「おや、おかえり。今日は早いね」

 その日、タリウスは珍しく陽のあるうちに帰宅した。

「たまには早く帰ろうと思いまして。すみません、それは?」

「ああ、これ」

 彼は女将の足下に壊れた鉢植えがあるのを目敏く見付けた。確か今朝出掛けたときにはなかった筈だ。

「直接見たわけじゃないけど、たぶんお宅のぼっちゃんの仕業だと思う。さっきぼっちゃんが庭であそんでたとき、何かが割れる音がしてたから」

「申し訳ありません。毎回毎回ご迷惑をお掛けして、本当に…」

「良いんだよ別に。大したもんでもないし、植え替えれば済むことだから」

 女将は少しも気分をがえした風なく手を振った。自分が言わなければそのままになったかもしれない。しかし、それではシェールの教育上あまりによろしくない。

「それよりぼっちゃんの様子が何かおかしくてね。私はそっちのほうが心配だよ」

「おかしいというのは?」

 しかし、続く台詞に大いに興味をかられ、彼はひとまず教育云々を棚上げすることにした。

「早い話がご機嫌ななめなんだよ。話し掛けても反応が薄いし、おまけにおやつにも降りてこなかった」

「そうですか」

 それは、女将の植木鉢を割った手前、顔を合わせるのが気まずくなってのことかもしれない。ともかく直接本人に会って真相を問い質さなくてはなるまい。

「ちょっと!何か悩みがあるのかもしれないんだから、頭ごなしに叱ったらだめだよ」

「善処します」

 タリウスは話もそこそこに自室へ伸びた階段を上り始めた。


「ただいま」

 部屋へ戻ると、シェールはこちらに背を向け出窓に座っていた。

「………おかえりなさい」

 しかし、普段からうるさく言っているだけあって、挨拶だけは寄越してくる。

「何か言うべきことがあるんじゃないのか」

「別に、何にもない」

 シェールは頬に手を付き、その目は相変わらず窓の外を向いていた。どうやら自首してくる気は更々ないらしい。タリウスの口からは自然と溜め息が漏れた。

「では聞くが、裏庭の鉢植えを割ったのはお前か」

「………知らない」

「そうか」

 これが濡れ衣であればもう少し怒って然りである。

「シェール、こっちへ来なさい」

「やだ」

「良いから来なさい。ひとと話をするのにそれはない」

 些か強い口調で命じられ、彼はしぶしぶ父の前に立った。言われてみれば、何処となく顔色が優れないようにも思えた。

「学校から帰った後、お前はどこで何をしていた」

「ずっとここにいた」

「裏庭でお前を見たと言うひとがいるんだが」

「知らない」

 シェールは下を向いたまま、こちらを見ようとはしなかった。

「嘘つきがどういう目に遭うか、いい加減お前も学習しただろう」

「し、知らない。覚えてない」

 そう言いながらお尻に手がいくあたり、身体のほうはしっかり覚えているのだ。

「白状しなさい」

「おばちゃんだって、僕が蹴ったの見たわけじゃない」

「シェール!!お前な…」

 ぼろを出しながらも、あくまで嘘を突き通そうとするその姿勢に無性に腹が立った。つい声を荒げると、途端にシェールの瞳が恐怖に怯えた。

「わかった。では、本当のことを話す気になるまでそこへ立っていなさい」

「なんで?何でそんなことしなくちゃいけないの」

「それはお前のほうがよくわかっているだろう。洗いざらい話す気になったら呼びなさい」

 もう一度促され、シェールは反抗的な素振りを見せつつも、今度は言い付けどおり壁に向かって起立した。小さな右手はまたしても頬にあった。