「外、か」
自分がいた建物以外に四方を遮るものは何もない。この辺り一帯の敷地は、農地も含めすべてが彼女のものだと記憶している。家畜を飼い、畑を耕す。自給自足がここでの生活の基本である。
牧場に目をやると、動物たちがのんびりと群れているのが見えた。ここ十年余りで子供が減少したのと同じように、家畜の数もまた少なくなったようだった。
そんなのどかな風景に少年がひとり溶け込んでいた。彼は柵にもたれ空を見上げていた。背が高く、肉付きも良い。恐らく彼こそが目当ての少年だろう。
「何」
少年はゼインの視線に気が付き、怪訝そうにこちらを見た。
「士官候補生の試験を受けるそうだね」
「それが何だよ。あんたに関係あるのかよ」
「関係はないが興味がある」
母のことだ。恐らく中央を受けさせるようなことはしまい。ならば自分は無関係である。
「どうせオレには無理とか言いたいんだろう」
「何故そう思う」
「先生についてるわけでもないし、自分でしようにも昼間は畑だなんだってやることに追われて、ろくに練習なんて出来やしない」
「野良仕事を侮るものではない。普通に飛んだり跳ねたりするよりはるかに筋力がつく」
「何でそんなこと知ってるんだよ」
「私にも経験があるからだ」
そこで少年の目の色が変わった。
「もしかしてお城のひと?」
「残念だが違う」
「そっか」
少年は明らかに落胆した様子だった。若い頃は誰しも城勤めに憧れる。しかし、城は文字通り最後の砦であり、実際に国を守っているのは辺境の名もない戦士たちである。少年がそのことを知るのはもう少し先だろう。
「手合わせしてあげようか。心得がないわけではない」
我ながら苦しい言い様だと思った。だが、そんなことは少年にとって全くどうでも良いことのようだった。
「本当に!?」
「近頃運動不足だからね、丁度良い」
「オレはレイド。あんた…先生は?」
このとき初めて、レイドは正面からゼインを見た。
「オニ」
「は?」
「それが私の名前だ」
ゼインはレイドを連れて林へ入り、適当な枝を落として即席の模擬剣にする。そして、ともあれまずは新弟子の実力を知ろうと、ひたすら受身に徹した。
なるほど、これは本人の言葉どおりなかなか厳しいものがある。一応の基本は抑えており、決して筋も悪くない。しかし、ほぼすべてが自己流で、これではかつてのミゼットと良い勝負である。その上、彼女に似ているのはそこだけではなかった。
「君は恐ろしく気が短いね。それでは当たるものも当たらない」
「うるさい」
熱い心を持つのは大いに結構だが、彼の場合は些か度が過ぎる。
「ほらね」
振り上げた枝は目標であるゼインを大きく外し、勢い付いた身体は思い切り地面に叩き付けられた。
「言わんこっちゃない」
「ってえ」
ゼインは肩をすくめ、レイドは顔をしかめた。
「結局、あんたも同じだ」
「何が?」
「そうやってひとを馬鹿にして楽しんでいるんだ。あいつらと同じだ」
苦虫を噛み潰したような顔に、ゼインの脳裏に若き日のことが映し出された。他人を羨んでばかりの自分だ。
「だけどいつか見返してやるんだ」
そして、続く台詞に確信を深めた。この少年はかつての自分とそっくりだった。
「そう思う時点で既に君の負け、惨敗だ」
「どういうことだよ!」
「詳しいことは知らないが、恐らく君が見返そうとしている連中は、端から君のことなど眼中にない。違うかい」
少年の顔が苦悶に歪んだ。如何とも言いがたい、言うなれば、この世の不幸をすべて背負ったような顔だった。
「じゃあオレはどうすれば良いんだ。このまま一生地を這うしかないのかよ」
そんなのあんまりだ、レイドは叫ぶ。
「そうではない。君はただ君の人生を生きれば良い」
「オレの人生…?」
少年は空を見詰めた。
「とっとと起き上がりたまえ。やる気がないのならもう教えない」
「待って!もっと、もっと教えて欲しい!」
「さて、どうしようかな」
師の瞳が意地悪く光る。
「何だよ?何で急にそんなこと言うんだよ」
「ひとに教えを乞おうと言うのなら、それなりの姿勢というものがあると思うが?」
「なっ!」
「礼儀をわきまえない者はどこへ行っても嫌われる」
もっともな言い分だった。それに、折角得た貴重な師を見す見す手放したくはない。
「わ、わかった」
「何だって?」
「違う。教えてください!お願いします!!」
「結構」
虎が子猫へと変化する、堪らなく心地良い瞬間である。
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