「ゼイン、これ。慌てて詰めてきたから少しおかしなことになっているかもしれないけど、お弁当」

 どうして母親というのは、毎回去り際に何かを持たせたがるのだろう。そんなことを考えながら、ゼインは礼を言って包みを受け取った。

「結局、何もしてあげられなかったわね」

「そんなことはない。元気でいてくれただけで充分だよ」

 本心から出た言葉だった。母が嬉しそうにするのを見てその想いは深まる。

「身体に気を付けなさい。それから、あなたの若奥さんのことはそれ以上に大切になさい」

「わかった。この次は一緒に来るようにする」

 しんみりしてくる前にこの場からいなくなりたかった。辞意を表すと、母もそれ以上は引き止めなかった。

 林の中をざかざかと早足で歩いた。そうして慌ただしい一日のことを回想し始めようとするのを、何者かが邪魔をした。

「おいオニ!」

 面と向かってそう呼ばれるのは、意外にも生まれて初めてだった。

「オニ!オニ先生!ちょっと待てって」

「何だろうか」

 ゼインは歩みを止めず背後の声に応えた。荒い息遣いが聞こえた。

「何で勝手に帰るんだよ」

「何故君に断らなくてはならない?嫌いなのだろう、私のことが」

「違う」

「違う?」

「謝りたいんだ」

 ぴたりとゼインが立ち止った。

「本当はちゃんとわかってる。ここにいる以上仕事はしなきゃならないし、嫌だって言ったってどうしようもないことくらいオレだって知ってるよ。だけど、オレは強くなりたいんだ。それにはオニ先生が必要なんだ」

「それで?」

「だから!さっきはごめんなさい。これからも自分の仕事はちゃんとするから、だからまた教えてください」

 お願いします、少年が頭を下げた。同じだ同じだと思っていたが、自分にはこの素直さはなかった。

「わかった。近いうちにまた来よう」

「ありがとう先生!!」

「こら」

 レイドにすがられ、危うく弁当を落としそうになった。

「ああ、そうだ。これを君にあげよう」

「なんで?」

 どさくさに紛れて弁当の包みをレイドに押し付けようとしたが、彼は首を傾げただけだった。

「食事の途中だったのだろう?今更戻っても食いはぐれる」

「いいよ一日くらい」

「身体作りは基本だ。成長期に食べないでどうする」

「だからって人の弁当もらえるかよ。ましてや、ミセス・ミルズの気持ちを考えたら」

 この少年は一体何を知っているというのだ。

「オニ先生はミセス・ミルズの子供なんだろう?」

「彼女がそう言ったのか」

「違う。でも、目が言ってた」

 自分を見る母の眼差しで気がついたと言うのか。

「恐ろしいほどの観察眼だね。しかし、確かに君の言うことも一理ある。ということで、君には半分あげよう」

「半分って、ここで?」

「立ったままで食事をするのはマナーに反するか。そうか、そうだね」

 そう言うと、ゼインはそそくさと張り出した木の根に腰を下ろした。弁当の中身は暗くてよくわからなかった。

「何だね」

 暗がりにレイドの視線を感じた。

「オニ先生はちょっと変わってる。周りからよく言われない?」

「さあ、意識したことはないが。君だって、そんな私に弟子入りしたんだ。相当変わっていると思うがね」

 手探りでパンをつまみ上げ、口へ運ぶ。懐かしい味がした。取り付かれたように黙々と食べていると、そろりとレイドが隣に座った。

「弁当どれ?」

「その辺りだ」

「何で明かり点けないんだよ」

「虫が寄ってくるだろう」

「あっそう」

 間もなくしてレイドは弁当を探り当てた。なんだかんだでかなり腹が減っているようだった。

「弁当半分でこんな事を頼むのはおこがましいとわかっているが」

「何?」

「母を、ミセス・ミルズを頼みたい。あちこちにガタがきているだろうし、もうあまり無理の利く歳でもない」

「わかった………っ!いってぇ!」

 返事を返すや否や、何故だか突然背中をはたかれた。

「それは助かる」

「何なんだよ」

 弟子の苦情には全く耳を貸さずに、ゼインは立ち上がった。

「さて、いい加減帰らなくては。君ももう戻りたまえ。万一ミセス・ミルズに叱られたら、そのときには私のせいにすると良い」

「怒らないよ、ミセス・ミルズは。だけど、ときどきすごく悲しそうな顔をする。そっちのほうが堪んないんだけど」

「同感だ」

 心底レイドに同情した。

 それから林の手前までレイドを送り、あっさりと別れた。