだから声を掛けただけだし」

「かわいそう?」

 何故この局面でその単語が出てくるのだろう。シェールはきょとんとして友人を見た。

「だって、パパもママもいないだなんてかわいそう」

 一際通る声に他の友人たちも皆一様に話をすることを止めた。何となく意地の悪いものを感じる。

「そ、そりゃ確かにいろいろ大変だったけど、でも今はもう新しいパパがいるし。別にかわいそうだなんて…」

「それだって、シェールがかわいそうだからよ。みんなだって思うでしょ。かわいそうだって」

「そんなことなっ…」

「かわいそう!」

 反論しようとするのを全く別の声が遮る。

「え………?」

「かわいそう」

「かわいそう」
「かわいそう」

「かわいそう」
「かわいそう」
「かわいそう」

 声は幾重にも重なり、やがて合唱となる。シェールには、彼らが何かを意図して言っているわけではないとわかったが、それにしてももはや聞くに堪えない。

「うるさい!!」

 あらん限りの声で怒鳴り、踵を返す。それでも未だ、シェールの耳にはかわいそうの合唱が聞こえていた。

 そのまま宿へ帰り、すぐさま宿題を広げた。しかし、言うまでもなく微塵も集中できない。こんなもののせいで、ああも不愉快な思いをしたのだ。無理もない。

 だいたいあの日以来、日々真面目に勉強に取り組み、完全ではないにしろ苦手だった部分も克服した。実際、努力の甲斐あって、今日受けた試験でもそこそこの手応えを得たのだ。少なくとも、ベッドに押し込まなければならないような点数にはならない筈だ。

 そうだ。自分はもう充分に頑張った。それなのに、父は稽古を再開するとは言わない。かわいそうかわいそうと言うなら、そっちのほうがよほどかわいそうではないか。

 がしゃんと勉強道具が音を立てる。行こう。このまま待っているばかりでは埒が明かない。