診療所から一歩外へ踏み出した途端、足が竦んだ。

 行きは歯やお尻の痛みと闘い、それも父に引きずられて来たため、まわりを気にする余裕などなかった。しかし、治療が済んで、外気に触れた瞬間、言い様もない恐怖を感じた。

 視界の先にはどこまでも深い闇が広がり、風は轟々と唸るように鳴った。まるで自分にとって見慣れた街が姿を消し、代わりに現れた見知らぬ世界へ迷い込んでしまったかのようだ。唯一、父とつないだ手だけが、自分と下界をつなぎ止めているように感じられた。

「こっちだ」

 無意識に握る手を強めると、それよりも強い力で握り返された。反射的に父を見上げる。

「怖いのか」

「ううん」

 本当はそのとおりであるが、なんだか面白くなくて咄嗟に首を横に振った。

「別段、悪いことではない。怖いから用心する。恐ろしいと思うから、僅かな変化にも敏感になる。ごく自然なことだ」

「そういう、もの?」

 てっきり臆病な自分を否定されるとばかり思っていた。それだけに、まるで予想外の言葉にシェールは面食らった。

「お前にはいらんお節介だったか」

「や、やだ!」

 ぱっと手を離されて、慌てて父に追いすがる。

「怖くないんだろう?」

「やだやだ!待って」

 どんなに笑われようとも、この手だけは絶対に離したくないと思った。


 おしまい 2011.8.31